Silent Blue





珍しいこともあるもんだ。
目の前に置かれたグラスとその向こうで煙草をふかすコックの顔を見比べて、ゾロはそんな感想を抱いた。







水平線の彼方に一筋の光が差し込み、それがやがてゆっくりと辺りを照らし始める。
ようやく顔を見せた朝日が告げる一日の始まりだ。
いつだって油断できない賞金首ぞろいの海賊家業だが、また自分たちはこうして新しい日を迎えられたわけである。
無事に不寝番を終えたゾロは見張り台の上で軽く伸びをした。
そろそろ皆が起き出してくる。部屋に戻って一眠りするかと、腰を上げたところで、
ひゅっ
微かな口笛が甲板から彼を呼んだ。
縁から顔を出せば、いつもよりはラフなシャツ姿のサンジがゾロを見上げている。
まだほの暗い中でその表情ははっきりとは見て取れないが、来いよというように親指を立ててキッチンを指している。
滅多にお目にかかれない仕草に些か戸惑いながら、ゾロは梯子に足をかけた。







全く珍しいことだ。
キッチンの椅子に腰を下ろし、ゾロはもう一度頭の中で繰り返した。





女と見るなり途端に相好を崩すその性癖がどうであれ、サンジがコックという職務に誠実であることはゾロもよく知っている。
相手が「麗しい」レディであろうと、「クソ」呼ばわりして見向きもしない自分のような男であろうと、 「食わせる」事に関してサンジは平等だ。
食材の鮮度はともかくも、栄養のバランスなどに気を遣うことに決して手は抜かない。
サンジが徹底的に差をつけるとすれば、それは見栄えだろう。
ちまちました飾りや彩りをもてはやす女性陣とは違い、ゾロやルフィはとにかく食えればいいのである。 もちろんその辺はサンジも充分承知しているから、 決して彼らに(ウソップやチョッパー相手にはたまに工夫を見せて喜ばせてもいるが) 小洒落たものを出すような、馬鹿な真似はしない。



だが、今ゾロの目の前には、細長い足のそれこそ小洒落たグラスが2つ並んでいる。
俗に言うカクテルグラスと言うものだ。
その中には、ナミやロビンだったら「綺麗ね」と目を輝かせて絶賛しそうな、薄青色の液体が入っている。
最近サンジがカクテルに凝っているらしいのは知っていた。
あちこちの島に上陸するたびにその材料やグラスを少しずつ買い集めては、 時折ナミやロビンにその成果を披露していることもだ。
だがもちろん、瓶ごとラッパ飲みするようなゾロにはこれっぽっちも興味もないし、サンジにしたところで麗しくもないゾロに声をかける義理はない。
はずだった。




「何だ、これは?」
訝しげに眉を顰めるゾロにはちらりと目をやっただけで、サンジはゾロの正面の椅子を引いて自分もそこに腰を下ろした。
「たった今完成したサンジ様特製カクテルだ、心して飲め」
軽い口調はどこか楽しげで、それがゾロの不快感を煽る。
「何のつもりだ?」
怒りを抑えた抑揚のないゾロの低い声にも一向に追い詰められることなく、サンジはその秘めた笑みを消しはしない。
まあ落ち着けとばかりにゾロに顎をしゃくって見せた。
「つれねえなあ。たまには、麗しの剣士さまと一緒に一杯やろうかと思っただけだぜ」
「ふざけるなよ、クソコック。何を考えてやがる」
「別に。ほら、どっちでもいい、好きな方を取れよ」
相変わらず口元には笑みを浮かべ、言葉遣いも穏やかではあるが、 金糸の下のその目は挑発的にゾロを誘うように、真っ直ぐ向けられている。
苦々しい思いで、ゾロは無言のまま右側のグラスに手を伸ばした。
「ふ〜ん、じゃあ俺はこっちな」
残ったグラスを軽く上げ、乾杯とサンジがゾロに差し出した。



どこか見覚えのあるような薄青い色の液体を一口含む。
意に反して、素直に美味いと思った。
別に嫌がらせでも無さそうだ。
それだけにその真意が読めず、不愉快ではあるのだが。
サンジも唇にグラスを運ぶ。
「美味いだろ」
「まあな」
「おまえがよく飲む米からできる酒をベースにした。それにウォッカやリキュールを足してある」
カクテルなんて甘ったるいだけかと思っていたが、まずまずの辛口で、ゾロの口にも合って飲みやすい。



「おまえは夜中こんなもんを作っていやがったのか」
見張り台にいたゾロは、その日の片づけを終えて一旦部屋に戻ったサンジが再びキッチンに戻ってごそごそと動いていたことに気付いていた。
サンジの仕事に関して口を挟むつもりは毛頭なかったが、たかだか趣味程度のカクテルの製作とは。睡眠時間を削ってまでくだらないことをしていると正直呆れた。
だがサンジはそんな言葉もさらりと受け流し、まるでゾロに見せ付けるかのようにグラスを目の高さに持ち上げた。
「こいつの名前は『サイレント・ブルー』」
沈黙の青。
あまりカクテルには相応しくない暗い名前だと思いながら、 ゾロはその薄く、けれどどこか深いその青色に目をやった。






まるでサイレント・ブルーに奪われてしまったかのように、2人の間に言葉は無い。
それでも朝が訪れ、辺りが明るくなるにつれ、世界に音が戻ってくる。
波が、風が、その音で2人をくすぐる。



「なあ、実はこいつに毒が入ってたって言ったらどうする?」
煙草に火をつけながら、不意にサンジが呟いた。
「なに?」
「どっちかのグラスは毒入りなんだ。
ゆっくりゆっくり麻痺していって、そのうちお陀仏になる遅効性の毒ってやつ」
「…面白いこと言うじゃねえかクソコック」
にやりとゾロが笑った。
「一応てめえに選ばせてやったんだ。フェアなオレに感謝しろよ」
「毒もられて感謝かよ」
「今吐き出せば、間に合うかもしれねえぜ」
「海の上では食いもんは大事に…だろ?」
サンジの十八番のセリフを口にして、ゾロはくっと残りの酒を煽った。
「どっちにしろかまわねえ。オレのだったら今更じたばたしたってどうしようもねえし、おまえだったら万々歳、ただそれだけのことだ」
「てめえのそういうとこは案外嫌いじゃねえな」
くくくっとサンジが口元で笑った。







「夢を見た」
持ち上げたグラスを静かに揺らしながら、サンジがゆっくりと口を開いた。
「こんな色をしたどっかの海の上。
オレとあいつは、てめえの戦いを見ているんだ。
もちろん手はださねえ。何たってクソ剣豪さまの戦いだからな」
あいつとは…「あいつ」のことだと、ゾロはすぐに理解する。


「一応てめえが勝つんだけどよ、自分もざっくり斬られて海にドボン」
冷たい声音のまま、サンジの親指が床を指した。


「バラティエでの時とは違う、てめえの腰巾着どももいねえ、ギャラリーはオレとルフィだけだ。
ルフィはてめえを助けに行くって、ぎゃんぎゃん泣いて騒ぐんだけどよ、でもオレはあいつを抱いて離さない」
それはそうだ、何故なら。


「当たり前だよな、泳げないんだからそんな真似させられない。
だからオレはしっかり抱きしめるんだ。あいつがどこにもいかないように」
手を離せば今にも飛び込んでしまいそうに、
ゾロ、ゾロ!と狂ったように叫び続けるルフィをサンジはぎゅっと抱きしめる。
目の前で薄青い色を湛えた海に沈んでいくゾロを網膜に映したまま。





「オレは最後まで飛びこまなかった。てめえを助けるような馬鹿な真似はしねえってことだ」
「…ったく勝手に人を殺しやがって。だが…」
ゾロが苦笑しながら顔を上げる。
「ただのエロコックかと思っていたが、わかってんじゃねえか」
下手に助けてくれないのはありがたい。
少しだけ見直したぜと、にやりと笑った。
「褒め言葉ありがとよ」
今度はサンジが苦笑した。
「結構工夫したんだ、もっとじっくり見てみろ」
そして自分の手元のグラスをゾロに近づけた。
薄青い中に混じる微かな緑。
ああ、これは海だとゾロは気付いた。
緑の髪をした剣士が沈んでいく、沈黙の海。
その残酷な深さで、ゾロを思うルフィの悲痛な叫びも、 ずっとルフィへの思いを押さえ込んできたコックの身を切り刻むような切なさも、 全て黙って飲み込んでしまう。
先ほど流し込んだ胸の中がちり…と焼けた気がした。




「んで、オレを見殺しにした夢見が悪くて眠れなくなって、一人こそこそ酒作ってたってか?
ずいぶんと可愛いもんだな、エロコック」
様々なものを振り払うように笑い飛ばした。
「邪魔なんだよ、てめえは」
サンジが呟く。
「死ねばいいのに、さっさと」
「ああ」
物騒な言葉にゾロが頷いた。
「てめえがいなくなったら、オレがルフィを抱きしめてやる。
あいつの全部をオレのものにする。だから心配しないでさっさと死んでこい、クソ剣士」
そしてそんな言葉の勢いのまま、サンジもまたグラスを空けた。






「話は終わりか」
わずかな間の後、ゾロが立ち上がった。
サンジも立ち上がると、2つのグラスを手にして流し台に向かう。
すれ違いざまゾロの肩をぽんと叩いて、また飲もうぜと言った。
「毒入りカクテルをかよ」
ゾロが呆れたように返せば、
「しょうがねえだろ。もうオレたちはとっくに食らってるんだ」
サンジが肩をすくめる。
そう、毒はどっちのグラスにも入っていたのだ。
あの、出会った瞬間から、2人の体を少しずつ蝕んでいる猛毒。
ゆっくりゆっくり麻痺させられて、2人にはもうどうしようもなくなっている。





「おーい、ゾロぉー、どこ行った〜〜!?
サンジぃー、腹へったぞ〜、メシ――っ!」





不意に船に響き渡った声に、思わず顔を見合わせ2人揃って同じタイミングでくっと笑った。
「あいつが探してるぜ、クソ剣士」
「とっととメシ作ってやれ、ぐる眉毛」





少しずつ体を冒されて、それ以外考えられなくなるほどゆっくりと麻痺させられて。
多分もう、命が尽きるその瞬間まで、「あいつ」から離れられない。



ゾロが扉に手をかける。
サンジがシャツの袖を捲くる。
今日もまた、旅は続くのだ。





= 終 =

           


念のため書いておきますが、あくまでもゾロ→ルフィ←サンジであり、
決してゾロサンではありません(笑)。
お互い憎からず思ってはいるようですが。
ゾロル優勢なので、ゾロが死にでもしない限りサンジには勝ち目が無い、そんな話です。
相変わらずサンジファンの方には顔向けできない内容ですみません。


なお、サイレント・ブルーというカクテルは架空です。
一応検索して調べたので、実在はしないはず…。
日本酒ベースの「霧時雨」や「春暁」あたりをイメージしていますがかなり適当です(汗)。



2005.9.9     

Menuへ