彼方の君へ (2007企画作品)



二つも電車を乗り継いではるばる隣町のプラネタリウムまでやってきたのはルフィに誘われたからだ。
ゾロにとってそれ以外に理由なんてない。


「ナミからタダ券もらったんだ、一緒に行かねェ?」
そんな気軽な言葉にどれだけ自分の胸が鳴ったか、きっとルフィは何も知らない。
ずっと隣で見つめてきた大事な大事な幼馴染。
子供のころは簡単に告げられた「好き」という言葉が、言えなくなったのはいつだったろうか。
男同士なのにこんな感情はおかしいと気づき、 何度も離れようと思いながらも結局ルフィに「ゾロ」と呼ばれるたびに、 見えない糸で引き寄せられるようにまた戻ってきてしまう。
「最近ゾロ疲れてるみたいだな、剣道の稽古大変なのか?」
いやおまえのことばかり考えているからだと、そう告げたらルフィはどんな顔をするだろうか。


稽古やバイトで忙しく二人の予定が合ったのはたった一日。
11月11日、ゾロの誕生日だ。
幼いころから見知った間柄だけに、互いの誕生日は家族も交えて一緒に祝うのが恒例だったが、 今回は二人だけだなとルフィが笑った。
ルフィに他意はないだろうに、そんな何気ない言葉にすら裏を読んで胸を躍らせる自分は馬鹿だと思った。


日曜日だというのに天気がよすぎるせいだろうか、意外にプラネタリウムは空いていた。
二人のほかには数組の親子連れやカップルがいるくらいだ。
人ごみはあまり好きではないのでそれはそれでありがたいと思いつつ、ルフィと並んでシートに座った。
深く腰掛け背もたれを倒せば、体を横たえて空を見上げる体勢になる。
高さ13メートルのドーム型の天井はまだ上映前でぼうっと白く光っていた。
「意外にゾロって星好きだよな」
明るく笑うルフィの言葉はそのとおりなのだが、その割にこういった施設に来たことがないのは 天井に映し出される星空が嫌いだからだ。
いくら精巧でも、こんな作り物は好きになれない。
真の闇、満天の星空というのは、おそらく機械で作り出せるはずもないのだろうから。
都会育ちの自分には縁遠いものなのに、どこか心惹かれるのは何故だろう。
そしてふと耳の奥に波の音が聞こえてきたように思えたのは気のせいだろうか。


「ゾロ」
不意に呼びかけられた声に我に返れば、隣からルフィが心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫か?」
「悪ィ、ちょっとぼうっとしてた。もう大丈…」
頭を振って答えたゾロの言葉は、しかしルフィによって遮られた。
「なぁ、ゾロは聞いたことねぇ?10番目の惑星の話」
「10番目の惑星?」
「そ、この地球の公転軌道上に全く同じ惑星がもう一個あるんだって。 太陽のちょうど反対側にあるから、お互いそれに気づくこともなくて、 でもそこにはオレたちと同じ姿をしたもう一人のオレたちがいて、全く違う人生を歩んでいるんだってよ」
「それいつ聞いた話だ?」
「ずっと前にナミから教えてもらった」
「だからか。それを言うなら9番目だろ。去年冥王星が外れたから太陽系の惑星は全部で8・・・」
「10の方がきりいいじゃん」
さすがルフィだ。人の話なんて全く聞く気はないらしい。


それでもルフィの話には、どこか心惹かれた。
もうひとつの惑星、もう一人の自分、もうひとつの人生。


「オレさ、時々もう一人のオレの夢をみるんだ。そいつはどんなヤツだと思う?」
「やっぱり普通に学生じゃねぇのか」
「いーや」
「じゃなんだよ」
「海賊」
「は?」


突飛な答えに目を見張る。だがルフィの瞳はさらにきらめきを増してゾロを見返してきた。
「それも半端な海賊じゃないぞ。世界で一番の海賊王。たくさんの仲間を手に入れて、 誰も見たことない海を見て、誰も手に入れないお宝を手に入れるんだ」
「どんだけ欲張りなんだよ、おまえは」
自らを海賊の王と言い切れるその自負の強さに呆れたが、しかしちらりと見やった顔は、 もしかしたらその世界では本当にそうなのかもしれないと思えるほど自信に満ちて輝いていた。
「その仲間には、ちゃんとおまえもいるんだぞ」
「は?」
「おまえはオレの相棒で、世界一強い剣士。そんでもっていつでもオレの隣にいて…」
そこで上映のブザーが鳴った。
「ルフィ…」
「しっ、始まるぞ、ゾロ」
ルフィが上を見上げて寝転んだので、話の続きが気にはなったがゾロもしぶしぶ椅子に戻った。



場内が暗くなり、ガイドを務めるという女性の落ち着いた声が聞こえた。
簡単に注意事項や非常口の説明を述べるのを聞きながら、シートの背もたれを倒す。
深く深く体を預けた。


どこかぼうっと光る星空。
星は数えるほどだ。
これが今この街で見える夜空だとガイドが入る。
地上の光が夜空を照らすために、星は本来のほんのわずかしか目に見えない。


「では今夜はいっせいに地上の明かりを消してもらうことにしましょう」
ガイドの女性が告げる。
「皆様、わたしが合図をするまで目を閉じていてくださいね」


「ひとつ、またひとつ。地上の明かりを消していきます」


穏やかに流れるクラシックのメロディーに乗せたガイドの声を聞きながら、 大人しく目を閉じ密かに期待している自分が癪に障る。
作り物の星空なんて嫌いなはずなのに。


やがて音が消えた。


「さあいいですよ」


声に従って目を開ける。
ほぅ…と、場内のあちこちから漏れた客のため息はもうゾロの耳には入ってこなかった。
黒い闇を埋め尽くすかのような一面の星空。
まるで吸い込まれそうだ。
いや実際に魂は吸い込まれていたかもしれない。


大きな空。
光一つない夜の闇。
聞こえる波の音。
そこに漂う小さな、けれど力強い船。
その船に乗り、腰に剣を下げた自分が隣に立つ誰かを見つめていた。
ゾロ、と振り向いたそいつが笑った。
知っている。
自分はその笑顔の主を知っている。


海賊だの剣士だのと、ルフィが始まる直前にあんな話をしたせいだろう。
湧き上がるイメージの洪水に息が詰まりそうだった。
無意識に空に向かって伸ばしかけた手が、そのときぎゅっと力強く掴まれたのでゾロははっと我に返る。
「ルフィ…」
「ゾロ」
かさりと椅子が擦れる音がして、不意に目の前の空が見えなくなった。
それが覆いかぶさってきたルフィのせいだと気づくのに、ゾロはかなりの時間を要した。
唇が触れたのはほんの一瞬だったのに。




建物の外に出ると、暗闇に慣れた目に一気に陽光が飛び込んでくる。
だがくらくらと軽い眩暈を覚えるのは、そのせいばかりではないと思う。
「11月なのに暖かいな」
ゾロに先立ってとんとんと調子よくリズムを刻みながらルフィが階段を下りる。
「ルフィ、さっきのは…」
「ああ、ガイドの姉ちゃんが説明してた冬の星座な。オリオン座とかおおいぬ座とか…」
「殴るぞ」
ぴたとルフィの足が止まった。


「10番目の惑星では…」
「もうその話は止せ」
「その星ではオレは海賊なんだ」
「止せって言ってる」
「ゾロは剣士で」
「ルフィ!」
「やだ」
ぐいと肩を掴んだゾロの手は、激しい勢いで振り払われた。


「止めねェ!」
振り向いたルフィの大きな瞳からぽろぽろと流れ落ちる雫にゾロは言葉を失った。
「おまえ、泣いて…」
「ゾロ、春になったら家を出てくんだろ?」
「なんでそれを…」
「母さんたちが話してた」
「まだ決めたわけじゃねぇ…」
しまったと思う。ゾロが思ってたより早く話がルフィに伝わってしまった。
「もうオレの傍にはいたくねェの?」
「そんなこと…」


だがはっきり否定できないのは、それも一つの理由であるからだ。
いくら仲のよい幼馴染でも、男同士では手を繋ごうと望むことすら簡単に叶うはずもなく。
だからこそ自分の思いがはっきり形を成す前に、ルフィから離れようとゾロは思っていた。


「最近、よく夢を見るんだ…さっき話した別の世界の夢。
そこでもう一人のオレはゾロと一緒に冒険している。
敵と戦ったり、不思議なもん見たり、昔のオレたちみたいに一緒に飲んで食って一緒に笑うんだ。
ルフィはゾロが好きで、ゾロもルフィが好きで…」


なあゾロ、とルフィはまっすぐにまだ濡れている瞳をゾロに向けた。
「この世界じゃ、オレとおまえは一緒にいられないのか?だんだん離れていかなきゃいけないのか?」
ルフィの感情がゾロを包み込むような勢いで向けられてくる。


「だったらオレはあっちの世界に行くぞ!」
「ルフィ」
行けるはずないと一笑に伏すことができないのは相手がルフィだからだ。
ルフィが口にした以上、すると言ったらなんだか本当になりそう気がする。


「あっちの世界で、ゾロに思い切り好きだって言ってやる!」


「行かなくていい」
一瞬の間の後、ゾロは手を伸ばすと今にも飛び出していきそうなその体を引き寄せて、ぎゅっと腕の中に抱き込んだ。
「ゾロ…」
「あっちのゾロはあっちのルフィのもんだろ。だからおまえはオレで我慢してくれ」
抱きしめたままそっと髪を梳くように撫でた。
頬を寄せ昔と変わらない、ふんわりとしたネコのように柔らかな毛の感触を懐かしげに確認する。
「我慢なんかしねェ…」
ルフィの手が首に回され、伸び上がるようにキスをされた。


「ルフィ、オレは剣士じゃないし、世界一強い男でもない」
ゾロはルフィを抱きしめたまま告げる。
「うん」
「だからオレが好きなのは海賊のルフィじゃない…ここにいるおまえだよ」
「うん」
「悪ィ…もっと早く言えばよかった」
「そうだぞ、馬鹿ゾロ…」
結局ルフィに先に告白された形になってしまったことが、嬉しいと同時に少しばかり情けない。


「なぁ、ルフィ。今度一緒に星を見に行かねェか」
「星?プラネタリウムじゃなくて?」
「ああ、どっか山の中にいってホントに明かりも何もない夜空を二人で見よう」
海賊のルフィとゾロが船の上から見ていたような真の星空を、自分もルフィと二人で見てみたくなった。
もうあれこれ悩むのは止めたのだ。
二人で並んで同じものを見たい。
手を繋いで、好きだとお互いに伝えて、そして抱きあいたい。
今、思うのはただそれだけだから。


「でもな、ルフィ」
「ん?」
「できれば、いきなりキスすんのは止めてくれ」
「うっ…///」


ゾロの言葉に真っ赤になった顔を隠しながら、ルフィが照れ隠しのボディーブローを一発、ゾロの腹筋めがけて 繰り出したので、今度はゾロがうっと唸ることになった。


<終>


甘いな…


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