侘び助/伸ばす/晩秋(たぶん)



秋の一景


たぶんここは秋島だと思う、とナミが言った。
確かに、島へ降り立ってみると、頬を撫でる風は心地よく、気候は穏やかで、空には高く雲がたなびいていた。

クルー達は航海に必要な物品を買い付けに行こうと銘々降り立った。
船を入り江につける時、街が遠くにチラリと見えた。大きくはなさそうだが、一通りの物は買えるだろう、と判断する。
サンジとナミとルフィ、それにゾロが荷物持ちに加わり船から降りる。

歩きながら、ルフィはサンジに大きい肉を買ってくれとせがんでいた。
当然の如くナミとサンジはまたか、というような嫌な顔をする。
そんな苦い顔の二人に対し、ルフィはいかに大きい肉が自分にとって魅力的なのかを語り出す。
まるで親子連れだな、とボンヤリとその光景を一歩後ろから見ながらゾロは呆れる。


街までは少し歩かなくてはならないようだった。
海岸からくねくねと伸びている道をひたすら街の方へと歩いていく。
左手には森が見えている。あまり高くはないが遠くに山の峰も見えていた。
次第に道は緩い勾配にさしかかりながら、森の方へと続いていく。
街へは本当にこの道でいいのか、とゾロが前の3人に問えば、お前が言うな、と揃って突っ込みを受ける。
とりあえずゾロはだんまりを決め込む事にして、高い空を見上げた。
すこんと抜けたような青い空がただそこにあり、夏島のそれよりも幾分和らいでいる陽の光がそれでも眩しくて、ウッと目を細める。秋の日差しは、ともすれば脳天の中まで穏やかにしてしまいそうだ。
周りを見渡すと、森の木々は赤や黄色に色づき、歩く道すがら靴底からサクサクと木の葉の擦れる音がする。そうして、落ち葉を踏むたびに、かすかに萎びた匂いが立つ。

前を歩く3人は相変わらずくだらないことを喋り続け、どんどん先へと進み、後ろからついてくるゾロとの距離は開く一方だ。オイお前ら、はぐれるぞ、とゾロは前の3人に声をかけたが、またしても3人揃って、お前が言うな、という速攻の突っ込みを受けた。
そこでもうゾロは、何となく3人を視界に入れつつも話に加わる事を一切やめてしまった。

やがてつづら折りの道は、どんどんと細くなっていき、幾分森の木の茂みにも近づいたようで、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきたりして、周りの視界も木々に遮られる事が多くなってきた。
ふと、ゾロは先ほどまで目の端で捕らえていた前を行く3人を、いつの間にか見失った事に気がついた。

「全く手のかかるヤツらだな…。あれほどはぐれるなと言ったはずだが」

後ろから3人について歩いていたはずのゾロは、ブツブツとそんな一人勝手な独り言を放つ。
まあだが、とりあえず命の危険にさらされるような、殺気めいたものはこの先には感じられないし、ルフィとコックもいれば、たいていの事は何とかするだろう。

「このまま進んでも仕方ねえな。いったん船に戻るか」

そう言いながらゾロは、何故かますます森の奥深くへと迷い込んでいった。


そこは美しい森だった。久方ぶりに自然を見、美しいと感じた。
澄んだ、陸の空気は気分が良い。
普段に感じる海風とはまた違う、落ち着いた心地よさだ。
ゾロは時折、目前を鬱蒼と覆う藪に立ちつくしたり、飛び出して行く手を邪魔する木の枝をへし折りつつ先へ進む。


そこへ突然、歩いていたゾロの鼻腔に懐かしい香りが飛び込んできた。
その香りを嗅いだ途端、ゾロの脳裏に尊敬する師の笑顔が、幼い頃に通ったあの家が、そして亡くなった少女の顔が、一気にさあっと浮かび上がる。
ハッとなったゾロは、慌てて前後左右を確認する。だが、それらしきものはない。
ますますきつくなっていく坂の勾配に、多少息切れしつつも足を早めて先を急ぐ。

もっと先だ。この匂いの元は。

もつれる足もそのままに、ゾロはただ先を急ぐ。


どれくらい歩いただろうか。
ふと目の前が開け、突然の明るい日差しにゾロは目を細める。
何度か目をしばたくと、其処にはどうやら昔は民家として使われていたらしい家が一軒ポツンとあり、どうも自分はその家の裏庭らしきところへと出ていた事に気がつく。

その山奥にポツンとうち捨てられた民家は、人が住まなくなって大分経ったのであろう、酷い荒れ様だった。
戸口は外れかけ、その外れた部分から暗い闇のような家の中がポッカリと口を開けたように見えていた。
屋根は半分以上剥がれており、そこかしこになにやら生活雑貨品のなれの果てらしいものが散らばっている。
長い間放っておかれた家は、もはや家とは呼べず、何とももの悲しいものが漂っている場所だった。
少々緊張しつつ眉をひそめ、ゾロは辺りの様子を伺う。

ぱさ…

耳の奥に届いたかすかな気配に、ゾロは瞬時に後ろを振り返り、そして驚き、目を見張る。




その気配の主は赤い椿だった。
春ではなく、晩秋に咲く椿の花がそこかしこに美しく咲き乱れ、かぐわしい香りを発している。
控えめに開くその椿の花は、確か侘び助という名だったと記憶している。


昔、師であるコウシロウの庭先に植えてあった。
秋の終わりにその可憐な花をつけ、そして花ごと散っていく。

椿は咲く時期が終わると、ボトリと花ごと落ちてしまうので、「武士の首」と忌み嫌う者もいるが、コウシロウはその花を愛でていた。
何故先生はその花が好きなのか、と問うゾロに対し、コウシロウはこう答えていた。

「だって、散り際が潔いじゃあないか…。ねえ、そうは思わないか、ゾロ」

そう言ってゾロへ笑ってみせた師は、その後少し寂しそうに遠くを見ていた。



ゾロは昔の思いに浸りながら、其処にある侘び助へと近寄り、そっと手を伸ばす。
すると、目の前の花はゾロの手に触れる寸前に、ぷつりと首から落ちていった。

ぱさ…

そうしてその花は、あっけなく首ごと地面へと落ちた。
だが落ちた花は、怯むことなくまっすぐにゾロを見上げていた。

また、ゾロは周りに落ちている花の首達にも目を向ける。
どれもこれも、上を、空を見据えたまま落ちていた。

ゾロは、なるほど、と低く呟きながらも自然に口の端がつり上がっていく。

落ちて尚、上を向く花。
これこそ、まさにこれこそ、斬られても決して俯くことのない武士の首ではないか。

武士ならば死ぬ時でさえ、決して生前の己の道を恥じるような真似をしてはならない。 そんな最期を迎えてはならない。
後ろ向きな最期では、それまで生きた全てが無に帰してしまう。己が信じて歩いてきた道さえも、最後の最期に全てを辱めてしまう。


だからこそ、死して尚。
落ちて尚、上を見据え続ける。それが椿だ。それが武士の首だ。


ゾロは静かに息を吐き、背筋を伸ばす。
そうして満足げに笑むと、ゆっくりと椿に背を向けその場をあとにする。
良い最期を見せてもらった。もう十分満足だ。




元来た道を戻ろうとしたゾロは、ふと我に返り、周りを見渡す。
そういえばオレはどこから来たんだ?
それに何よりまず、ここは一体どこだ?



相変わらずゾロはガサガサと草の根を分け、額に汗など浮かべながら先へと進む。
船を降りた頃からすると、陽の位置も大分低くなっていた。
道はいつしか下り坂になった。
このまま進めば、運が良ければ街か、船を置いた入り江に戻れるかもしれない。
ゾロの靴の下では変わらず落ち葉が香り、そして、色とりどりの森は美しい。


まあとりあえず歩いていけばどこかでアイツらには会えるだろうよ。
今のところ気分は良いし、少しくらい歩くのも悪くはないだろう。

ザアと耳元を吹いていく秋風に背中を押されるように、ゾロは上を見上げる。

高く澄んだ空がただ其処にある。



<了>



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