すげぇやすげぇや、兄ちゃん
際限なく繰り返される無邪気な賛辞の声。
いつも自分の後ろをついてきたそれが、自分だけのものだと信じて疑ったこともなかった。
3つ年下の弟は誰が見てもつい微笑んでしまうような子供らしい子供だった。
腕白で無鉄砲で
愛想が良くて純粋で
おまけに腹が立つほど自信家で。
その自信は何を根拠に来るんだと、いつも苦笑したものだ。
やんちゃな坊主はそこそこ喧嘩も強かったが、それでもさすがに兄には敵わない。
いつも一方的に吹っかけてきては、結局コテンパンにやられてしまうのがオチだ。
その後はぷいと拗ねて背を向けて、いくら呼んでも返事もしないが、
ちょっと手をかけて夕メシを作ればそれだけで喜んで擦り寄ってくる。
単純きわまりない小動物―――そんな可愛い弟だった。
物心ついたときから2人きりだった兄弟は、揃って海を目指していた。
何故か理由はわからないまま、まるでDNAにそう刻み込まれているかのように
2人は互いに海賊になることを誓った。
海賊になるには必要だからと航海術や気象学の本を読めば
その傍で弟は本の山に埋もれて高イビキをかいている。
体を鍛えようと筋トレをすれば
気張ってつけたバーベルの重みに潰されかけてひーひー騒いでいる。
喧嘩でも知識でも体力でも弟は自分に何一つ敵わない。
だからこそ
すげぇや兄ちゃん
憧れを一杯にこめた瞳を真っ直ぐ向けてくる。
それが逸らされることなどないと知っていたから、少し意地悪して先を歩く。
弟が呼んでも振り返ってなどやらない。
それでも
すげぇや
いつでも声は背後から聞こえてくる。
それが心地良かった。
それなのに。
ある日を境に声はぱたりと聞こえなくなった。
遠くで弟はその声を発しているのに。
すげぇやすげぇや
そのあとに続くのは自分とは違う名前。
すげぇや―――シャンクス
だっはっはとあの男の笑い声が聞こえる。
おうルフィ、と気安く弟の名を呼び抱き上げる。
高々と抱えられて嬉しそうに弟がはしゃぐ。
声変わり途中の自分とは明らかに違う、落ち着いた大人の男の声。
遠慮がなくて下品で粗野で、
そのくせ(ものすごく悔しいことに)、なんて自信に溢れて魅力的なのだろう。
アイツもそれに懐く弟も大嫌いだ。
そして、そんなことを思う自分の器量の小ささも。
やがて男は海に帰り、弟の前から去っていった。
だがその後も、もう弟が自分の名を呼ぶことはない。
自分が教え切れなかったたくさんのことをアイツから受け取り、
その代わりに心をごっそりアイツに奪い取られ、
その目は海の彼方にいるアイツだけを追っている。
だから、自分は弟を置いてさっさと海に出た。
砂に囲まれた乾いた町で、数年ぶりに弟と再会した。
小さかった弟は、さすがに背も伸びたが相変わらずひょろっこいまま。
しししと言う笑い方は少しも変わっておらず、それが可笑しかった。
海賊を名乗りながら、ちっぽけな船にわずか数人の仲間。
だが幾つもの修羅場をかいくぐってきた自分にはその数人が只者でないことが一目で見て取れた。
それを告げてやったら
「な、すげぇだろ、俺の仲間は」
そんな誇らしげな言葉が返ってきた。
すげぇや
久しぶりにその声を聞いた気がする。
懐かしい賛辞が今はこいつらに向けられているのだと、自分でも驚くほど静かに受け止めた。
戯れに口にした同じ船に乗ろうという誘いも、あっさりと一蹴され、
分かっていたはずなのに、それがもう二度と自分に戻ってこないことを改めて思い知る。
だからさっさと別れることにした。
昔、まだ幼い弟を置いて海に出た時のように。
兄と弟と言う絆だけを頼りに、俺を追って来いとそれだけ告げて。
「今度会うときは海賊の高みだ」
おうと嬉しそうに頷いた弟の輝くような顔。
それがやはり愛しくて、顔を寄せ、すっとその唇を掠め取る。
一瞬の出来事に弟が大きな瞳を更に見開いてきょときょとと瞬きをする。
辺りの空気がさあっと凍りついたのは、あからさまな敵意を込めて、剣に手をかけた奴と、蹴りを繰り出すべく身構えた奴のせい。
可笑しさをこらえながらそれらに背を向け、あばよと手を振った。
遠ざかる弟の船。
背後からは、ただいつもと同じ波の音だけが聞こえていた。
= 終 =
エース→ルフィ。
さりげなくゾロルやサンルが顔を出していますけど。(苦笑)