マスクオブゾロ / 携帯電話
「よ、ゾロおかえり」
高校の部活と道場で散々汗を流し、些かの疲労感を覚えつつようやくたどり着いた自宅。
早くメシ食って寝ようと思いながら部屋のドアを開ければ、とびきり元気な声に出迎えられて、ゾロはくらりと一歩よろけた。
「なにぼけっとしてんだよゾロ、ほら早く座れって」
「おい…」
「それにしても帰ってくんの遅ぇなあ。剣道の稽古もいいけどオレ待ちくたびれたぞ〜」
「おい…」
「肉じゃがだってせっかくあんな熱々で美味かったのに、もう冷めちまったじゃんか」
「おい、ルフィ…」
「あん?」
次々に放り込むじゃがいもを咀嚼するのと、ゾロに話しかけるのとでフル回転中だったルフィの口がようやく止まった。
「なんだゾロ?」
「おまえここでなにしてる」
「なにって、メシ食ってるんだけど?」
さすがゾロんちのメシは美味いよな〜、とルフィが嬉しそうに箸を振り回した。
「ルフィちゃん、あんたに用があるってずっと待ってたのよ」
話がすぐ明後日の方向に向かってしまうルフィに代わって、ゾロの母が答えた。
近所に住むルフィは、ゾロより2歳下の幼馴染だ。
母親の言葉によれば初めて出会った時から、それはすなわちルフィが生まれたときからということになるが、
離れたことなんてない二人だったのだそうだ。
高校生になって、さすがに最近はゾロもルフィも部活などで忙しく、昔に比べればだいぶ顔を合わせる機会も少なくなったが、
それこそ子供の頃は、家族も呆れるほど毎日兄弟以上に引っ付いていたものだ。
どっちが本当の家かわからないほどお互いの家を行き来したし、母にしたところでルフィをずっと息子同様に
(ひょっとしたら実の子であるゾロよりも愛情込めて)可愛がってきたのだから、そこに遠慮などと言うものは存在しない。
「遅くなるって言ったんだけど、どうしてもあんたに会いたいから、ってきかないの」
ぽんと頭に置いた手で、母はルフィをゆっくりと撫でる。
高校生にもなっていい子いい子はないだろうと思うが、
そんな子供扱いも一向気にするふうも無く、ルフィはにこにこと嬉しそうに応えている。
「ホントにルフィちゃんたらいつまでも可愛いわぁ」
可愛い可愛いと繰り返す母は、今にもルフィのことをぎゅっと抱きしめそうだ。
「それなのに、あんたったらこんないい子をずぅっと待たせて、ねえ〜」
冷ややかな眼差しをゾロに向け、高い声で咎める母にルフィも調子を合わせ、ねえ〜と2人して顔を見合わせて笑う。
まるでゾロが余所者のようだった。
「悪かったよ。いいからメシくれ」
ぐったりとした気分で食卓につけば
「はいはい。でももうあまりご飯ないの。あとで適当になんか食べといてね」
ゾロの食事の仕度に立ち上がった母が、悪びれもせずけろりと言う。
隣でしししと笑うルフィを、てめえか、と一発はたいてやった。
「で、何の用だ?」
ささやかな夕食となったカップラーメンを手に、まだ母とじゃれあっていたルフィの首根っこを引きずりながら二階の自室に上がった。
散々稽古でしごかれたあとなのだ、さすがに疲れた。汗も流したいし、横にもなりたい。
明日は土曜だがやはり朝から稽古がある。
用があるなら手短にしてほしいとつい願ってしまったところで、こいつに冷たいと責められる義理はなかろうと、麺を啜りながらゾロは思った。
ところが。
「これ見よう、ゾロ!」
元気良くそういって、ルフィが鞄から取り出したてみせたのは一枚のDVD。
「は?」
「今日ウソップんちに行ったら、あ、ウソップってオレの友達。前に会ったよな?こーんな長い鼻した面白いヤツ。
あいつ将来アートな映画監督になるのが夢でさ、DVDなんてすげぇ数持ってんの。それも壁一面だぜ。
うーん、あのコレクション、ゾロにも見せたかったな〜」
「で?」
先を促す。
ルフィが脱線し始めたら止まらないのは、長い付き合いだ。身に染みてよく知っている。
「そうそう、そこでこんなの見つけてさ、ウソップに頼んで借りてきた。だから一緒に見ようぜ、ゾロv」
語尾にハートマークをつけて頼んでもダメだ、今日はもう帰れ。
そう言おうと思ったが、タイトルに気付いて、言葉はゾロの口からは出る前に止まった。
「ルフィ、借りてきたってこれか?」
「うん、『マスクオブゾロ』って映画。だってまんまゾロとおんなじ名前じゃん、面白くねえ?
なあなあゾロ、おまえこの映画知ってた?」
「タイトルくらいはな」
「へ〜、オレ全然知らなかったぞ。『ゾロ』ってヤツが出てくんだろ。なんかワクワクすんな〜」
絶対カッコいいぞとルフィは笑う。
幼馴染と言う一言では括れないくらい、ルフィとはいろんな時間を共有してきた。
その過ごした数え切れない時間の分だけ、ゾロにとってルフィは自分の中の大半を占めるくらい特別な存在になってしまっているが、
年を重ねるにつれ、ルフィにはルフィの世界ができていく。
今日は友達と会うんだ、そんな言葉を聞くたびにだんだん自分とルフィとの間が開いていくような気がしてならない。
所詮自分たちは「単なる幼馴染」。
大きくなれば自然に離れる仲だったのだと、次第にルフィが遠ざかっていく不安をゾロはいつしかそんな言葉に収めて、
自分から距離を置くようになっていた。
いつかルフィが自分の前からいなくなったとき、その喪失感に打ちのめされないように、
胸にぽっかりと大きな穴が開かないようにするために。
だが、ルフィにとっては、そんなゾロの思惑など全く問題ではなかったらしい。
いつでもなんの躊躇いもなく、ぽんとゾロの中に飛び込んでくる。
今日だって、DVDがゾロと同じ名前だというだけで興味を引かれ、
そしてこんな遅くにわざわざ一緒に見ようと訪ねてきてくれた。いつ帰るとも分からない自分を、延々と待っていてくれた。
他愛もないそれだけのことが、ふっとゾロの胸を温かくする。
子供の頃と少しも変わらない、全てを吹き飛ばしてしまうような屈託ない笑顔。
夏のお日様みたいね、とよく母がそう例えて笑っていた。
その笑顔に昔からゾロは敵わない。
シャワーも休息も朝稽古も、そんな細々したことはもうどうでもよくなった。
「わかったよ、つきあうぜ」
ゾロはあっさり降参し、やったーとルフィがベッドの上にぴょんと飛び上がる。
「やっぱりゾロだ、だから好きだぞー」
「…そんなにオレと見たかったのかよ、おまえ…」
「うん、だってオレんちDVDの機械ないしさ」
がく…。
やっぱりこいつはこいつだった…と、なんとなくがっくりして凹んだ気分のままパッケージを見れば137分。
2時間ちょいか…。
軽いめまいを覚えながら、少し待ってろとルフィに言い聞かせて、ゾロは追加のカップラーメンを取りに下におりた。
「ゾロ、携帯あるか?」
カップラーメンに加え、母が用意してくれたスナックの皿と飲み物を手に、
準備万端整えたゾロが腰をおろすと、DVDをセットし終えたルフィが携帯を貸せと手を伸ばしてきた。
ほらと渡せば、遠慮なくルフィがその電源を切ったのでさすがにゾロも慌てる。
「ちょっと待て、部活とかの急な連絡が入るかもしれねえだろ!」
「何言ってんだ、ゾロ。上映中は電源を切るもんだ」
「ここは誰の部屋だよ…」
思わず呟けば
「こんで誰の邪魔も入んねぇぞ?」
にっと見上げてくる大きな瞳に魅入られて、二の句が継げなくなる。
改めてルフィに勝てない自分をゾロは思い知らされた。
そんな成り行きで付き合わされたものだが、その映画は結構楽しめた。
ゾロの目から見れば「英雄ゾロ」とは言えやはり素人の剣捌き、とはいえ西洋の剣劇もなかなか面白い。
字幕なので音としては英語が羅列されるだけだが、それでもゾロと言う固有名詞が耳に残る。
人々が口にするゾロ、ゾロという自分と同じ名の連呼が、どうにも恥ずかしいと思った。
画面から目を逸らしてちらりと隣のルフィを見やれば、ルフィは画面から眼を離すことなくじっと見つめている。
その集中振りをよっぽど面白いのかと微笑ましく思っていると、
「あのさ」
ふいにルフィが呼びかけてきた。
「どうした?」
ゾロが尋ねたが、ルフィはまだ膝を抱えた姿勢のままTVから目を離さない。
「オレ…ホントはこの映画ウソップんちで見たんだ」
意外な言葉にゾロは驚く。
「ゾロとおんなじ名前だからあれ?と思ってパッケージ眺めてたら、
ウソップが来てこれは面白いから見ようぜって言ってくれて、で2人で見たらホントに面白かったんだけど…」
「だけど、何だよ…」
画面の中で相変わらず「ゾロ」は何か喋っているけれど、もうゾロの耳にはルフィの声しか届いていない。
「映画の中でみんながゾロって言うんだ。『ゾロがきたぞ』『伝説のゾロだ』『ゾロはどこだ』、
ゾロ、ゾロ…。
それ聞いてたらなんか、急に面白くなくなってきた…」
ルフィが抱えた膝の中に顔を埋める。
「女が呼んで、子供が呼んで、じいさんが呼んで…。…ちっきしょう、オレのゾロだぞって思った」
ルフィの頭が伏せられたままゆっくりと左右に振られている。
「ゾロのことそんなふうにいっぱい呼ぶのは、オレだけなんだぞ…って…そしたらなんだか、すっげぇ悔しくなって…」
ゾロ
ゾロ
ゾロ
ルフィの声が自分の名を呼ぶ。
幾度も幾度も呼んでいる。
昔からいつでもその声はゾロの傍にあった。
後ろから追いかけながら
前を走りながら
手を繋ぎながら
背に背負われながら
笑いながら
泣きながら
怒りながら
ルフィがゾロを呼ぶ。
それはずっと当たり前のように存在していた、胸が痛くなるほど懐かしい2人だけの時間だ。
「なんで映画にイライラすんだろ、オレ馬鹿みたいだ、ってそんなこと考えるうちに、なんかものすごくおまえに会いたくなった…」
気がついたらDVDを手にウソップの部屋を飛び出していた、とルフィは言う。
「あ―くそ―――!!」
がばっと勢い良く立ち上がると、ルフィはTVのスイッチを切った。
「ルフィ?」
「ゾロ!」
「あ?」
「ゾロ!」
「おい…ルフィ…」
「ゾロ!」
「……」
目の前で繰り返し繰り返し、ルフィはゾロの名を呼び続ける。
幾度も幾度も、数え切れないくらい繰り返す。
真っ直ぐ自分を見つめてくるその目の強さに圧倒されて、ゾロは返事をすることもできなかった。
「ゾロ」
ルフィがゾロを呼ぶ。
「ゾロ」
ふんわりと。
「ゾロ!」
真っ直ぐに。
「ゾ〜ロ」
甘えるように。
「ゾロ…」
何かをねだるように。
「ぞろ…」
かすれるように。
ジジジ…と微かにDVDの動く音がする。
映画はクライマックスを迎えた頃だろうか、だがもうそれどころではない。
ヤベェな…、とゾロは思った。
ルフィが名を呼ぶたびに、ぞくりとした感覚が背筋を伝わり脳まで上ってくる。
妙な意識がそのまま脳内を駆け回る。
なんだよ、これは…。
自分たちはただの幼馴染。
そんな逃げ口上はもうとっくにどこかに行っていた。
「もう止せ、ルフィ…」
やっとの思いで絞り出した声で、ゾロはルフィを止めた。
いきなり中断されたルフィは、驚いたようにきょときょとと瞬きをする。
「頼むから…もう止めてくれ」
精一杯のゾロの懇願に、ん、とルフィは頷いた。
そして、あーすっきりしたと、嬉しそうに笑う。
「こんなにゾロのこと呼んだの久しぶりだ。すっげぇ嬉しいや」
確かにこれ以上ないくらい晴々とした顔のルフィを見ながら、
「そりゃあ良かったな」
ゾロは幾分投げやりに答えた。
なんとかしてくれ…。
ルフィが吹っ切れたのに引き換え、ゾロの中では悶々とした嵐が大きな渦を巻いて激しく吹き荒れている。
ずっと思ってきた相手にあんな声で幾度も名を呼ばれ、平常心でいられる男がいたら是非ともお目にかかりたい。
持って行きようのないこの熱を一体どうしてくれるんだ。
目の前にいる体に手を伸ばし、腕の中にすっぽりと抱きすくめ、
ルフィ…、と思いっきり熱い声でその耳に囁いてやろうか。
それからそれから…。
だが、ゾロがそんな思いにぐるぐると捕らえられている間に、ルフィはさっさとDVDを取り出すと鞄にしまいこむ。
そして
「ゾロ、今日はホントにありがとな。だから大好きだぞ♪」
一点の曇りもない声で「大好き」と口にしてぎゅっとゾロに抱きつくと、そのまま身を翻して、とんとんと足音も軽く階段を下りていってしまった。
そのあっという間の行動に、ゾロの思考はついていけない。
「おばちゃーん、ごっそさん!また来るねー」
下で響くルフィの声にはっと我に返り、残されたゾロは一人大きな大きな溜息をついた。
明日も早いってのに、きっと今夜は眠れないことだろう…。
< 終 >
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