真っ赤な太陽



幼い頃に描いた家族の絵。
そこには、笑顔のベルメールさんとノジコ、そして私。みんな笑ってる。
笑顔の私達を照らしてくれるお日様は、まるでミカンみたいなオレンジ色だ。
あの時、何もかも失った時、あの絵は破いて捨ててしまった。幸せだった頃の絵を見るのが辛かった。
それにアーロンパークへ持ちこむ自分の荷物の中に、ベルメールさんの思い出はいらなかった。なぜなら私はベルメールさんの気持ちに応えるためだけに生きていたのだから。
ベルメールさんがいなければとっくに死を選んでいた。
ベルメールさんは、私にとってずっとずっとオレンジ色の太陽だった。



ベルメールさん…

そっと呟いた自分の声に驚いたナミは、パチリと目を開ける。
一瞬自分がどこで何をしていたのか分からず、茫然となる。
目の前には開きっぱなしになっている航海日誌とかきかけの地図。
顔を上げて周りをよく見ると、ここは誰もいないキッチンのテーブルで、どうやら自分はテーブルに突っ伏したまま寝てしまっていたらしい。
テーブルの上の散乱した自分のもののその向こう側には、サンジがいれてくれたのであろう、紅茶がひっそりと置かれていた。
サンジ君はいつもとても優しくて暖かい。気持ちよい距離を保って、ほどよく甘やかしてくれる。
ナミはそっとその紅茶のカップを手にとって一口飲んだ。
疲れていたのだろうか、少し目を閉じていただけなのに、すっかりうたた寝をしてしまった。
夢までみるなんて。
ナミは急いで立ち上がるとキッチンの扉を開け、甲板へと出る。
その途端溢れ出した光に、ナミは眩しくて目を細める。



グランドラインに入ってからというもの、航海日誌につけている日付と季節は全く合わなくなっていた。それでもここ最近の陽気は、置き去りにした季節が追いかけてくるように、本来の5月にあるべき初夏のような気持ちの良い天気が続いていた。
水色の絵の具をひろげたような優しい色の空には、白くたなびく雲が気持ちよさそうに浮いており、船の軸先が海を割って走るその時に、太陽を跳ね返しては光る水面も、いつもより透明な煌めきに見える。
落ち着いた気候に、次の島が近いのかもしれないと感じていたナミは、甲板の手すりに寄りかかり、ログポースの丸い球体の中の指針を通してまっすぐ前を見ながら、遠く島影が見えないか水平線に目をこらしてみた。
だが、指針の先には船首を陣取っているルフィの背中しか見えない。
いつもいつも、この背中越しに進路を見ている。ログポースの指す指針の先にはいつもルフィの赤い背中がある。いつもこんな具合で、島より先に赤い背中を見つけてしまう。ナミはレンズ越しの赤い背中を見ながら苦笑した。

「ねえルフィ、いくら船の一番先に張り付いていたって船の速度は変わんないのよ!」

声を張り上げてみても、背中越しに振り返る彼は、いつもの通りにニタッと笑ってみせるだけで、その場所から動こうとはしない。言うだけ無駄だった。
ナミは大きく息を一つ吐いて、船首近くまでゆっくりと歩いていく。そして、ルフィのすぐ後ろに立って進路を見た。

「…島は見えそう?」

ナミは島がまだ見えない事を分かっていて、わざとルフィにきいてみたが、「いんや、まだだ」と思ったよりも不機嫌そうな声で答えが返ってくるのに少し驚いた。
ルフィの相当焦れている様子が伝わって、ナミはついブッと笑ってしまう。

「だから、ここにいたって船の速度は変わんないって言ってるのに」

ルフィは船首からチラリとナミを見下ろしたが、またすぐに顔を正面に向けてしまった。

「いいんだよ、ここにいると気持ちいいから」

「あっそ」

呆れたナミは小さな声で返し、黙ってしまった。



ナミはそのままルフィの斜め後ろに立って、まっすぐ前を見ている。ルフィがいつも見ている景色を、すぐ近くでじっと見てみる。
確かに船の一番前にいると、ザアン、ザアンと船の先が海を切り裂いて前に進んでいくのがよく分かる。
波しぶきが時折甲板まで届いて、ナミはチラリとそれを目で追う。するとそのしぶき達は太陽の光にキラリとはねて、まるで小さな宝石のようだった。
真正面から吹く風は、耳元をびゅうと掠めて勢いよく後ろへと吹き抜けていく。
あまりに強く吹くので、迷いとか後悔とか、足下が止まるようなそんな気持ちなどはどんどん後ろへと飛ばされていくようだ。
なるほど、一番先頭に立つって気持ちいいわね、とナミは一人納得した。

「な?気持ちいいだろ」

ルフィは勝ち誇ったようにナミを見下ろして言った。

「そうね。まあまあね」

ナミは、考えてる事がうっかり顔にでちゃったかしら、と慌てて下を向き、足の先を甲板になすりつけながら仕方なさそうな声で答える。


居心地が悪くなったナミは、「しっかり見張っててよ」とブツブツ言いながら、ルフィに背を向けて歩き出した。
ルフィは時々人の事全部分かってるみたいな言い方するから、イヤだわ。
ナミはチラリと見えたウソップの背中に「島が近づいたらちゃんと働いてよ」と八つ当たりして、虫の居所の悪さを何とかしようとした。


何だかあの絵の事を思いだしたせいか、落ち着かない。
ナミはちらりと船の上のミカン畑を見上げる。
オレンジ色の果実がいくつか見える。私の大事なオレンジ色のお日様。
笑顔。オレンジ色。お日様。



考え込んでいたナミの耳に、ルフィの嬉しそうな「しーまがみえたーぞー」という唄うような声が響き渡った。

その声にはハッと我に返ったナミは船首を振り返って今にも踊り出しそうなルフィを見て舌打ちし、それから慌てて船の側面際まで走る。
思ったよりも早く島が見えた。このままだと少し計算が合わない。
ナミは船の横から身を乗り出して、じっとすぐしたの水面を見る。それからおもむろに腕を前に上げ、ログポースの先を島影にピタリと合わせる。

「面舵よ、急いで舵きって!!今のっているこの潮流から離れないと島から遠く流されるわ!みんな仕事よ!」

ナミは声を張り上げて男達をどやしつけた。途端にバタバタと足音がして、甲板が騒がしくなる。
ルフィも船首から飛び降りて、みんなと同じように慌てて甲板を走り回る。その仕事ぶりを見て満足したナミは、もう一度ゆっくりログポースをのぞき込んだ。


そこには島影を遮る真っ赤な背中はもう見えない。
ゆっくりと向きを変えていく船体を感じながら、ログポースの先に見える島影を確認し、ナミはまた思い出していた。



…幼い頃に描いたあの絵。
大好きなベルメールさんと、ノジコと私。
眩しいくらいの笑顔の絵からは、本当に笑い声がこぼれ落ちそうだった。
大好きだった、私のオレンジ色のお日様は、もう今はいない。
あの頃に比べてたくさんのものを失った私だけど、真っ暗闇の世界で迷いながら生きていた私だけど、また新しい、眩しいお日様を手に入れた。

そのお日様は赤くて強くて、どんなに曇りの日でもいつかはきっとその光で空を眩しく照らしてくれる。
もう私はきっと二度と迷わない。
ただ、そのお日様を手に入れるかわりに、私もまたそのお日様に手に入れられてしまったようなもんだけれど、 まあ五分五分でいいんじゃないかしらと思ってる。




突然目の前に赤い何かが映り、ナミの心臓がドキンと大きく鼓動した。
よくよく見るとそれはいつもの赤い背中。またしてもちゃっかりルフィが船首に舞い戻り、座りこんでいたのだ。
ナミは赤い背中を見ながら、諦めたように笑う。

この船の上では、ログポースの指す指針の先は、どんなに時でも真っ赤な太陽なのだ。
そして私は勿論、もう進むべき道を迷うことはない。
ただまっすぐに、あの赤い太陽を目指せば良いだけだから。
そう、何があろうとも信じて、まっすぐに!




<了>



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