花束 / 晩秋



ゾロの故郷では、11月11日のころは秋とはいっても名ばかりで、気候はもうほとんど冬と言ってよかった。
鮮やかな秋はあっという間に駆け去り、早い雪がちらほらと舞い始める寒さが訪れる晩秋。
その頃にはもう木々の葉は落ち草も枯れ、世の中はぼんやりとした薄灰色の季節に変わっていた。

師匠であったコウシロウの家の庭もそうだ。
春や夏は色とりどりの花、秋は色付いた紅葉や銀杏に囲まれた明るい庭も、毎年この季節になると途端にひっそりとした寂しさを呈す。
よく見ればどの木にも、この先の春を待つ小さなつぼみや実が潜んでおり、決して枯れているわけではないのだが、それでも当時子供だったゾロにとっては、 まるで死に絶えたかのように寂しい色で覆われていた印象ばかりが強く記憶に残っている。
特に「彼女」がいなくなってからは。


剣のライバルだった彼女が生きていた頃は、この時期それでもゾロの世界にはまだ色があった。

「なあくいな、このケーキゆがんでねえか?」
「いいの!」
「ここにチョコで描いてあるのはなんだ?」
「あんたの顔よ」
「えっ……????」
「なによゾロ、失礼なこというとあげないからね!」

毎年ゾロの誕生日がくると、決まって彼女はケーキを作ってくれた。
お世辞にも綺麗な出来栄えではなかったが、それは口にすればじんわりと胸に染みる優しい味がした。
晩秋の寂しい庭を見ながら、それをくいなとコウシロウと並んで食べた誕生日の思い出は、ちょこんと上に乗っていた赤いイチゴと、優しく揺れていた彼女の黒い髪と黒い瞳。
そんな色の記憶を伴って、ゾロの中の深い深いところで静かに眠っている。


まだ幼かったゾロが何かを考えることもないうちに、彼女の命はふいに摘み取られた。
あまりに突然の、あっけない別れはゾロの心を大きく引き裂き、そして同時にゾロの世界は全ての色を失う。
代わりに、彼女との約束という名で、遥か高いところに設えられた「世界一の剣豪になる」という言葉だけが、 唯一つ、目も眩むほどのまぶしさで光っていた。


世界一になるという夢に迷いはなかった。
彼女との約束を守ることに何の躊躇いもない。
ただ、世界一になったあと自分はどうしたいのか、それを考えると世界は急にゾロにとってぼんやりとしたものに変わってしまう。
あの晩秋の庭のように静かに色もなく閉じられた世界で、ゾロはただひたすらに剣を振り続け、遥か高みだけを見つめていた。


「人はときに、寄り道することも必要だよ」
最強の座を目指して旅立つゾロを見送りながら、コウシロウは苦笑交じりにそう言った。
何もかえりみることなく、亡き娘との約束を守ろうとする愛弟子の一途さを、 感謝すると同時に哀しくも感じていたからだ。
「わかっています、先生」
安心させるように小さく頷いて、ゾロは外の世界へ歩き出した。

コウシロウの言いたいことはわかっていた。
彼はゾロの未来が、閉じた世界の中にあることを恐れたのだ。
実際そんな凝り固まった心の在りようでは、真の剣の道が極められるはずもないと もちろんゾロ自身も知っていたから、別れ際の師の言葉は常に心に留めていた。

酒も飲んだ。
女も抱いた。
純粋な剣の道ではなく、多少裏めいたことにも手を出した。
適当な「寄り道」にそれなりに気分良く笑うこともあったけれど、だが、ゾロの世界に色が戻ってくることはなかった。


あの日までは。







飢えて乾いて疲れた体。
やっとの思いで開けた霞む目に映ったのは、壁の向こうから覗く、鮮やかな赤いシャツと色褪せてくすんだうす黄色の麦わら帽子。
「オレは強いからね」
図々しい言葉には躊躇いもない。
「海賊になれ」
おまけに遠慮もなく、こちらの言葉には耳も貸さない。
何だこいつは。
苦々しい気分でそう思いながら、その背中にしょった輝くような青い空に、さあっと自分の何かが大きく開けていく予感がした。








「ゾロ?」
目を開ければ、すぐ上から自分を覗き込んでいるルフィの赤いシャツの色が飛び込んできた。
「起きたか、ゾロ?」
「ああ」
身を起こしながら、昔の夢にまだぼんやりとしている頭を軽く振る。

ルフィと出会ったあの日、ゾロの世界は一変した。
ここは海賊船、ゴーイングメリー号の船内だ。
壁も天井もいくぶん疲れた木目の薄茶色。
そして目の前にいるのはゾロが生涯の誓いをたてた未来の海賊王。
目にも鮮やかな赤いベストに、トレードマークの以前よりさらにくすんだ麦わら帽子。

「ルフィ、おまえあいつらと島に降りたんじゃないのか?」
「そうなんだけどな…」
ようやくはっきりしてきた目に、ルフィが手にした大きな花束が映った。
「なんだ、それは?」
この船には珍しいアイテムに、くいっと顎をしゃくってルフィの腕に余るほどの大きいそれを指す。
「ナミがゾロに持ってってやれって。…誕生日だろ、今日」
「ああ…」

自分でも忘れていたのによく覚えていたなと感心しながら、ゾロはその色とりどりの花束を見る。
赤、黄、ピンク、水色、紫、オレンジ…
綺麗だと素直に思う。
ゾロの周りはいつの間にかたくさんの色に包まれていた。
そしてその中心にルフィがいる。
ルフィと出会ってからゾロの人生は寄り道だらけだ。
だがそれが最高に楽しい。
ルフィと同じものを見、同じ空気を感じる。
それだけでゾロの世界はこんなにも生き生きとして明るい。


「そんなでかい花束高ぇだろうに。あとで金払えとか言われるのはゴメンだぞ」
「ああ、この島は花がたくさん取れるから安いんだって。それにナミはこのお金は要らないってさ」
「へぇ?」
意外なセリフだ。
あの守銭奴が金は要らないと?
「その代わり、5人分のホテル代はゾロに貸しらしいぞ」
「ホテル代だぁ?」
「…今日はみんな島に泊まるから…」
「へぇ」
納得した。
目の前の大きな花束と、それを抱えた船長との二人きりの時間。
仲間たちの粋な贈り物ってわけか。



「で、今ここにいるってことは、おまえも了承済みってわけだな」
「うるせぇ」
ルフィと向かい合う形に立ち上がれば、目元を僅かに赤らめながらルフィがぐいっとゾロに花束を押し付けてくる。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「別に」

むっとした表情で睨みつけるルフィににやりと笑い返し、ゾロはルフィから受け取った花束にそっと顔を寄せた。
茎を止めてある赤いリボンに口をあて、そっと唇に挟んで軽く引くと、さら…と解けたリボンがゾロの口元に垂れ下がった。
「これでいい」
器用に喋りながら花束を床に置くと、ゾロはルフィの両腕を取る。
そして目の前で揃えた手首に口に挟んだリボンをかけた。

「ゾロ…?」
ゆっくりと、ゾロがその唇と指先でルフィの手に赤いリボンを巻いていく。
巻き終わりをきゅっと小さな蝶結びにして、ゾロは満足げに眺めた。
「おい、ゾロ…」
「たまにはこんなプレゼントってのもいいかもな」
囁いた言葉にかっとルフィの頬が朱に染まる。
いい色だと感心している自分が可笑しい。


「ちょっと待ってろよ、ルフィ」
手を縛られたままのルフィにそう告げ、ゾロは梯子を伝わって上に消えたかと思うと、またすぐに姿を見せた。
戻ってきたゾロは手に水の入ったバケツを持っている。
そして、床に置きっぱなしだった花束を取り上げ、バケツに入れた。

「あとで、ちゃんと花瓶に入れてやるよ」
とりあえず急いでるんで。そう花に話しかけてゾロはルフィに向き直る。
「何のあとだよ…」
「決まってんだろが」
「おまえ、ちょっとヤらしいぞ」
聞こえねえな、と呟いてゾロはルフィを抱きしめた。
はあ、と耳元で呆れたような、でもどこか熱を秘めたルフィの溜息が聞こえてくる。

「花がしおれる前に、済ませろよ…」
「それはさっさと抱いてくれってことか?」
「うるせぇ!」
「了解、船長」
にっと笑って、ゾロはルフィに唇を寄せた。


< 終 >



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