海軍が来るまでそう時間はないだろうが、シャッキーの提案でとりあえず腹に何か入れとこうということになった。
サンジはすぐさま腕まくりをして立ち上がるし、ナミとロビンの女性陣も同じ女海賊として話を聞きたいのだろう、手伝いを申し入れてシャッキーの隣に並ぶ。
チョッパーは手先の器用なフランキーとウソップを助手に、ハチの手当てを続けている。
そしてもちろんルフィは冷蔵庫の前から動かない。
こんなときは決まって手持ち無沙汰になってしまうゾロであるが、別段それを気にすることもない。椅子に身を預けたまま皆を見るともなしに見ていると、そんな目の前にふっと酒瓶が差し出された。
「?」
瓶を持つ指から手を追い、差し出した人物の顔まで行き着けば、楽しそうにこちらを見ている老人と目が合う。
「どうやら私もキミもやることがないみたいだな、少し外で飲まないか?」
「ああ、構わない」
頓着なく答えるとゾロは酒を受け取って立ち上がった。
カウンターの向こうにいるルフィの姿をちらりと目で追いながら、レイリーの後についてドアをくぐる。
そんなゾロをサンジやナミが伺っていたのは気づいていたが、ゾロは振り向きはしなかった。
持ち出した椅子にレイリーと向かい合うようにして腰をかけ、軽く酒瓶を持ち上げて目礼をするとゾロは一気に酒を煽る。
「いい飲みっぷりだね、若いってことはそれだけでたいしたもんだ」
レイリーが目を細めて笑った。
そうしているとただの穏やかな老人だ。
シルバーズの名そのままに、きっと若かりし頃は月の光のように淡く煌めいていたろう銀髪も今はわずかに名残を残すのみ。
酒と博打と若い娘が好きだと笑う、ただの不良ジジイの姿を一見しただけで、誰がかつての冥王…死の国の王というたいした通り名の持ち主にまで繋げることができるだろうか。
白い髪も顔や手に刻まれた皺も…だが彼が目を上げるなり、そこに置かれた歳月は一瞬で吹き飛んでしまう。
それほどに、彼の眼光はいまだにゾロのそれをすら凌駕するほどに健在であった。
シルバーズ・レイリーの名は海賊狩り時代に聞いたことがあった。
裏の社会には裏の手配書と言うものが存在する。それは賞金稼ぎの中でもかなり腕の立つ者にしか伝えられない。
すでに海賊を引退した者、生死不明となって数十年の経つ者、それでも政府がその身柄の確保を望んでいる者たちがそれに当たるのだが、
ゾロが目にしたいくつかのうち一枚が、レイリーのものだった。
写真は不鮮明だが、肩書きは元海賊王の右腕。
政府にしても何年掛かろうと、彼の脳に収められた情報は喉から手が出るほどほしいようで、彼にかけられた賞金は別格だった。
最強の座に近い男に興味はあったが、昔はともかく今はただの年寄りだとゾロはそれきり彼の名を記憶の隅に追いやってしまった。
そうして彼を意識の外に追い出したのは正解だったと、今、本人を目の前にして改めて思う。
当時のゾロが万一出会ったところで、この男に敵うはずもなかっただろうから。
「そんなに見つめられても、男相手ではあまり嬉しくないんだがね」
苦笑交じりに声をかけられて、ゾロは自分が彼をじっと見詰めていたことに気づく。
「ああ、悪ィ…」
素直に頭を下げたことがレイリーは意外だったようだ。
ほぅと首をかしげ、改めてこちらに目を向ける。
「キミは海賊狩りのゾロ…だったかな、派手な噂も聞いてる。
賞金稼ぎ百人斬りだの、なかなか腕がたつようじゃないか。キミたち一味の戦いっぷりも見せてもらったよ。まだまだだが…まぁ悪くはないね」
年の差もさることながら、とにかく丸っきりの子ども扱いには苦笑するしかない。
「…で、私に何の用かね?」
不意に振られて驚いた。
「なんでそう思う」
「私が名乗ってからずっと、キミは私を見ていたからね」
半ば空になった瓶をカツンと、乾杯のようにゾロのそれにぶつけてレイリーが笑う。
「海賊王の右腕、冥王シルバーズ・レイリー」
「ああ、そう呼ばれてたこともある」
レイリーが、ぐいと残りの酒を一気に煽った。
早いペースは酒瓶の底を覗き込むようだ。
「あんたに会ってみたかった」
「会って、どうしたかった」
「いや…ただ、あんたの姿を見てみたかっただけだ。海賊王の死から取り残されたあんたに…」
その瞬間、びり…と、レイリーから放たれた気に辺りの空気が大きく震えた。
傍にナミやウソップがいたら震え上がったろう、それほどにゾロのそれはかつての大海賊に向けるには遠慮も容赦もない言葉だった。
すっかり忘れていたレイリーの名をゾロが思い出したのはグランドラインに入る直前、ローグタウンを後にしてからだ。
「おれ死んだ」
あの時、ゾロとサンジの二人だけが処刑台の上でそういって笑うルフィを見た。
サンジもゾロと同じく、ルフィに魂を奪われた一人だ。同時に感じただろう恐怖はお互い手に取るようにわかる。
自分の存在する地面ごと黄泉の穴に落ちていくような深い恐怖と絶望感。
あのときゾロは、ルフィが自分にとって全ての光であり希望、かけがえのない大切な存在だと初めて思い知ったのだ。
そんな相手を失って、この先どう生きていけるというのか、
一瞬でぐるぐると思いが渦を巻いた。
無事にローグタウンを脱出してからも、その恐怖は時折ゾロの足を竦ませる。
そしてふと、ゾロはレイリーのことを思い出した。
生き残った海賊王の右腕。
ルフィの死を予見した同じ台の上で、死を迎えたロジャーを仲間たちは…右腕と呼ばれるほどに近かった相手は、
一体どんな思いで見つめ、その後も生き続けているのだろうか。
「でもあんたは…見なかったんだな…」
何をとは言わなかったが、レイリーの瞳に深い影が差したので伝わったはずだ。
「ああ…」
ロジャーの最後の瞬間を。
自分がルフィを思うのと同じように、ロジャーを思っていたであろうこの老人は、見なかったという。
何故だ?
たとえ死期迫る命だったとしても、大切な船長がたかが政府の役人に首を切られるなんてちんけな最期は迎えさせたくなかったのではないか。
最後の一瞬まで足掻いて足掻いて、助けようとは思わなかったのか?
自分やサンジが必死に状況を打開しようと激しくも空しい抵抗を繰り広げていたように。
「私はロジャーの処刑を見に行かなかったことは後悔してないよ。
別れはとっくに済ませた。ヤツが望んでないことをするつもりもなかった」
そう語るレイリーの声は穏やかだった。
恐らく言葉のままに何も後悔はしてないのだろう。
「私がただ一つ後悔してるとすれば…それはヤツの右腕になったことだ」
予想外の言葉にゾロは思わず顔を上げた。
どんなきょとんとした顔をしていたのか、年長者が幼子を微笑ましく見守るような表情でレイリーがうっすらと笑った。
とん、と頭に手が置かれる。
撫でられたわけではない、多分…ずっと胸の底に宿していた思いをゾロに託すかのようにその手の平は熱い。
「覚えておくと良い。右腕なんてなくてもな…本体は動けるんだよ」
ロジャーがそうだったように。
「右腕も…足も、何もかもをばっさり自分から斬り捨てて、ぽんと遠くへ放って、その全てにおまえらは生きろなんてどこまでも勝手なことを言うこともできるんだ」
本体を失くした右腕はもう右腕として生きられるはずもないのに、それでも生きろとロジャーは言った。
自分の命の期限も、レイリーの思いも、全て受け止めて、じゃあなと笑って背を向けた。
ゾロの背を汗が伝う。
レイリーの静かな言葉に鼓動が早くなる。
それはまるでいつか来る日の予言のようだった。
ゾロにとっての未来の海賊王。ルフィも同じではないのか。
もしそんなときが来たら…。
きっとルフィも全てを潔くばっさりと斬り捨てて、自分から遠くに離して、生きろと言い捨てて笑うのではないか。
いつもと同じあの笑顔で。
「キミはあの子の右腕なのか?」
仄かに笑いさえこもったレイリーのそれはゾロを試す言葉か。
「いや」
ゾロははっきりと首を振った。
「俺はアイツの右腕になんかならねェ」
ああそうだ、斬り捨てられる右腕なんかになるものか。
いっそ血でも肉でもなってやろうと強く思う。
いくらルフィでも切り離すなんてことができないくらい、近く近くあってやろうと心に誓う。
「それがいい」
ゾロの心のうちを見透かすかのように、レイリーが頷いた。
不敵な老人の目は一瞬だけ悲しく揺れ、でもそれもあっという間に消えて、また歳月に裏打ちされたしたたかさでゾロをからかうように見る。
「一生彼と添い遂げる覚悟があるのならな」
「もちろん」
にやりと不敵に返して、ゾロはずっと握り締めていた酒を煽った。
- END -
2008-07-16
ロジャーとレイリーの関係はどんなものだったのでしょうか。
きっとルフィとゾロのように深く固く結びついていたのだと思うと萌えて萌えてなりません。