Sweet apple


調子に乗ったときのウソップの声はとにかくでかい。
「ええっ、おまえらマジに知らないのか!?」
ぽかぽかと音でもしそうな穏やかな日差しが、ゆったりと降りそそぐ昼下がり。
甲板に仰向けになって目を閉じていた(要するに居眠りしていた)ゾロは、 耳に飛び込んできたウソップがいつもの如く大袈裟に叫ぶ素っ頓狂な声に起こされて、倒くさそうに片目を開けた。
一体アイツは何やっていやがるんだとそちらを見やれば、ロビンとチョッパーを前に並んで座らせたウソップが口角泡を飛ばし熱弁をふるっている真っ最中であった。

「大体ロビンもチョッパーもだなぁ、いつも難しい本ばかり読んでるくせにそういう系の話を全く読んだことないってのはよくねぇ。 物語・・・特に昔話ってのは、人の心を豊かにする・・・えっとなんだっけ・・・?」
肝心なとこで首を捻る辺りが少々頼りない。
「ああ、そうそう、情操教育ってヤツだ、うん、子供の情操教育の観点から見ても、すごく大事なことなんだ」
膨大な知識量を誇る博識な考古学者と、その小さな頭いっぱいに医学知識をこれでもかと収めてある船医相手にも全く怯むことなく、 ウソップは胸を張って持論を披露している。
要するに、(育ってきた環境のせいもあって)昔話や物語といった類の話を全く知らない二人に、
『情報と言う観点ではほとんど役に立たないのかもしれないが、人間らしい心を養っていくためにできれば知っていたい知識』 というものを教えてやりたい、ウソップらしい親心と言うところか。
「ホントにしょうがねぇな。今からこのウソップ様が特別講演をするからちゃんと聞いてるんだぞ」


全くウソップの声はでかいと、ゾロはつくづく思う。
船中に響き渡る熱演に、何ごとかとキッチンから出てきたサンジや見張り台の上のナミまでが面白そうにこちらを見ている。
ルフィなどはいつの間にかロビンとチョッパー、二人の間にちょこんと陣取って、かぶりつきでウソップの熱演を見物していた。
それにしても豪語しただけあって、さすがにウソップはよく話を知っている。
カニとサルが物々交換をした話、ガラスの靴を落とした女の話、三匹のクマの家に迷い込んだ子供の話。
ロビンとチョッパーがまた楽しそうに聞くものだから、ウソップの口は留まることを知らない。ふと気付けば昼寝の続きも忘れて、 延々と続く独演会に付き合っていた自分にゾロは苦笑する。
いい加減あっちはほっといて寝なおそうと体勢を入れ替えたものの、ウソップの声はいつまでもゾロの頭の中に響いて止まなかった。
最後に聞いたのは鏡とりんごと小人が出てくる姫君の話だったか。

・・・きっとそのせいなのだ。あんな夢を見てしまったのは。






ゾロは暗い森の中を一人急いでいた。
真っ黒なローブをまとい、頭までフードですっぽり覆ったその姿はまるで保護色のように森の木々の間に紛れている。
その出で立ちから察するに、どうやら自分は魔法使いであるらしい。(夢なのでその辺の認識があやふやだ)
手に持つのは籐で編んだかご。上にかぶせた布の間からは瑞々しい緑色のりんごが覗いている。
先日城を訪れた行商人から買ったそれは、齧ると程よい酸味と甘みがすぅっと口の中に広がった。
売り文句の通り確かに美味い。これならアイツもきっと喜んでくれるだろう。
この世の最後の食い物なのだからそれくらい気の利いたことをしてやらなくてはな、とゾロはくくくと堪えきれない笑いを漏らした。

この数日間、ゾロは城の地下室にこもってある液体を調合していた。
それは即効性の毒薬。少しでも口にすれば即座に息絶える、効き目は抜群の代物だ。
完成した液体に満足そうに微笑むと、ゾロはりんごを一つ取り出してその片側だけをそっと漬けた。
瑞々しかった緑は、見る間にその半分を艶やかな赤色に染めあげる。
つやつやとゾロの手の中で光る、半分は緑、半分は赤のりんご。
いい出来だと、我ながら惚れ惚れと見つめた。
半分だけ染めたのはアイツを安心させるため。
目の前で半分に割って、ゾロが無事な緑の方を食って見せるのだ。
元々が食い意地のはったヤツのこと。おそらく簡単にひっかかって赤い方に齧りつくに違いない。

アイツは今、この森にいる。
自分の前から追い払い、部下にその命を奪うよう命じたのに、なぜかアイツはいまだに生き延びてこの森の中で安穏と暮らしている。
それを知ったときはなんてしぶといと歯噛みをしたが、そもそも他人にその命を任せたのが間違いだったのだ。
アイツは、ゾロが自分の手で仕留めなくてはいけなかったのに。
だから今度は自分が手を振り上げることにした。
丹精込めて作り上げたこの毒は、まるで名刀でその心臓を貫くように一瞬でアイツの魂を抜き取ることができるだろう。
苦しむ間は与えない。それがせめてもの思いやりだ。
その命をつかみとる瞬間を想像すると体がぞくぞくしてたまらなくなった。

待ってろよ、ルフィ・・・
ゾロはにやりと笑って呟いた。

森をしばらく行くと、やがてその奥のいくらか開けた場所に小さな丸太小屋が現れた。
その前で切り株に腰掛けた黒髪の少年を囲むように、たくさんの鳥やけものたちがさえずり遊んでいる。
木々の間を縫って漏れる日差しをうけて浮かび上がるそれは、まるで穏やかな一枚の絵を見ているようだった。
ほんのわずかに心を奪われはしたものの、もちろん目的を忘れはしない。
「こんにちは」
ゾロは声音を変え、できるだけ穏やかな物腰で少年に近づいた。最後の仕上げまであと少し。警戒させないように慎重に行動する。
不意に現れた訪問者にルフィは顔を上げ、動物たちは驚いたようにばさばさと羽ばたいて一斉に逃げ去った。
普段出さない声まで出した努力をあざ笑うかのように、動物たちはゾロから漏れ出る不穏な気を敏感に感じ取ってしまうのだろうか。
まぁどちらにしても邪魔者はいなくなった。残っているのはルフィだけだ。
この方が仕事はやりやすい。

「こんな森の中でお一人ですか、寂しいでしょう?」
きっかけを作るべくゆっくりと語りかけると
「何やってんだ、ゾロ?」
ルフィはその魅力的な黒い瞳をきょとんと見開いて、真っ直ぐにゾロを見つめてきた、
「は?何を・・・」
努めて知らぬふりを装いながらも声が裏返ってるのがわかる。
もうダメだ。ルフィにはすでに見透かされている。

「ああ、もう。何だよ、そのずるずるしたフードは。鬱陶しいから取っちまえ」
すたすたと近づくなり、ルフィはゾロの頭を覆う布を剥ぎ取った。
「それに変な声出すなって。風邪でも引いたんか?」
「ルフィ、オレは・・・」
「おっ、何持ってんだ?」
ルフィは目聡くゾロのかごを覗くと、その中で出番を待っているりんごを見つけた。
「食っていいのか?」
目をキラキラ輝かせて身を乗り出す姿に、ゾロもああと頷くしかない。
ルフィは嬉しそうに緑色をしたりんごを取り出すと、がぶりと豪快に歯を立てた。
しゃぐしゃぐと爽やかな音を立てて、一個また一個と、次々にりんごがルフィの口の中に消えていく。
「オレ緑のりんごって好きなんだ」
ちょっと酸っぱいけどそれがまた美味いんだよな、とルフィは軽く笑った。

最後にかごに残ったのはゾロ特製、半分が真っ赤に染まった毒りんご。
「へぇ〜これ面白ぇ色してるな」
ルフィは手に取り出して、その奇妙なツートンカラーをしげしげと眺めている。
「なんかすげぇ美味そうだ。な、ゾロ。これ半分こしねぇ?」
ルフィは邪気のない顔でゾロにりんごを見せつけると、返事も待たずにばりんと勢いよく半分に割った。
そして、ほれとゾロに突きつける。


右手には赤。左手には緑。
右手には毒。左手には甘い果実。


「オレはもういっぱい食ったからさ、今度はゾロが好きな方とっていいぞ」
にこにこと笑うその顔には何の作為も見られない。
当たり前だ。
この片方に猛毒が塗りこめられていることなどルフィは知るはずもなく、逆にゾロが追い詰められてしまう。

計画通り緑の側をゾロが食い、ルフィに残った半分、赤い毒りんごを食わせればいい。
それだけのことなのに、いざ、そのときになったらゾロには緑のりんごが手にできない。
ルフィはいつもそうだ。
いつもこうして無邪気にゾロを追い詰める。
自然に笑いながら、徐々にゾロの四肢を縛り付け、身動きが取れないようにして、さあおまえもどうだと毒リンゴを勧めてくる。
いっそ赤を取って楽になってしまおうか。
ルフィに寄せる様々な思いをひっくるめて、その目の前で一挙に断ち切ってしまおうか、とすら思う。

どうする。
どうする・・・。
無垢な瞳に見つめられながら、ゾロはゆっくりとりんごに手を伸ばす。
差し出した手の向こうではルフィがにっこりと笑っていた。






手を伸ばした先にあるそれは赤だったのだろうか、緑だったのだろうか、
りんごをつかみかけたところで、ゾロの意識は覚醒した。
はっと飛び起きると
「起きたか」
のんびりとした声がすぐ傍から聞こえてくる。
ふるふると頭を振って声の主まで視線を巡らせば、ゾロのすぐ傍に腰をおろして釣り糸をたらしているルフィがそこにいて、 ゾロは思わず大きく肩で息を吐いた。
シャツの背中がしっとりと湿っているのは気付かれないようにしようと思う。

「ずいぶん苦しそうだったな」
「変な夢を見た」
「ふーん」

釣り糸のたれた先を見たままの問いかけであり、返事だった。
ゾロの言葉にもどんなとも尋ねないし、といって聞き流すのでもない。
ただそのまま受け入れ、ルフィは変わらずそこにあり続ける。
そんなルフィに小さく息を吐いて
「おまえを殺そうとしてる夢だ」
ゾロは続けた。
またふーんと穏やかな声で返事が返ってくる。
それがあまりに穏やかだったので、だからしばしの間をおいてゾロは尋ねたのだ。
「なぁルフィ・・・」
「ん?」
「おまえはオレを殺したいか?」
と。

今更なに言ってんだ、とルフィが軽く笑う。
「オレはおまえが強くなるたんびにいつもおまえのこと殺したいって思ってるぞ。 でももしホントにそうしちゃったら楽しくなくなるから、すぐに思い直すんだけどな」
ぞっとするような答だがその目に宿る強い光は、たぶん・・・本気だ。
「冗談だって」
一瞬息を止めたゾロの気配を察したのか、ルフィはくくっと笑うと、竿を置いてゾロの隣に横になった。
「ゾロがオレを殺せねぇように、オレにもゾロは殺せねぇよ」
どうだかなと思う。

「で、どうやってオレを殺そうとしたんだ?」
その刀でざっくりか?と、そんなのんびりした話題ではないだろうにルフィは目をキラキラと輝かせて興味深そうに聞いてくる。
「いや・・・毒りんごを食わせようとした」
へぇぇとその黒い瞳が意外そうに見開かれ、
「面白ぇな」
そう言って笑った。
不意にルフィは「いいことを思いついた」と起き上がり、ちょっと待ってろと言い残してキッチンに向かって走り出した。


「剣士さん」
ゾロを残してルフィが立ち去るのを待っていたかのように、デッキチェアからロビンの声がする。
「誰かに殺意を抱く夢は、その人との関係を変えたいと望む心が隠れているのだそうよ」
馬鹿にしてるわけではなかろうが、どこか笑いを含んだ物言いが癪に触った。
「人の話、横から聞いてんじゃねぇよ」
こんな狭い場所で聞くなという方が無茶なのだ。
たぶんおさまりのつかない感情の八つ当たりだという自覚はあったが、そう言って睨みつければ
「そうね、ごめんなさい」
くすくすと笑いながらロビンが素直に詫びる。
それがまたゾロのイライラを助長させたので、空を見上げて感情を飲み込むことにした。


ルフィを殺そうとした夢・・・、
ロビンの「夢診断」を信じるならば、それはすなわちアイツとの関係を変えたいということなのか?
戦闘時に背を預けられる相棒
共に並んで生涯の夢を追いかけられる唯一無二の存在
それ以上に何を望む?
もっと違う存在としてアイツとより深く結びつきたいとでもいうつもりか。


「おまたせ、ゾロ」
戻ってきたルフィの手には緑に光るりんごが握られていた。
「一個ならいいってサンジがくれたんだ。食うかゾロ?毒はねぇぞ」
ゾロの煩悶など知らぬ気に、ぽんぽんとお気楽そうにりんごを宙に投げ上げて遊ぶルフィの真意がわからない。
「そう警戒すんな」
ほらと言って、ルフィがりんごを両手でばりんと半分に割る。
切り口から瑞々しい汁が手を伝わって零れ落ちるのが見えた。
それをルフィは勿体ねぇと慌てて舌で舐め取る。すぃ・・・と伸ばされた舌が腕を舐め取っていくのをゾロは黙ってみていた。
そのままルフィの唇は右手に握ったりんごに寄せられ、ちゅっと小さな音を立てて口付けた。
手の中の緑のリンゴが、赤く染まったように見えたのは絶対に気のせいだ。

「さあ、どっちを取る、ゾロ?」
作為か無垢か。
にやりと笑ってりんごを差し出すその顔はなんと憎らしいことか。


右手にはキスで色づいた仄かな赤。左手には緑。
右手には彼がしみこませた毒。左手には甘い果実。


その毒は効き目抜群。口にしたらあっという間に昇天なのかもしれない。
それでも。
ルフィの毒なら望むところだ。
一片も残さず食ってやる、と呟いて、ゾロは迷わず「そっち」のりんごに手を伸ばした。


<終>



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