ルフィはサンジの店からそう遠くないところに住んでいる。
走ったら5分程度だろうか。
子供みたいにまんまるな目をしたこの大メシ食らいと何がきっかけで知り合ったかなんてもう忘れたが、気が付けばルフィは毎日のようにこの店に来ている。
緑色の髪をしたマリモ野郎や妙なテンションの鼻長男と一緒のときもあれば、1人でこの店の一員のような顔をしてサンジたちと一緒に賄いメシにありついてるときもある。
ちゃっかり厨房まで入り込んでくる様は厚かましい以外の何物でもないが、その辺がルフィの得なところ。
一応ウェイターの真似事などして手伝ってくれてもいるし(割った皿の数はハンパではないが)、何よりそれはそれは美味そうな顔で食うものだから、
サンジも頑固一徹な祖父のゼフもこのクソちびと口では文句を言いつつ、却って最近ではルフィの好みそうな物を用意して待ってしまっている。
結局は2人そろって天真爛漫なルフィの笑顔にすっかりやられたと言うわけだ。
店を出て西に数メートルほど行ったところに歩行者用の信号機があった。
といっても道幅は狭く、交通量もたいして多くないので夜間は押しボタン式の点滅信号に変わる。
ルフィはいつもここを渡ってくるのだが、不思議なことにサンジと知り合いこの道を通うようになってからのこの数年、ルフィは一度も赤信号に引っかかったことがないのだという。
さ、今日もサンジの店に行こう、
そう思いながらやってくると決まって信号は青で、一度として立ち止まったことなく店に来ているのだそうだ。
何回か続いたところであれ?と思い、その内にそういえば・・・と首を傾げ、連続記録が更新され続ければよっしゃーという気になってくる。
もちろん今日も信号は青かった。
「マジかよ?」
「別にズルなんてしてねえよ」
なかなか信じようとしないサンジに、今日の賄いのピラフを口に運びながらルフィは得意そうに胸を張ってみせた。
「そりゃちょっとは早足になったりするときもあるけどさ、走ったことなんてないぞ。何でか知らないけどいっつもちょうど青に変わるんだ」
信号のそばまで来ると、ルフィの脳裏には店の入り口がもうはっきりと映る。
いかにもゼフらしい、派手さはないがどっしりと落ち着いた店構え。
一見普通の家のようだが、入り口の前に植えられたハーブや季節の花々の間から覗く、「バラティエ」とほんの少しだけ洒落た書体で書かれた看板と、サンジ手書きの今日のメニューを記した黒板が、影からそっとその存在を主張している。
「あの信号からならもう目を瞑ってたって来れるぞ」
ここはルフィの大好きな場所だから。
途切れたことのない青信号の記録。
それがオレの自慢なんだとルフィが笑う。
「なんかさ、いつでも来ていいぞって、サンジが出迎えてくれてるみてぇ」
しししと、顔全体を崩した嬉しそうな笑顔を向けられて、サンジは参ったと思った。
真っ直ぐに好意を寄せてくるルフィを、サンジもまた素直に可愛いと思う。
「ルフィ」
「ん?」
からん・・・
ルフィの手を離れたスプーンが、軽い金属音を響かせて床に転がった。
「あ・・・悪ィ・・・」
はっと我に返ったサンジは無意識に寄せていた唇を慌てて離す。
きょとんとサンジを見つめていたルフィは黙ってスプーンを拾うと、躊躇うことなくそれで再びだかだかとピラフをかきこんだ。
その様子からは今しがた起こったことなどまるで想像つかない。
まるで頓着してない食いっぷりにサンジが呆気にとられているうちに、すっかり平らげたルフィはごっそさんと両手を合わせるとさっさと椅子を飛び降り、店の入り口に向かう。
あわててサンジはその後を追いかけた。
「ルフィ」
呼び止めた声にぴたりとルフィが足を止めた。まだこちらに背を向けたままではあるけれど。
「・・・っと、今のはな・・・」
「今度の金曜、オレの誕生日なんだ」
必死なサンジの言葉を遮るように、ルフィが口を開いた。
「え?ああ、知ってるよ・・・」
「プレゼントくれるんだろ、サンジ?」
「ああ、もちろんだが・・・何が欲しい?」
「美味いメシ」
「そんなもんいつも食わせてやってるだろ」
あっさりした回答に呆れ半分寂しさ半分で返せば、違うとルフィは首を振る。
「それ、オレんちまで持ってきてくれ」
「出前かよ」
「無理か?」
無理ではないが、運ぶとなるといろいろ制限ができてしまう。
「構わねえけど店まで来てくれりゃ、もっとちゃんとしたもんが食わしてやれるぜ」
「誕生日だ、いいだろ?」
「おまえがそう言うならいいけどよ・・・」
「じゃあ決まりだ」
一歩踏み出したルフィがドアを押す。かららんと鳴ったドアベルの音に紛れ
「待ってるぞ、サンジ」
そう言ったルフィの声はよく聞き取れなかった。
それから誕生日までの数日間、ルフィは店に来なかった。
毎日のように見ていた顔を見ないのは寂しいものだと、サンジは改めて気付く。
これだけ顔を見ないのは知り合ってから初めてのことかもしれない。
やはりこの間のキス未遂がまずかったかと心を重くしながら、それでもサンジはルフィの所望どおり、今日のための料理をあれこれと準備していた。
誕生日にサンジの作る料理が食べたい、それも自分の家まで持ってこいとリクエストしてくれるのだからまだ嫌わてはいないのだろう。
「ったく・・・あのクソガキ・・・」
そんなことにほっとする自分が悔しい。
だが、この気持ちはたぶん本物だ。
この数日でサンジは自覚してしまった。自分はずっとルフィのことが好きだったのだと。
用意した容器にありったけの料理を詰め終えた頃にはすっかり日も暮れていた。
「店忙しいのに悪いな、ジジイ。ちょっとこれルフィに届けてくる」
そう告げるとゼフは
「てめぇなんざ、いてもいなくてもかわらねえから急がんでいい」
とだけ答えて、さっさと行けと手を振った。
なんだかすっかり気持ちを見透かされてるようなのが照れくさくて、うるせぇジジイと返事をする。
ルフィのためにと用意した料理の包みは両手にどっさり抱えるほどで、一体何人のパーティだと自分でもつっこみたくなるが、
それでもきっとこれを目にしたルフィは嬉しそうにその目を輝かせてくれるだろう。
そんな期待に自然に緩む頬を軽く戒めながら、サンジは店を後にした。
先を急ごうとする足を止めたのは、すでに押しボタン式に切り替わった信号が、赤になっていたからだ。
うきうきした気分が一気に冷めていく。
なるほど、と思った。
『いつでも来ていいぞって、サンジが出迎えてくれてるみてぇ』
ルフィの言った意味がようやく理解できた。赤信号で止められると、なんだか歓迎されてない気がしてならない。
暗がりの中、手元の柱のボックスに「ボタンを押してください」という赤い文字がぼんやりと浮かび上がっていた。
この先に進むには・・・ルフィの元に向かうには、これを押さなくてはいけないのだと気付いた。
サンジ。
ルフィが自分の名を呼びながら、にっと笑う。
ルフィの笑顔はとても好きだ。
サンジと呼んでくれる声が好きだ。
美味そうに自分の料理を食べてくれる幸せそうな表情が好きだ。
くるくるとよく動く黒い大きな瞳が好きだ。
・・・ルフィが好きだ。
ボタンに伸ばした指が止まる。
赤信号を青くしたら先へ進める。
でも押してしまったら、もう後へは戻れない。
いいのか。本当に。
元々人通りの少ない道路だ。車も思い出したようにたまに通るだけで、人なんて全くやってくる気配がない。
サンジが押さないかぎり、信号は赤いままだ。
押さなければ進めない。
押したらもう進むしかない。
どれくらいそうしていたのだろう。
「サンジ!!」
反対側の道路、といってもすぐ目と鼻の先だが、駆けてきたルフィが向かいの信号機の下から大きな声でサンジを呼んだ。
「何やってんだよ、そんなとこで!」
「悪ィ・・・」
「遅いから腹減ってしょうがねえよ。早く来いってば!」
ぶんぶんと大きく手を振るルフィに、サンジは苦笑して答える。
「行けねぇんだよ、ルフィ。赤信号なんだ」
「じゃあ青にすりゃいいだろ」
「どうやって?」
「自分でそこのボタンを押せ」
「オレがか」
「おまえがだ」
きっぱりしたルフィの言葉にさあっと霧が晴れていくような気がした。
「わかったよ・・・」
ゆっくりとボタンに指を伸ばすサンジに、ルフィの声がかかる。
「今日は母さん帰ってこないんだ、おまえが来てくれないとオレは誕生日なのに1人でいなきゃなんねえ」
ぴた、と決意したはずの指が再び止まった。
「はぁ、マジかよ!?なに考えてんだ、てめぇ!?」
無自覚なのか何なのか。
怖いもの知らずの誘いが腹立たしい。腹立ち紛れにサンジは道路越しに怒鳴りつけた。
「ルフィ、どうしておまえはそうやってオレを追い詰めるんだよ!!」
「なんだよ、オレんち来るのがそんなにイヤかよ!?」
「誰もそんなこと言ってねえだろ!」
だが夜を通して2人きり、そんな理性との闘いの様な状況はさすがにまだ遠慮したかった。
「ちっとは考えて物を言え、ガキ!」
「おまえが考えすぎなんだ、サンジの馬鹿野郎!!」
だがそんな怒鳴り合いは、
「こないだキスしようとしたくせに」
ルフィのこの一言で終焉を迎えた。
ぐっと喉を詰まらせたサンジは二の句が継げない。
「もういい、ゾロやウソップも呼ぶ・・・」
そう言ってルフィがポケットから携帯電話を取り出し、ぱちんと開いたそのとき。
ぱっと信号が青く変わった。
両手にルフィの大好物を山と抱えたサンジがゆっくり横断歩道を渡ってくる。
「クソガキ」
澄んだ水を思わせる青い瞳が金糸の髪の下からルフィを睨みつけるが、もちろんルフィもその闇よりも深く煌めく黒い瞳で睨み返す。
「サンジはいつもそうやってグズグズしてるから赤信号なんかにつかまるんだ」
「うるせぇ」
片方持て、とサンジはルフィにどんと右手の荷物を押し付ける。
「重てぇ」
「当たり前だ、夜通し食えるくらい用意してきたんだからな」
「そりゃ楽しみだ」
「おまえの好物ばかりだ。だから他のヤツは誰も呼ぶんじゃねえ」
「ふーん、どうしよっかな」
しししと悪戯っぽく笑うそんな憎らしいほどの笑顔すら・・・可愛いと思う。
これは重症だ。恐らくもう治る見込みもないほどに。
ルフィと並んで歩きながらそういえば・・・とサンジはふと気付いた。
「おまえ、夜うちに来るときはあそこって赤信号だったんだろ」
「うん」
今更なにを、という不思議そうな表情でルフィがサンジを見上げる。
「じゃあおまえも自分でボタン押してきてたわけだな」
「いーや」
「は?」
「そんなもん押すわけないだろ」
ルフィがあっけらかんと答えた。
「赤信号なんて気にしないで、いっつもそのまま渡ってたぞ」
「信号無視かよ・・・」
「だって、青に変わるの待ってる時間が勿体無いじゃんか」
当然だという風に胸を張る、その堂々としっぷりにはもう脱帽するしかなかった。
ボタンは自分の手で押してしまった。
目の前には青信号。だからサンジはそのまま進むことにした。
「覚悟しろよ、ルフィ」
最もそう言ったところで、どこまで進めるかはわからないけれど。
そんな自分に苦笑しながら、サンジはルフィの肩を抱き寄せた。
= 終 =