グリーンフラッシュ
「諸君に集まってもらったのは他でもない」
ウソップは改まってコホンと咳払いをし、重々しく皆を見回した。見回した面々は、様々な表情をしながらも一様に黙ってウソップの言葉を待っていた。とりあえず、もの凄く面倒くさそうな人間が一人、貴重な時間を費やすのだから何かお得な情報があるんでしょうねと暗に脅している人間が一人、ワクワクしている人間…というか半獣が一人、全く何を考えているのか分からない表情をしているのが一人、そして全く何を考えていいのか分かっていない顔をしているのが一人。
「みんなが大好き、この船の戦闘員であり世界一の大剣豪になる予定のロロノア・ゾロの事だ」
サンジは煙草をくゆらせてマストに寄りかかって立っていたが、すぐさま反応した。
「大好きって何だそれ。気持ち悪い表現は今すぐやめろ」
だが、そんなサンジの抗議をさらりと無視してウソップは続ける。
「そのゾロが本日誕生日を迎えるにあたり、今宵は酒の席を設けている。勿論それだけで十分だという意見もあるだろうが、いつも同じようにみんなで飲んだくれてそれでお祝いってだけじゃつまんねェだろう?」
「ご馳走がでるんだから、十分お祝いだろ」
船長もサンジに次いで意見した。テメェたまにはいいこと言うじゃねェか、とサンジは深く頷きつつ、そうだそうだ、と横から口を挟む。
「そのご馳走はほとんどお前が食っちまうじゃねェか、ルフィ。お前の祝いじゃねェんだよ」
ルフィの意見もサンジと同じように軽くあしらわれてしまう。
ウソップはそこでまた、ウーン、ゴホン、アア、と喉の調子を整えてから再び話し出す。
「だからおれも考えた。おれ達なりにゾロをお祝いする事。それはやっぱり普段じゃできない事をやるべきなんだ。つまり、ゾロの誕生日にアイツが生まれてきてくれたことに感謝するべきだと思う」
ウソップの言葉に、すげェ、と一言チョッパーは呟いた。
「ウソップはやっぱりすげェ。生まれてきてくれてありがとう、なんてすごく素敵な言葉だ。そんなこと言われたら、きっとおれはすごく嬉しいと思う。ウソップはやっぱりすげェ!」
チョッパーからの大賛辞を受けて、ウソップの舌はますます調子にのる。
「だろ?おれもコレが一番だと思った。そんな訳で諸君、今日一日だけはみんなゾロの事を考えてすごそう!それが一番のお祝いだ!今日はアイツの存在そのものに感謝する日だ!」
ウソップは満足げに高尚な演説を締めくくった。
「ええっ?…ちょっと、ええっ?何よそれ。そんなこと時間が勿体ないじゃない。何で私がゾロのことを丸一日も考えなきゃならないのよ」
しばらくポカンとウソップの顔を眺めていた後、ナミがハッと我に返って抗議する。
「お前だってゾロに助けてもらったことぐらいいくらだってあるだろ。それについては感謝してもいいだろうが!」
ウソップはナミの文句に応酬したが、ナミも負けてはいない。
「ちょっと待ってよ。私はその倍くらいアイツを助けてやってるわよ。主に頭脳方面でね」
「と、とにかく、誕生日ってのはなあ、そういう日なんだよ!」
ウソップはついにダンダンと地団駄を踏んだ。
「でも具体的にどうしたらいいんだ?」
チョッパーは首を傾げる。
「そうね…例えば、剣士さんを今日一日観察してみたらどうかしら。否が応でも剣士さんの事を考えてしまうと思うけど」
チョッパーの疑問に、ロビンが笑みを浮かべながら答える。
「そうか。観察か。いいな」
チョッパーはニコニコ笑いながら頷いた。
「ちょっと待て。俺にあのマリモを一日見てろって言うのか?オイオイ何の冗談だよ勘弁してくれどれだけ拷問好きなんだよ。綺麗なお姉さんなら何時間でも何日でも見つめていられるが、むしろそれが喜びだが、いやいっそライフワークだが、何が哀しくてあんな筋肉モリモリのムサ男をしかも丸一日中目に入れてなくちゃなんねェんだよ!」
サンジは叫びながら頭を抱えて、天を仰ぎつつ嘆いた。
「ん、とりあえずウソップの言うことはわかった」
ルフィは各々の反応をおもしろがりつつ、立ち上がって言葉を放つ。
「確かに今日はゾロの誕生日だ。ゾロの日だ。だからみんなもゾロの事を考える。それでいい。みんな今日はゾロを一杯観察して、頭をゾロで一杯にしよう」
ええええ?
ナミとサンジが綺麗にはもって不満の声をあげたが、チョッパーは感激して拍手喝采をし、ロビンはクスリと笑い「素敵ね」と呟いただけだった。
「よし、じゃあ今からだぞ。用意ドンではじめるぞ」
ルフィは勢いよく号令をかける。
そんな風にして、悶々とみんながゾロについて悩み続ける一日が始まる事になる。
*******
…何だ?この殺気は。
甲板で昼寝でもしようと出てきたゾロは、何か背中にゾクゾクするものを感じ、振り返る。
すると、ミカン畑からナミがまさしく目から光線をだしているような気迫でもってこちらを見ていた。
何なんだ一体。
ゾロは気味が悪くなり、しょうがねェと小さく呟きながらナミの方へと足を運ぶ。
やがてミカン畑のすぐ真下につき、ナミを見上げながらゾロは声をかけた。
「おい」
「何よ」
ナミは目力をゆるめることなく、しっかとミカン畑からゾロを見据えながら答えた。
「さっきから一体何のつもりだ。オレに何か言いたいことがあるのならはっきり言え」
「…自惚れてんじゃないわよ」
何故かナミに逆ギレされた。
ゾロの言葉を聞いた途端、先ほどから発されていたナミの殺気がピークに達する。ゾロはつい身構えてその刺すような視線に耐える。そうしてしばらくナミはゾロをすごい目で見下ろしていたが、不意にハアとため息を吐いた。
「全く何であたしがこんな目に合うのよ。馬鹿馬鹿しい…」
ナミはもはやゾロの事など眼中になどないようで、何かブツブツと独り言を言いながらミカン畑に顔を引っ込めてしまった。
何が何だかわからないゾロは、それでもまだ其処に立ったまま動かなかった。いや、動けなかった。
その理由は一つ。ナミとは別の方向から新たに何か視線を感じたのだ。
…今度は何だ。
背後から首筋にチリチリする感覚が走る。
ゾロがそっと背後を振り返ってみると、そこにはチョッパーがじっとりと熱く自分を見つめている姿があった。
マストの影に隠れているつもりなのだろうが、相変わらず隠れ方が逆で、胴体は思いっきり外に出ている。
(だから何で俺を見てるんだ?俺に何か変なものでもついてるのか?)
ゾロの眉間の皺は一層深くなったが、そのチョッパーの怪しい視線にくわえて、どうも左方からも何かイヤなものを感じる。
チラッと眼球を動かし、ゾロはその正体を確認する。
(…今度はコックか。何なんだ。今から一戦やろうってのか。上等じゃねェか、売られたケンカはいつでも買うぞ)
ゾロは不穏な空気をまといながら、ゆっくりと体を回し、サンジの方を向く。サンジはキッチンのドアから半分体を出して、手に包丁を持ったままゾロを睨み付けていた。しかもちょっと涙ぐんでいた。
ゾロがジリジリとサンジに対し間合いを詰めていると、またしても何か視線を感じる。
(…これはルフィか?)
ゾロがちらりと顔を船首の方へ向けると、ルフィが船首に座ってヨダレを垂らしながら自分の事をじっと見ていた。
(…何故アイツはヨダレを垂らしている。何故そんな目で俺を見てるんだ。腹が減りすぎてんじゃねェのか)
ゾロは、ふと頭の真上からも何か感じた。
見上げると見張り台から双眼鏡でウソップがゾロを見ている。
何なんだ?
そんなに俺の頭が見たいのか。拡大してまで見たいのか。
そもそもアイツは何のために見張り台に立っているのだ。
敵船や島を見つけるためじゃねェのか。
少なくとも俺の頭には島は見えねェはずだが。
四方八方から視線を送られ、ゾロはどうしていいのか分からなかった。
(…俺は動いていいのか?)
今動いたら何かとんでもない事が起こるんじゃないのか?
なんでナミは俺を逆ギレしながら見ていたんだ?
なんでコックは料理の途中で包丁持ったまま俺を睨んでいるんだ。
なんでルフィは俺を見てヨダレを垂らしているんだ。
なんでウソップは俺の頭を手元の双眼鏡で拡大して見ているんだ。
なんでチョッパーは俺をはにかんで見ているんだ。
そして、さっきからこの壁にシレッと目が浮いているのはアレか、ロビンが目を咲かしているのか。
そんなにマジマジと壁から俺を見て一体何がしたいんだ。
ていうか、そもそも隠れる気がねェだろう、そんな堂々と目を咲かしてりゃ。どんな嫌がらせなんだよ。
四方八方から視線に絡み取られるような気がしたゾロは、背中をヒタリとイヤな汗がつたうのを感じた。誰も口を開く者はいない。シンと静まった甲板で波の音だけが響き、皆の視線が無言のままゾロに集中して絡まり合っている。
ゾロの緊張は否が応でも高まっていく。
(み、身動きがとれねェ…)
ゾロはとうとう息苦しくなり、そっと息を吐いた。ギイギイと船が揺れる音がやけに高く響く。船が軋む音をたてるたびに右手の中指と薬指が緊張のためピクリと跳ね上がる。
(か、刀を抜きたい。)
指は相変わらず刀を欲しがってピクピクと痙攣する。
だが、誰一人として動く者がないまま、ゾロは刀を抜こうにも抜けず、ゾロにとってはまるで一分が永遠に感じられるようにゆっくりと時間は過ぎていった。
*******
オレンジ色の暖かい光が海を照らし、大陽はひしゃげた形をして今にも海に沈みそうだ。先ほどから甲板では、悪戯に乾杯のかけ声が何度も繰り返されていた。その度にガンガンとジョッキをぶつけ合い、弾みで酒が溢れて夕陽にキラキラと跳ね返る。
ルフィは既に頬袋一杯に肉を詰め、もはや人語として聞き取れない言葉を発しているし、チョッパーはお気に入りの鼻に割り箸を突っ込む芸をやりすぎて、青っ鼻が赤く腫れていた。
サンジは、いつもに増して機嫌のいい女性達からの料理への褒め言葉を受けて、普段よりもより一層鼻の下がのびていた。
ウソップはちらりと横で飲んでいるゾロを見て、それから周りを見渡して、ゴホンと咳払いをする。
「あー、諸君。それでは一つ、ここで本日の成果を聞かせてもらおうか」
「なんだ、昼間の話か。そういや何でみんなしてあんなに俺を睨んでたんだ。何かの嫌がらせか」
ゾロは傾けていたジョッキを口元から離すと、ゴトンと甲板の床に置いて言った。
「俺は…、俺は何かもう泣きそうだったな」
サンジが思い出して泣きそうになりながら言った。
…なんでてめェが泣くんだよ。泣くくらいなら見るんじゃねェ。と、ゾロは腹の中でそう反論した。
「私は妙に腹立たしかったわ」
ナミが言った。
だからあんな睨んでたのか。じゃあ見るな。と、ゾロは再び腹の中で言った。
「いつも通り、格好良かったな」
チョッパーは目をキラキラさせて言う。
……。
ゾロの腹の中での反論は無かった。
「ふふ、本当にそうね」
チョッパーの言葉を受けてロビンが笑いながら言った。
…いつも適当に流しやがる。相変わらず本音が見えねェ女だ。と、ゾロは腹の中で思った。
「何か、美味そうだったな」
ルフィが感慨深げに腕を組んで言った。
「やっぱり食う気だったのか!」
ゾロは驚いて叫ぶ。
しまった。うっかり腹の中の声が表に出ちまった。
「ゾロのつむじは左巻きだった」
ウソップが最後に言った。
左巻きだったのか…とゾロは妙なところで感心した。
「まあ何だ。とりあえずゾロ、誕生日おめでとうってことだ」
ウソップは全員バラバラの意見をまとめることなく、強引に結論をまとめた。
「くだらねェことばっか考えてんじゃねェよ」
ゾロは呆れた笑いを顔に浮かべつつ、再びジョッキを持つと、喉を鳴らして最後の一滴まで酒を飲み干した。
そうしてゆっくりと立ち上がり、甲板の上から夕陽に照らされている赤い海を見やる。
誰ともなく、皆もゾロと同じように沈みゆく大陽に顔を向ける。誰も言葉を放つ者はいなかった。
その時だった。
一瞬、今にも沈みかけた太陽の上部がチカッと緑色に光る。それは本当に一瞬だったけれど、その光は鮮烈で、幻想的で、言葉にしがたい美しさだった。
「あ、グリーンフラッシュ」
ナミは声をあげた。
「グリーンフラッシュ?」
サンジがナミに聞き返した。
「まあ、いわゆる光の悪戯ね。地平線に太陽の黄色や赤の光線が遮られて、普段は見えないはずの緑色の光が一瞬だけ見えるのよ」
ナミは静かに答える。
美しい幻想的な瞬間はあっという間で、すぐに太陽はその姿を完全に地平線の向こう側へと隠してしまい、やがて世界はじわじわと薄暗い闇に包まれていく。
ほんの数秒の奇跡的な、そして刹那的な美しさは、それでも一度見たら忘れられないようなものだった。
そのほんの一瞬の輝きは、暮れていく太陽をじっと見つめていなければ、決して見ることが叶わない。
瞬きさえも許さないほどじっと見つめていなければ見逃してしまうくらいの、ほんの一瞬の奇跡なのだ。
一生のうちで何度見られるのか分からないほど、貴重な瞬間。
それが、グリーンフラッシュ。
「グリーンフラッシュか」
ルフィが呟き、ちらりと隣に立つゾロを見た。
一日この男を見つめていたおれたちの目にも、何か緑色の閃光が見つけられたのか。それとも、知っていたものを確認しただけなのか。
いずれにせよ、いいことだ。
綺麗なものは、いいことだ。
ルフィは暮れてしまった空に再び顔を向け、にんまりと笑った。
しばらくの間、暮れた海を眺めながら余韻に浸っていた面々だったが、やがて宴の席に一人二人と戻り、ジョッキを傾けはじめた。
再び甲板に笑い声が響きだし、乾杯の声はまだまだ続く。
たった今自分たちが目にした、自然の織りなす奇跡の一瞬の美しさに一杯。
そして、夕焼けの空を一瞬ギラリと緑色に焼くような、そんな閃光にも似た男の為にもまた一杯。
<了>
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