微エロで10のお題
それは、まるで盛りを過ぎた花からゆっくりと花弁が散り落ちてゆくかのようだった。
病気なのか、闘いで負った怪我の後遺症なのか、悪魔の実の影響なのか、原因はわからない。
ただ、頭が痛いと普段から風邪一つ引いたこともないルフィが珍しくそんなことを言い出し、そしてその数日後、異変は起こった。
兆候は何もなく、それはあまりにも突然だった。
ルフィは、彼にとって何より大切なものであるはずの「仲間」の記憶を失い始めたのだ。
「おまえ・・・誰だ?」
いつものように皆と元気に笑い合っていたルフィが、ロビンを見るなり不思議そうな顔で首を捻った。
「何言ってんだ、ルフィ。そんな意地悪したらロビンが可哀相だろ」
ウソップが苦笑してたしなめるが、きょとんとした表情と何の悪意も持たない無邪気な瞳が、それが決して意地悪などではないと、今の現実を皆に突きつける。
「ルフィ・・・一体どうしたんだ!?ロビンを覚えてないの!?」
病気なのかとチョッパーが慌ててルフィに駆け寄るが、他の皆はその場を動けなかった。
「ロビン?誰だ、それ?」
「ルフィ?」
「ルフィ」
「ルフィ・・・」
サンジもナミもウソップもただその名を搾り出すように呼ぶことしか出来ない。
ゾロにいたっては、自分で思い返しても情けないことに、いつもと全く変わりなく見える彼らの船長を呆然と見つめるだけだ。
「あら、ひどいわね・・・」
笑みすら浮かべ、口調は軽くからかうようでありながら、目に深い絶望の色を浮かべたロビンの顔をゾロはきっと忘れることはないだろうと思った。
ロビンの姿がすっと薄らいでいく。
「今度会ったときは忘れないでちょうだいね、ルフィ・・・」
静かに呟きながらやがてロビンの姿は消えた。
「なんだか頭が痛ぇや」
それを目の当たりにしながら、何事もなかったかのようにこんこんと頭を叩くルフィに皆は凍りついたように立ち尽くすだけだった。
その2日後。
次に消えたのはチョッパーだった。
ロビンのときと同様、やはり他愛もない団欒の合間にいきなり誰だとルフィに問われ、
「イヤだよ、ルフィ〜〜〜〜」
大声で泣いて縋りつくチョッパーの姿は薄れていき、そして空気に溶けるように消えていった。
その3日後にはサンジ。
それは食事の最中だった。
つい今しがたまで、ルフィはキッチンに立つサンジに腹減ったとうるさくまとわりついていた。
「サンジの作るメシはホントに美味ェよな」と嬉しそうだったのに、それら一切が一瞬のうちにかき消えて、
「誰?」
そう問われたサンジの輪郭がゆっくりとぼやけていく。
「なんでおれを忘れちまうのかねぇ・・・」
このクソ船長。
唇の端だけで笑い、引き寄せたルフィの髪をがしがしと思い切りかき混ぜて、やがてサンジは消えた。
翌日はウソップの番。
「てめぇ、絶対に思い出さないと承知しねぇからな!」
メリーはちゃんと手入れしろ、おれのウソップ工房はそのままにしとけ、腹出して寝るんじゃねぇぞ、釣りの道具は倉庫の右端に置いてある、それからそれから・・・
伝え切れない言葉がまだまだあった。
「楽しかったぞ、ルフィ!」
言葉だけを木霊のように残して、ウソップは消えた。
ゆっくりと、だが着実に
ルフィの中から一枚一枚、記憶という名の花弁がひらひらと散り去っていく。
残ったのはナミとゾロだ。
ここ数日、ルフィは頭が痛いと言ってよく眠るようになった。
起きて「誰だ?」と問われたらそれまでなので、ナミとゾロにとっては眠っていてくれていた方が正直ありがたい。
キッチンの床にマットを敷いてそこにルフィを寝かし、その寝顔を見つめながらゾロとナミは重い時を過ごす。
「あんたも飲む?」
コーヒーの入ったカップを手にしたナミがゾロの傍に立った。
「ああ、ありがとう。もらおうか」
「じゃあこれ。安心なさい、お金は取らないから」
ナミがくすりと笑い、自分もカップを持ってゾロの向かいに座った。
ナミの姿がずいぶん遠くに感じる。二人しか席につかないテーブルはやけに広いと思った。
「広いわね」
どうやらゾロと同じことを感じていたらしい。ぽつりと呟くナミの言葉に苦笑する。
「なんだろ、これ・・・夢なのかな」
記憶の消滅と共にその人間も消える。
空想小説でもあるまいし。ウソップならもっとずっとマシな話を考えるだろう。
「なんだか今までのことも全部夢みたい」
溜息混じりにナミが口にした。
「馬鹿言うな」
ゾロは即座にナミを叱り付ける。
ルフィに出会い旅を始めてから今まで、それは眩暈のするほど波乱に満ちた冒険の日々だった。
「麦わら海賊団」は、次第に仲間を増やし、いくつもの大波を越えてきた。
そこにあった喜びも悲しみも、全部自分たちが自らの力で手に入れてきたものだ。
その全てが「夢」であるなんて思いたくはなかった。
「そうかしら?」
だがゾロの思いも他所に、ナミはもう一度繰り返す。
「こうなってみて気づいたんだけど、もしかしたらあたしたちってルフィが作り出した幻なんじゃないかしら・・・」
「どういう意味だ」
「海に出て海賊になることを夢みてた東の海の男の子がいるの。
たくさんの仲間たちと一緒に冒険するのが夢だったその子が頭の中で作り出した空想の世界が、今あたしたちがいるこの世界だったとしたら?」
ナミは自分の両手の平をじっと見つめ、そしてぎゅっと握り締めた。
「ルフィの作り上げた空想世界の住人・・・もしそれが本当だとしたら、ルフィがあたしたちのことを忘れた瞬間にもう消えるしかないのよ」
「そんなことあるかよ」
散々考え抜いた仮説も即座にばさりと斬り捨てるゾロの躊躇いなさに苦笑して、ナミはそうよねと口の中だけで小さく呟いた。
幾度も頷く姿はまるで自分の存在を確認しているかのようだ。
そんなナミを、ゾロはただ黙って見つめる。
「そうね、難しいこと考えるのは止すわ。どうせもうすぐあたしも消えちゃうんだもの」
「だからそういう言い方は止めろ」
「よかったわね、ゾロ」
唐突に発せられたナミの言葉にゾロは戸惑った。咄嗟にその意味がわからなかった。
「たぶん今日か明日にはあたしも消える。そうしたらあんたはルフィと二人きりよ」
「なに言ってやがる」
「今までいろいろ邪魔しててごめんね、これであたしと出会う前に戻れるわ」
はぁとゾロは溜息をついた。
「何言い出すかと思えばよ。おれとおまえ、どっちが消えるかなんてわかんねぇだろうが」
こんな無駄な問答はしたこともない。
時間がありすぎるというのは本当によくないことだとつくづく思ったが、と言って今はルフィの傍を離れて体を鍛える気にもなれなかったので、ゾロは仕方なくそこにいた。
ナミも正常な精神状態でいられるはずないのだ。
せめて話くらい聞いてやらなくてはいけないだろう。
「あんたこそなに言ってんだか。気付いてないの?みんなは仲間にしたのと逆の順番で消えてるのよ」
その言葉にゾロはふっと顔を上げてナミを見た。
ロビン、チョッパー、サンジ、ウソップ・・・
確かに言われればそうだ。
そのとおりならば、では次に消えるのは。
「よかったわね、ゾロ」
トゲのある口調でナミは繰りかえした。
「そんなのわかんねぇだろ、今までのは偶然かもしれねぇし・・・」
「だとしても、順番なんか関係ないわ。あんたは・・・あんただけは」
きっと消えない。
ナミは顔を上げてゾロを見つめた。その瞳はうっすらと濡れている。
「なんでそう思うんだよ・・・」
ようやく返した声は、もしかしたら掠れていたかもしれない。
「なんでおれだけは消えないんだ」
「ルフィは絶対にあんたを忘れないからよ」
あんたはルフィの夢と同化しているから。
ナミははっきりとした声で口にした。
海賊王になる。
ルフィの大きな夢であるそれは、ルフィという人間を作り上げている全てだ。
血の一滴、肉の一筋にいたるルフィの全てが海賊王という夢を追っている。
だから他の何を忘れてもルフィは絶対にそのことを忘れはしないだろう。
忘れた瞬間にルフィはルフィで無くなってしまうのだから。
そして。
「あの子の中の海賊王の隣には、いつだって大剣豪がいるのよ、ゾロって名前のね。あんただってよく分かってるくせに・・・」
ああ、そうだ。
『いいねぇ大剣豪。
海賊王の仲間だったらそれくらいなってもらわないと俺が困る』
冒険が始まったあの日、あの瞬間。
嬉しそうにそういったルフィの姿を、ゾロは今でもはっきりと思い出せる。
「ルフィを忘れるあんた。あんたを忘れるルフィ。・・・想像できる?」
「いいや」
即答した。
「ばかっ!!!」
飲み干したナミのカップがゾロめがけて飛んでくる。それを片手で受け止めて、ゾロは無言のままカップをテーブルに置いた。
「あんたなんか・・・あんたなんか一番に消えちゃえばよかったのよ。・・・そしたら・・・あたしたちの気持ちが少しは分かるはずなんだから・・・」
ここは麦わら海賊団だ。
その中心にはいつだってルフィがいる。
ルフィがいるからその引力にひきつけられるようにして、皆ここに集っている。
そのルフィから知らないと言われるなんて、それは自分の存在を全否定されるに等しい。
ゾロには分からない。
想像もできない。
ナミの言うとおり、ルフィがゾロを知らないという日が来ると思えないのは、決して自惚れでもなんでもない自然な心の動きなのだから。
「悪ィ」
テーブルをまわってナミにカップを手渡す。
謝罪の言葉は素直に口から出た。
「悪すぎるわよ、馬鹿」
くすんと鼻を鳴らしてカップを受け取りながら、それでもナミはごめんとゾロに呟いた。
今の騒ぎに目が覚めたのだろうか、うん・・・と声がして、毛布の中でルフィが身じろぐ。
はっと二人で振り向いた。
「ルフィ、起きたの?」
ごそごそと毛布から顔を出したルフィの黒い瞳がこちらを見ている。
「うん・・・。あれ・・・おまえ・・・」
「ルフィ!」
ルフィのきょとんとした顔にナミの悲鳴が重なった。
「おまえ、誰だ・・・?」
「だからあんたなんて嫌いなのよ・・・」
薄く笑って立ち上がると、ナミはルフィが横になっている傍に寄り添った。
もうその姿は薄らいでいる。
「ルフィ・・・」
ナミがルフィの頬を両手で挟んでそっと顔を近づける。
「大好き・・・」
唇は重ねられたのだろうか。
ゾロがそうと確認する前にナミの姿は消えた。
「ん?どした、ゾロ?」
今のナミの思いはルフィの意識のどこかに、たとえほんの微かにでも残ってくれているだろうか。
何ごともなかったかのように無邪気に笑いかけてくるルフィに、ゾロはそうであって欲しいと哀しく願う。
「ゾロ」
ルフィの唇がゾロの名を紡ぐ。
まだ覚えてくれていることに安堵し、ゾロはルフィの傍らに跪くとその髪をすいと撫でる。
当然のように抵抗もなく受け入れて、ルフィは気持ち良さそうに笑った。
「ゾロ」
だが、いつか同じ唇でおまえは誰だと尋ねてくるのだろうか。
今までは無意識にそんなはずはないと思っていた。
ルフィが自分を忘れることはないと疑いもしなかった。
だがナミに改めて突きつけられたことで、却ってうっすらと灰色に澱む不安が胸に湧き上がる。
一度湧き出た不安はいくら拭っても消えてくれない。
「ルフィ」
「ゾ・・・」
だから塞いだ。
もう何もルフィが言葉を口にしないように、キスでその間を埋め尽くす。
「・・・んっ・・・ゾロ・・・」
切れ切れに漏れる声すら奪い取る。
もう止まれなかった。
「ゾロ・・・ゾロ・・・」
喘ぎ、もがく息の端々に自分の名が呼ばれることに心を熱くする。
ぎゅっとしがみつかれた背中に食い込む爪の痛みすら今はルフィと繋がる確信になるのが心地よかった。
今度は自分なのだろうか。
不安と恐怖、そして同時にわきあがる奇妙な快感とが、入り混じってゾロを苛む。
「ルフィ・・・ルフィ・・・」
ゾロはただルフィの名を呼び続け、きつくその体を抱きしめた。
-- end --
2007-01-05
なんとも暗い話になってしまいましたので、とりあえずこれは誰かの「夢」の設定、
つまりは夢オチってことにしたいと思います。
なおフランキーがいないのは彼の加入前に考えたからで、とっくに忘れられてたとかそんなんじゃありません(苦笑)。