ドガンと頭上に何かが降ってきたようなショックを感じ、ゾロはいてぇと呟きながら薄目を開いた。
すると、そこには太陽を背にして阿修羅の如く仁王立ちしているナミがいた。
顔は暗くて表情は読めなかったが、ナミの漂わせているおどろおどろしい雰囲気と、暗い顔の中目だけが異様に光り輝いているのを見て、幾多の死線を越えたゾロでさえ背筋がゾッとした。
内心とてもビビリつつ「何だ」と不機嫌そうに答える。
ゾロはのんびりと体を起こしながらも、頭の中では俺は何をしたっけかと慌てて記憶のタンスを引っ張り出していた。
「ずいぶん気持ちよくお眠りのところ申し訳ないんだけど」
ナミが地を這うような低い声で、しかも丁寧語で話している。ただごとではない。
ゾロはひやりとイヤな汗が背中を伝ったのを感じる。
でもあくまでめんどくさそうな、そしてかつ尊大な態度は崩さない。崩したくない。崩したらもっと恐ろしい事が起きる気がするので、崩せない。
「今日が何の日で私達が今何をしているのか、アンタ知ってるの?」
「ああ?」
ナミの質問にゾロは聞き返した。するとナミの声音がますます低くなった。
「何。知らないの?」
「だから何の日だよ?はっきり言え」
ゾロは明後日の方を向きながら頭をボリボリと掻いた。だが、ふとその手を止める。
手に伝わる自分の頭の形が変型していた。この女思いっきり殴りやがったな。
ゾロは見事に出来たたんこぶをそっとさする。
「あんたアイツの相棒なんでしょ。今日はね、誕生日よ、ルフィの」
ああ、そういえばそんな時期だなと思い出す。全く女という生き物は、誕生日とか記念日とかそういう日にちを覚えてるのが得意だな。その頭にもっと他の事を入れるべきだと思うんだが。
「そうか」
とりあえず返事だけは返しておく。するとナミは阿修羅の如き形相をいったん解いた。
その代わり、ハーと肩の力を抜いて盛大にため息をつく。
「そうかってね…今みんなが必死にいろいろと準備してんのよ。特にサンジ君とか」
嫌味を込めてナミはサンジ君のところを強調してみた。
ゾロはムッとしながら「アイツはコックだろ。俺にはそんな準備はいらねえよ」とナミの嫌味を跳ね返す。
「バカね、サンジ君が腕によりかけて料理するってのが、この船でどんだけ大変なのか知ってるでしょ。肝心の今日の主役がサンジ君の邪魔してんのよバカ!」
何故それを俺に言う。
ゾロの眉間の皺を見たナミは、ゾロの言わんとしてるところを理解してまた言葉を足す。
「もう、鈍いわね。だーかーらー、アイツを料理から気を逸らして、そのまま引き留めておくものが必要でしょ!
このうすらおバカ!」
バカバカと煩い。俺をバカと呼んで良いのはバカな事をしている俺だけだ。
ゾロはようやく頭がはっきりしてきて、ナミに言った。
「要するに俺にアイツのおもりをしろってか」
「あら、やっと分かったの。この大バカ!」
ゾロが何か反論しようと口を開けた途端、ナミはくるりと背を向けた。
スタスタとキッチンへ向かいながら「よろしくね、相棒さん」と手をひらひらさせる。
チッ。
大きく舌打ちしてみたが、状況はどうやら本決まりらしい。
ゾロは仕方ねぇなあと一度伸びをしてから、ゆっくりと立ち上がった。
フラフラと甲板を歩いてみたが、赤い影は見当たらない。
その代わり、キッチンから派手な音と共に「このクソゴムがああああ」というコックの悲鳴にも似た怒声が響いてきた。
ああ、キッチンに居るとか言ってたな。そういえば。
ゾロはくるりと向きを変え、キッチンの扉をカチャリと開ける。
その途端顔面に何か赤いモノが飛んできた。
どかんという音と共に、気がつけば顔の上にルフィが被さったまま仰向けに倒れていた。
「クソマリモ、おせぇんだよ!とっととそいつを海に沈めてこい!」
仕事の邪魔をされ続けて気が立っていたコックは、包丁をかまえて怒鳴る。そしてゾロが何か言う前に、ナミが勢いよくバタンとキッチンの扉を閉めた。
「オイ、お前一体どんだけやらかしたんだよ…」
ゾロは顔面からルフィを引っぺがしながら呟いた。
だがルフィの返事はない。かなりの勢いでのされたらしいルフィは完全に伸びていた。
ゾロはその場に座り込んだまま、伸びたルフィの背中を眺め、空を眺め、欠伸をした。
敵の襲来がなければ、俺達はホントにこの船に居場所はない。要するに暇だ。
真上の空には雲一つなく、明るい太陽が降り注ぎ、マストの上からは見張り台にいるのであろうウソップの鼻歌が聞こえてくる。
ふとキッチンから良い匂いが漏れてくる。するとルフィは伸びたままでもグーと腹だけは鳴らす。
ウソップの鼻歌とザアンと船の底を叩く波の音とルフィの腹の音。
あまりに平和で間延びしたような時間に、たまらず眠気が襲ってきたゾロはそのまま目を閉じた。
だいたい誕生日祝いだ何だと張り切るってのが、どれだけ馬鹿馬鹿しい事かというのが何故アイツらは気がつかないのか。
いやそれとも単なるバカ騒ぎがしたいだけなのかもしれない。
そもそも誕生日などにこだわらずとも、皆がこの船にのってコイツと旅をしている事だけで十分説明できるだろうに。
この船にのるってのは、この船長についていくということは、そもそもそういう事だ。
強い信念がなければとっくに膝をついている。そんな過酷な旅だ。
ここにいる皆がそれなりの覚悟を持ってその旅を続けているのは、自分の夢を叶えるためでもあるが、それと同時に、こいつの夢もまた共にみてみたいからではないか。
海賊王というとんでもない夢に皆が魅せられ、そのとんでもない夢の先に一体何が見えるのかと時折背伸びしてみるのは、何よりもその証ではないか。
命を懸けてこいつと共に在る。そんな毎日を送る。
それこそ、この船では毎日がこいつへの誕生祝いじゃないか。
命を懸けてこいつを祝ってるじゃないか。
こいつと共に夢をみようと毎日あがいているではないか。
やがてぐうぐうというルフィの腹の音にゾロのぐおーといういびきも重なるのにそう時間はかからなかった。
そして目が覚めたルフィがキッチンへと再び襲撃を開始し、その後ナミの阿修羅の如き形相を再びゾロが目にしてしまい、話は結局最初に戻る事になる。
そうして毎日が誕生日の、その中の一日が平和に過ぎていく。
ゾロのたんこぶもまた増えていく。