深い傷痕
せっかくの誕生日なので、フルーツの飾り切りなんて普段は絶対レディにしかやらないことを、絶対見た目はこれっぽっちも気にしてないアイツのためにしてやることにした。
オレンジだのリンゴだのにナイフの刃先を使って細かい細工をほどこす。
出来上がった赤や緑やオレンジのそれらを見栄えよくデザートボウルに飾り立てていると、そこへ当のルフィがひょっこりと顔を出した。
何やってるんだ?
あまりに興味津々に覗き込んでくるので、ちょっとだけ仏心を出して「食うか?」と、残っていた端っこの一切れを渡してやったら、いつもならぽいっと一口で放り込む奴が珍しく手にしたままじっくりと眺めている。
キラキラと目を輝かせ、はぁと溜息をついて、そして出た言葉が「オレもこれやりたい♪」だった。
こいつが一度言い出したら聞かないことは骨の髄まで思い知らされている。
このクソ忙しいときに面倒くさいことになったと、オレは自分の仏心を心底後悔した。
オレンジを2つ、オレが切った見本用のとそのままの、それにぺティナイフを手渡し、こんな風にやってみろとだけ言ってキッチンの隅にルフィを追い払う。
ごそごそとおとなしく椅子に腰掛けた後姿を見届けて、さて、とオレはこれからの段取りを頭の中で整理した。
ただ今フル稼働中のオーブンの時間配分。
とにかく本人のリクエストだ、まだまだ肉を焼かないといけない。香草は足りるだろうか。
それからナミさんやロビンちゃんのために飲み物も早めに冷やしておく。
誰か野郎を呼んで酒を準備させておこう。
あとは・・・
「痛っ!」
そう痛い・・・っておい!?
始めて一体何分だか、早々に指からだらだらと血を流している船長にオレは溜息をつくと、早くチョッパーのところに行って来いと奴をキッチンから蹴り出した。
*****
纏わりついてくるうるさいコドモのいなくなったキッチンは、おかげで順調に準備が進んだ。
あとは残った肉の焼きあがりを待ちがてら一服しようと、オレは胸ポケットの煙草を取り出して表に出た。
「…んだよ、くすぐってぇな」
甲板を渡る風に混じって、くっくっという小さな笑い声が聞こえてくる。
「じっとしてろ」
それに続いて、低い、オレにとっちゃあ耳障りな野郎の声も。
それが前甲板でじゃれあっている船長とクソ剣士だということは、当たり前だが即座に知れたので、オレは煙草をふかしながら静かにその場で2人を観察させてもらうことにした。
(これは出歯亀でも覗きでもない、観察だ。)
「全くこんな怪我しやがって、ちょっと見せてみろ」
「何だよーゾロ、チョッパーが手当てしてくれたから大丈夫だぞ」
何故か楽しそうに笑いながら、ルフィは包帯の巻かれた人差し指をほらと立てて見せた。
「ったくアホコックの奴に何させられた?」
…はぁ?何でそこでオレにとばっちりがくる?
やるって言いだしたのも手を滑らせたのもアイツだぜ。
釈然としない思いを抱きつつ、オレは甘々剣士の方向にふっと煙を吐き出した。
「別にサンジのせいじゃねえよ、それに…っ…ゾロだっていつも傷だらけのくせに」
途中でルフィの言葉が震えたのは、奴の唇が包帯の上から触れたためだ。
「ゾロ…っ」
咎める声にも聞こえないふりをしたまま、奴は啄ばむように幾度もその指に唇を寄せる。
「おい、ゾロ、ちょっと…!」
ルフィが懸命に引き剥がそうとしているが、多分無駄だと思う。
躊躇いもなく、ルフィの指からするすると包帯が解かれた。
せっかくの手当ても天然記念物には無意味らしい。
気の毒なドクターチョッパーにオレは少なからず同情する。
まだ赤みを帯びたざっくりとした傷跡も生々しい指が潮風に晒され、ルフィの肩がぴくりと震えた。
「痛ぇか」
「いや、もう別に…うわっ!」
ルフィの答を待たず、けだもの剣士が傷口に舌を這わせた。
「よせゾロ…痛ぇ…!」
それはそうだ。
ざらざらとした舌の感触が切って間もない傷口を激しく刺激し、遠慮なく幾度も往復する舌にルフィがこらえきれず首を振った。
一方クソみどりは消毒薬の苦味か僅かに眉を潜めたがそれも一瞬、そのままルフィの指をぱくりと口に含む。
こうなったらもう歯止めは効かない。
「ゾロ…」
ついには懇願するようにルフィが奴の名を呼ぶが答えはなく、緑のけだものは野生の本能も顕わにただ一心にルフィの傷を舐めている。
まるでそうすることで自分がルフィの傷を治してやるとでも言うかのように。
いつも無茶ばかりするルフィの体には、あちこちに大きな傷痕がある。
腕、足、腹も背中も。
そしてまだ悪魔の実を食べる前のガキのころ、ナイフで抉ったという左目の下の大きな傷。
そんなのが舐めて消えるなら、オレだっていくらでもそうしてやる。
マジにそう思う。
オレたちの船長は日頃からあっけらかんとした、元気一杯のお子様なのだが、
かつてバラティエでジジイの失くした足に拘り続けるオレを怒鳴りつけた、尋常じゃない態度、
麦わら帽子をくれた「赤髪の男」を語る時、ほんの一瞬だけ揺れる瞳、
そんなふとした瞬間に見せる仕草に、オレは気付いてしまった。
ルフィの奥に、奥の奥の奥に、ひっそりと存在する見えない傷に。
もちろんそれがどんなものかなんて知らないけれど、ふと期待してしまう。
もしかして、ジジイの足を失くさせた痛みに今もじくじくと静かに疼く、オレの傷と似たものなのではないか、なんて。
それは舐めたら治してやれるのだろうか。
ならばオレが。
オレがそうしてやりたい。
まずルフィを真っ二つにして。
アイツの体を中央から真っ直ぐに切って、そこに手をかけ勢いよく引き裂く。
そして誰も知らない最も深いところに顔を突っ込み、そこにある傷を優しく舐めてやるのだ。
アイツは今みたいに、舌の感触に痛がるだろうか。
それでも構わず舐め続けてやろう。
デリカシーなんざ欠片も持ち合わせねえクソ剣士は、アイツの最奥の傷に気付くはずない。
これはオレだけがしてやれることなのだと、少しだけの優越感に浸りながらそう思う。
だがけだものの野生のカンは、間もなくルフィの深淵を嗅ぎ当てそうで、それがオレにとって腹立たしくも恐ろしい。
先にアイツの傷に舌を這わせることができるのは
先にその傷に気付いた(恐らく)同類項のオレか、
何も知らないまままっすぐに向き合うクソ剣士か、
さて、どっちだろう。
それともそんなの必要ともせず、アイツはいつか一人であっさりと傷を治してしまうんだろうか。
「ゾ…」
ルフィの息が詰まる。
クソ剣士のごつい体に圧し掛かられたせいだ。
唇はいつか指を離れ、いつの間にかルフィの首筋を辿っている。
「面倒だから暴れんな」
「ゾロっ、こんなとこでよせってば」
それでもルフィが本気で嫌がっているのでないことが、正直なその声音に出てしまっている。
イヤよイヤよも好きのうちってか。
やがて漏れる吐息が湿り気を帯びてきたので、次第に行為がエスカレートしてきたのがわかる。
やれやれ、今のところはあっちがだいぶリードしてやがる。
いい加減にしろよ、クソ野郎ども。
そろそろメシだと思い切り蹴飛ばしてやることにしよう。
そんな腹いせを思い浮かべながら、オレは煙草をもみ消した。
= END =
subtitle・・・オレだけが知るたぶん一番深いところにある傷痕
