Hot blood



ドクトリーヌと買い物に出かけたその日、村ではちょうど結婚式が行われているところだった。
大人たちは料理の準備や新郎新婦の仕度に追われて走り回っている最中で、放って置かれた形の子供たちはやがて始まる楽しいイベントの予感に、 これまた訳もなくはしゃいでいた。
落ちつかないけれどそこら中が喜びのムードに溢れ、チョッパーもなんとなく一緒になって浮かれてしまいそうになる。
だが、
「へらへらしてんじゃないよ、チョッパー」
すとんと振り下ろされたドクトリーヌの厳しい声に、現実に引き戻された。
「こんな揃いも揃って浮き足立ってるようなときぁね、絶対どっかの子供がなにかやらかすもんだ。よく覚えておきな」
その言葉の意味が判らなくて、首を捻ったチョッパーの目の前を幼い子供がよちよちと歩いていく。
幼子は自分の背の高さほどのテーブルによじ登ろうとそのクロスを両手で引っ張った。
「ほら、早速だ」
今にも幼子の上にずり落ちそうになっていたテーブルクロスには、無造作に投げ出されたまま誰も気に留めてなかった果物ナイフが乗っていた。
それを落下寸前、片手で受け止めてドクトリーヌがヒッヒッヒッと皮肉っぽく笑う。
あっという間の出来事に目を丸くするチョッパーの横では、勢いよくすっころんで額に大きなコブを作った子供が突然泣きだした。
「子供なんて嬉しくなりゃ周りなんて何も見ちゃあいないのさ。まあ治療してくれって泣きついてくりゃ、あたしらは大助かりだがね」
ヒッヒッヒッ。
口ではそういいながら、ドクトリーヌはストーブに近づこうとしていた子供の襟首をつかんで引き戻す。
口調もやることも荒っぽいけれど、いつだってドクトリーヌに間違いはない。
だからチョッパーは、この教えをきちんと脳内の引き出しにしまっておいたのだった。





浮かれた雰囲気のときには子供から目を離すな。
尊敬する師匠の教えを胸に、チョッパーは大きく深呼吸をするとしっかり自分に言い聞かせる。
「今日はルフィの誕生日だ」と。


今日はこの船に乗る皆が愛して止まない船長の誕生日。
盛大に祝ってやろうと準備に追われる仲間たちは、狭い中をばたばたと走り回り、いつになく船全体が落ちつかない。
そんなざわついた中を、当の本人は好奇心丸出しであっちへちょろちょろこっちへちょろちょろ。楽しそうに動き回っては、いろんなものに手を伸ばしている。
それは昔、村の結婚式で見た子供たちの姿とおんなじで、なんだか心配でたまらない。
だから今日、チョッパーはルフィにぴったりと張り付いて見守ることにした。
ルフィが手を伸ばしそうな危ない道具はウソップやナミを叱ってさっさとしまわせ、沸騰するやかんはサンジに言って充分注意させた。
自分の誕生日だなんてこの上なく浮かれた中、何かしでかしそうなルフィをなんとかして自分が守ってやろうと心に決めたのだ。
それなのに。



「チョッパー、悪かったってば。だからそんな顔すんなって」
な?
怒らせてしまった親のご機嫌を伺う子供のように顔を覗き込んでくるルフィから、チョッパーはぷいと視線を外した。
むっつりと押し黙ったまま、ただ手先だけ動かしてルフィに包帯を巻く。


ずっと後ろをついて歩いたチョッパーに幾分窮屈そうではあったけど、ルフィは案外そういう人の思いに聡いからおぼろげながらでも気持ちを汲み取ってくれていたに違いない、
そう信じていたのに。
ウソップに「ちょっとそこ押さえててくれないか?」と呼ばれて、手を貸しにいったほんの2〜3分の間。
その隙にルフィはさっとチョッパーの前から居なくなってしまったのだ。
焦りまくって船内を駆け回り、ようやくキッチンでルフィを見つけだしたとき、チョッパーは信じられない光景に目を疑った。
うあああ、といつも冷静なロビンやサンジがものすごい表情でうろたえている。
そんな彼らを他所に、ぼたぼたとものすごい量の血を流す手の平を見つめながら、あーあと他人事のように呟いているルフィがそこにいた。
容赦なく流れ落ちる血が、床に真っ赤な染みを作っている。
こちらに気づいたルフィが「悪ぃ・・・」と珍しく神妙な面持ちで頭を下げたが、チョッパーはサンジに「早く診てやってくれ」と促されるまでそこに呆然と立ち尽くしていた。



ルフィの左手の平は見事にざっくりと切れていた。
「ごめんなさい、私があんなとこにペーパーナイフをだしっぱなしにしていたから・・・」
傍で治療を見守りながら、ロビンがその端正な顔を曇らせる。
「切れ味抜群だな」
心配そうだったウソップはチョッパーの治療が始まったことに安心して、興味をナイフのほうに移した。
「・・・ったくアンタは何でもかんでもすぐに手ェ出すんじゃないの!」
こつんとナミがその頭をなぐれば痛ェと抗議の声が上がる。
「そんな程度の傷、舐めてりゃ治るだろ」
のんびりとした口調でゾロが口を挟めば
「そりゃ原始人並みのてめえだ、単細胞ミドリムシ」
サンジが茶々をいれ、なにィといつもの如く2人でいがみ合いだす。


「みんな少し黙っててくれない?」
普段は温厚なチョッパーのいつになくきつい口調に、皆は顔を見合わせて口を噤み、ルフィが困ったように曖昧に笑って頭をかく。
突き放したような物言いになったのは悪いと思ったが、それだけ言うのが精一杯だった。
目の裏にさっきの真っ赤な血の色が焼きついてずきずきと疼く。軽く頭を振って痛みを逃しながら、チョッパーは手を動かし続けた。
ほんのわずかな隙をつくように、ルフィはチョッパーの目を逃れ、テーブルに置いてあったロビンのナイフを手にとって、いじっているうちに手を滑らせた。
どうしていつもこんな簡単に傷ついてしまうのだろう、と悔しくてたまらない。


「だっていつもロビンが簡単そうに使ってるからさ」
とルフィは言う。
ナイフを手にしたロビンがしなやかな仕草で、す・・・と紙を切る。 そのまま寄せればもう一度くっつきそうなほど、綺麗にすっぱりと分けるその様がまるで魔法のようで、だから自分もやってみたくなった、 という言い分は確かにルフィらしく至極単純明快ではあるのだが。
「それはわかるけど、もうちょっと気をつけてくれないと・・・」
傷は意外に深いらしく、巻き終えたばかりの包帯が染み出る血にじんわりと赤く染まっていく。
じきにまた取り替えなければならないだろう。

「へーきだよ、チョッパー。オレってこういうの、わりとすぐ治るから」
だがルフィはそう言ってあっけらかんと笑うのだ。
ゴム人間の特権というところだろうが、そんな嬉しそうに言われると却ってどうにもやりきれない。
「だけど・・・痛いだろ?」
「うん?まあそりゃすこしは痛いけどさ。でもこんくらい・・・」
たいしたことねぇよ、と手をぶんぶんと振り回すルフィを、いい加減にしなさいとナミがまた叱った。
「ルフィ ・・・」
「なんだ?」
「あんまり簡単に・・・傷つかないでよ・・・」
そう口にしたら今まで我慢していた涙がこぼれてしまった。



ざわっとみんなが驚いて一斉にこちらを向いたのが気配でわかる。
そっと背をさすってくれているのはナミだろうか。暖かい手が気持ちよくて、高ぶった気分が少しずつ落ち着いていった。
そういえばこの船に乗ってからは気持ちのいいことばかりだ。
強くて、優しくて、楽しい仲間の集う船。
その中心にいるのがルフィだ。
楽しくご飯を食べる時も、
わくわくするような冒険をするときも、
そして敵と戦うときも。
いつだって、ルフィがそこにいるから皆がいる。


いくつもの冒険を乗り越えてきた中で、チョッパーは船医としてルフィの傷を数え切れないほど診察した。
衝撃を吸収するゴムの体は打撃には強いが、それ以外は他の人間となんら変わることはない。
相手が刃物ならば、ゴムの力も及ぶことなくすっぱりと切り裂かれてしまうし、熱だって、毒だって、容易くルフィの体を傷つける。


初めて会ったときは全身凍傷だった。
ど真ん中を大きく貫かれた腹の傷跡をみた。
毒に侵され何日も高熱に苦しむ姿も目にした。
氷付けにされて心臓が止まっていた。


思い出せば出すほどぞっとして、今こうして目の前で笑っているルフィはもしかしたら幻なのではないかと疑りたくなる。
ルフィの傷をみるのも辛いけれど、何より嫌なのはそれを後から知ることだ。
遠く離れていたり敵にやられて気を失っている間に、ルフィはもっと強い敵と戦って全身に大きな傷を負って帰ってくる。
それはチョッパーがルフィほど強くないからだ。


ルフィは誰よりも強い。
何たって悪魔の実の能力者であり一億の賞金首、そして未来の海賊王だ。
けれどその体を傷つけることは案外簡単で、もしかしたら小さなナイフでもその命を奪うことができるかもしれない。
それにパラミシアという通常ではありえない超人系の能力は、体に大きな負荷をかけているはずだ。
傷の早く治る体だとルフィは胸を張るけれど、そんな便利な能力もいつまでそうなのか誰にもわからない。
医者だからこその冷静な目に、真っ赤な血の海の中に倒れて動かないルフィの姿が時折ふとよぎる。


チョッパーに広い世界と、夢を実現する手段と、仲間を与えてくれたのはルフィだ。
ルフィが大好きだ。
とても大切な存在なのだ。
だから絶対に失いたくないし、本当はどんな小さな傷だって負わせたくない。


絶対に、ルフィを守りたい。




「なら、強くなりゃあいい」
頭上から響いたゾロの声に、はっとチョッパーは顔を上げた。
声には出さなかったはずなのに、全てを見透かされたようでどきりとする。
じっとチョッパーを見下ろすゾロの瞳は、厳しいけれど深くてどこか優しかった。
「大事なもんがあるなら、泣いてねぇで強くなれ」
「なる!」
「上等」
急いで涙を拭いてきっぱりと口にすれば、にやりと笑ってゾロはキッチンを出て行った。
どこへなんて聞かなくても分かる。
また甲板で鍛錬をするつもりなのだ。強いゾロがさらに強くなるために。
もしかしたらゾロも同じなのかもしれない。
大剣豪への夢へと同じくらいの重さで、失いたくないと、傷付けたくないと、その胸中に密かに思うもののためにゾロは己を磨いているのかもしれない。




「チョッパー」
ようやく顔を上げたチョッパーに、ルフィがほっとしたようだった。
「ホントにごめんな、これからは・・・」
「もう、いいんだ」
チョッパーは首を振る。
「大丈夫。オレはみんなの万能薬になるんだから、ルフィがどんな怪我したって絶対治してみせる。
それにオレはもっとうんと強くなって・・・」
ルフィを守るから、とは言わなかった。
そんなことを今の自分が口にするのはまだ早いとチョッパーはちゃんと知っている。


ありがと、と背に置かれたナミの手をはずすと、チョッパーは椅子から飛び降りた。
「どこに行くんだ?」
尋ねたウソップに、ゾロのとこだと答える。
「オレもゾロと一緒に鍛えてくる」
「んじゃ、オレも行く!」
待てよとばかりに、ルフィも元気よくチョッパーに続いた。


「メニュー変更だな」
サンジがくくっと笑って立ち上がる。
「今夜の宴会は、サンジ様特製豪華スタミナ料理のフルコースだ」
だから頑張って鍛えて来い。
そう言ってキッチンに向かったサンジに、うん、と明るく答えてチョッパーはドアを開けた。



= 終 =



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