ぽかぽか (2007企画作品)
海を渡る海賊船でそんな話は聞いたこともないが、サニー号の甲板には芝生が敷かれている。
この船を設計したフランキーの遊び心だろうが、ごろりと寝転べばふわりとした感触が肌を包み、緑が醸す自然の匂いが包み込んでくれる。
それは食事と鍛錬以外の時間を甲板で転寝をして過ごすゾロにとっては、なかなかに有難い装備(?)だった。
もちろん今日もゾロは、すでに馴染んだその場所で心地よい睡眠を堪能していたのだが、
しかし今、ゾロのその眠りは遠慮なく顔の上に落ちてきた影によってあっさり遮られた。
頑なに目を閉じながらも、無意識によんだ気配でそれがコックのものだと知れたから、とことん狸寝入りを決め込んでいたのに
「おら、てめぇ起きやがれ!」
長閑な昼の空気をがんがんと乱す怒鳴り声とともに、荒々しい蹴りが叩き込まれる。
「・・・てぇな、このクソコックっ!」
反射的に目の前の「敵」に向かって発した殺意が、しかし一気に萎えたのは
「ほれ」
気の抜けた声で、サンジが目の前に「それ」を差し出してきたからだ。
「なんだ、こりゃ・・・」
いやこれは使う言葉が間違っている、とゾロは思い直した。
なんだもなにも、サンジが右手で首根っこを掴んでつるしているのは、この船の船長以外の何者でもない。
そういえば、昔近所の子供がこんな風に猫の子を掴んでいたなと意味もなく思い出した。
「やる」
簡潔明瞭に答えて、サンジはゾロに向かってその子猫・・ならぬ、船長をぽんと放り投げて寄こした。
「は?」
飛んできた体をとっさに抱きとめたものの、状況が今ひとつつかみきれない。
「今はすげぇ邪魔なんで、てめぇに預ける。なんとかしろ」
用は済んだとばかりにそれだけ言い残すと、サンジはくるりと背を向け振り返りもせずにさっさと立ち去ってしまった。
朝からサンジがキッチンにこもり、スロットル全開でで忙しく立ち働いていたのは知っている。
しかし何とかしろといわれても、一体なにをどうすればいいのか。
改めて腕の中にある「それ」を見つめ、ゾロはそっとため息をついた。
だいたい今日は5月5日、ルフィの誕生日ではないか。
・・・ということは、こいつがサンジが忙しくしている「理由」であり、今日はとことん尽くしてやりたい対象なはずだ。
「ルフィ、お前クソコックのとこでなにやらかしたんだ?」
「べっつに」
しらばっくれてるが(いや本人は真剣に心当たりがないのかもしれないが)、もぐもぐ動かしている口とその周りについたソースを見れば、いくらゾロでもおおよその察しはつく。
「なるほどね…」
だから「今はすげぇ邪魔」というわけだ。 ゾロは少しだけサンジに同情した。
「で、一体オレとどうするって…」
「なんだゾロ、遊んでくれるのか!」
「冗談じゃねぇ」
とたんに目を輝かせた顔に、不安を覚えてさっさと却下する。
ルフィの「遊んで」につき合わされたら、あっという間に夜になってしまうだろう。
いくらなんでもそれは御免被りたい。
「・・そうだな、オレと昼寝でもしてるか?」
こんな何もないときくらい一人でのんびり過ごしたいゾロとしては、一緒にというところでかなり譲歩して申し出たつもりだったが、
ルフィは聞くなりむぅっと膨れて、そんなのつまらないと失礼なことを言い出す。
このワガママ船長め…、
ぐっとゾロが拳を握り締めたちょうどそこへ、ばさりと洗濯したばかりのタオルが二本放って寄越された。
見やった先には壁から生やされたロビンの手。
さらに見上げればかごいっぱいの洗濯物を抱えたロビン本人とナミが、こちらを見てくすくすと笑っている。
「まだ夕ご飯までには時間があるわ。せっかくだからお風呂でも入って綺麗にしてきたらどう?」
「おお、それいいな。行こう、ゾロ」
ナミの楽しそうな提案に、すっかりその気になったルフィがタオルを持って立ち上がる。
一方のゾロにしたら、それこそ冗談ではない。
汗もかいていないのに風呂など面倒くさいと思うのだが、しかし、すでにゾロに選択肢は残されていなかった。
「ゾロ〜、風呂行くぞ、風呂♪」
「てめぇら、よくも・・・」
「悪さして逆上せないようにね」
凶悪面で睨まれようがどこ吹く風。女たちがひらひらと手を振る姿は、笑い声と重なって手すりの向こうに消えた。
全くサニー号は遊び心が満載だ。
芝生といいブランコといい、この風呂といい。
船に備え付けられた新しい機能を見つけるたびに、フランキーの心意気には感心させられる。
風呂なんてただ入れればいいゾロにしたら、船の天辺に風呂場を設え、湯につかりながらはるか海原を見渡そうなんて、考えもつかない。
そんなゾロを他所にルフィはさっさと服を脱ぎ捨て、ご機嫌なままきゃっほうと浴室に飛び込んでいる。
遊び心満載結構なこった。
今日でひとつ年をとったことはずなのに、まるで子供のように楽しそうにはしゃぐ船長の姿に、ゾロははぁとため息をつく。
早速湯船にダイビングしようとする腕を急いで掴んで、待ったをかける。
「てめぇはいい加減覚えろ。湯船に入る前は、まず体を洗え」
ふぁーいと気の抜けた返事をして、ルフィは入れかけた足を戻した。
椅子と洗面器を用意し、ルフィを前に、その後ろにゾロがつく形で腰を下ろす。
放っておけば、この男、手鉄砲で水を飛ばしたり桶でシャボン玉を作ったりして遊びだすので、手早くゾロが洗うことに決めた。
まずは頭に背中。
境目もなく一切合財石鹸でごしごしと泡立てて流す。
いてててて、と喚いて暴れるのはすべて無視した。
前はさすがに自分で洗わせ、綺麗になったところでざっと湯をかけ泡を流す。
タオルをきつめに絞って顔を拭いてやれば、嫌がって顔を背ける。
「てめぇ、おとなしくしてろ!」
一体いくつのガキだ。
叱りながら、甲斐甲斐しく世話をする意外に面倒見のよい自分に苦笑した。
「なぁゾロ、もう入っていいか?」
「ああ」
許しが出たとたん、
ひゃっほう、たたた、どぼん、ばしゃぁぁぁん、ざざざぁ
さまざまな音が一気にけたたましく風呂場の中に響き渡り、
やがて、すぅっと静かになった。
ぽかぽかと音でもしそうなくらい穏やかな日差しがガラス越しに降り注ぐ。
湯と太陽とに温められて、風呂場の中もぽかぽかと温かい。
その心地よさに、自分もまた足をゆっくり伸ばして湯船につかる。
昼寝も捨てがたかったが、意外に風呂も悪くない。
全くフランキーに感謝だ、などと考えながら湯につかっていると、そそそとルフィが湯をかき分けながらゾロの隣にやって来た。
広い湯船は男二人でつかっても足がぶつかることもないのに、ルフィは何故わざわざそんな狭苦しい真似をするのか。
「どうしたルフィ?」
「ゾロと一緒に風呂だ…」
「ああ」
「…温かくて気持ちいいや」
ルフィがふっと顔を上げて笑った。
上げた顔には左目の下に幼い頃自分で切ったという古い傷跡がある。
だが、ゴムの体になったせいだろうか、それ以外にルフィの体にはたいして目立つ傷跡はない。
それでもゾロは知っている。
砂漠の国で、空島で、長い島で、政府の門で。
数々の冒険の中、ルフィの体は何度も傷ついていた。
ゾロにしたところで人のことは言えないが、一歩間違えれば死んでもおかしくない、そんな戦いばかりだ。
だからこそ自分の船の上で、自分の仲間たちと、こんな穏やかな時間を過ごすことに、ルフィは「生」の実感を見出しているのかもしれない。
湯は温かく二人の体を包む。
ぽちゃん。
水音を立てて上げた手で、ゾロは自分を見つめるその顔をぬぐってやる。
「心配すんな、おまえもおれも、ちゃんとこうしてここにいる」
ゾロの言葉に一瞬だけ、戸惑うようにその瞳がゆれた。
「どうしてゾロにはわかっちまうんだ…?」
「そりゃ長い付き合いだからな」
そうだ、ゾロはこの海賊団の中で誰よりも早くルフィの横にいた。
未来の海賊王の冒険譚として紡がれる壮大な物語の、最初の1ページ目から行動をともにし、ずっとルフィを見つめてきた。
この立場だけは誰にも譲るつもりはない。
「ルフィ、そっちの端行ってみろ」
えー、とあがる抗議の声を無視して顎で促す。
しぶしぶルフィは再び湯をかき分けて、ゾロが背をもたれているのとは反対の側についた。
「足伸ばしてみろよ、ルフィ」
おとなしく伸ばされたルフィの足はまだゾロに触れるには遠く、
「結構広いな」
ゾロが楽しそうな声を出した。
「なぁルフィ。この湯船、オレたちの最初の船とどっちが広いかな」
ゾロの言葉に気づいたように、あははと声を立ててルフィが笑った。
ルフィとゾロが二人だけの海賊団を名乗り、海に出たのはそれはそれは小さな船だった。
二人でいればいっぱいいっぱい。
なんとも頼りない船だったが、それでも夢だけはどっさり詰め込み、心はどこまでも海原に遠く広がっていた。
いずれはもっと大きな船に乗って、そこにはたくさんの仲間たちがいて。
航海の合間に、ルフィはそんな夢をゾロに語っていた。
まだなに一つ持ってはいないのに、それでもルフィの言葉は大言壮語でもなく近い未来必ずそうなるだろうと意味もなく予感していた。
「そろそろでるか?」
「うん」
ちゃんと10数えて温まってから出るようにと、ナミに躾けられているらしい。
「1、2…」
未来の海賊王は幼子のように律儀に数を数えだす。
今、船はメリー号を経て宝樹で作られたサニー号となり、仲間は全部で8人になった。
ルフィの言葉は少しずつ形を成しているが、だが、あの小船が自分たちの出発点だったことは忘れない。
あのときの小さな船に乗る自分たちがいて、今がある。
「よっし、10!」
「ちょっと待て」
もう一度タオルを絞り、そのまま飛び出していきそうな船長を捕まえその体をてきぱきと拭いてやる。
「ありがとうな、ゾロ」
「どういたしまして」
「オレと来てくれて」
ああ、そっちかと可笑しくなった。
ゾロの存在が嬉しいのだと全身で示してくる、そんなルフィが愛しい。と思う。
恐らくこの船に乗る誰もが思いは同じだろうけれど、スタートが早かった分、自分は誰よりも優位なのだと思っていたい。
「温まったか?」
「うん、体の真ん中までぽっかぽかだ」
「そりゃなにより」
「ゾロがいてくれるから」
「ああ」
自分の心もぽかぽかに温まったと伝える必要はないだろう。
ルフィはきっとわかっている。
ふっと顔を落として、ゾロはその頬に口付けた。
「いこうか」
「うん」
どこへ、と尋ねるまでもない。
二人が行くのは仲間の待つ元へ。そして未来へ、だ。
どこまでも一緒に。
重なる手を無意識につないでいた。
<終>
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