その場所まではかなりの距離があったが、サンジとルフィにとってたいした問題ではなかった。
元々が海賊家業、夜目は利くし身軽な2人だ。
普段慣れない山道でも一向意に介することなくひょいひょいと枝を踏み越え進む。
やがて遠くから水音が聞こえてきた。昼間老人が言っていたホタルの生息する川が近づいたのだろう。

昼のじんわりした暑さはすでに去って遠く、肌を撫でる風はひやりとした感覚を残しながら拭き過ぎて行く。
木々の林立した中、しんとした闇を破って時折あちこちから獣や虫の鳴き声が聞こえる。

俺は一体何をやっているんだ・・・
ひたすら足を繰り出しながら、ふとサンジはそんなことを思った。
日中忙しいコックにとって、仕込み後の夜はやっと身体を休められる貴重な休息時間。
それを振り払ってまで、ルフィを連れてせっせと山道を歩いている自分。
何でわざわざこんなことをしてるんだ、馬鹿じゃなかろうか。
そう思う一方で、帰ろうと言い出さないのもまた自分だ。
−−2人でホタルを見よう−−
押し付けられた約束を口では抗議しながら実は密かに待っていた。
今も、まだ見たことのないホタルにわくわくしているルフィとは別の意味で心躍らせているのがわかるから、 ちっとサンジは舌打ちをする。


「なあサンジ」
今まで一言も喋らなかったルフィが呼びかけてきて、サンジは振り向いた。
「なんだ? 多分もうすぐ着くぞ」
「…何かドキドキすんな」
ストレートに発せられた言葉に不意を突かれ、思わず足を止めてしまった。
何を言い出すのかとついルフィをまじまじと見れば
「だってよ、こんな風に2人だけの内緒なんてすげえ面白ぇじゃん」
ししし、と心底楽しそうに笑う邪気のない顔に、ああ、そっちの方ね、とサンジは密かに自嘲した。

見たことないものを見に行く。
それもこっそりと抜け出して、なんてシチュエーションがどうにも楽しくって仕方ないらしい。
さすがルフィ。見事にお子様の発想をしてくれる。
アダルトなサンジにしたら、誰もいない深夜の山中で2人きり。
どんな思いで、うっかりすると頭をもたげる感情を押さえ込むのに苦労しているかなどは考えも付かないらしい。

「ガキ」
あまりにあっけらかんとしているので悔し紛れに思わず言ってやった。
「俺と2人で良かったのかよ」
「ん?」
「アイツじゃなくて悪かったな」
これは八つ当たりだと自覚しつつ、苛ついた感情の暴走を止められない。
緑髪の筋肉馬鹿の姿がちらつくのが腹立たしい。

アイツがどれだけルフィを想っているか・・・
初めてバラティエで出会ったときから散々見せつけられてきた。
一緒に航海するようになって気付いたのは、2人の間に流れる深い絆のようなもの。
それにいつも入り込めないものを感じさせられるから、結局サンジはこうして一歩引いた位置に身を置かざるを得ない。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも・・・
さっきのロビンの言葉が思い出されてサンジはふるふると首を振った。

アイツと言う言葉にルフィが首を傾げる。
「何言ってんだ、俺はサンジと来たかったんだぞ」
「どうだかな、たまたまあんときいたのが俺だっただけで・・」
「あ!」
サンジの言葉はルフィの上げた叫び声に中断された。
目の前を一筋の光がす・・と横切ったのだ。
「今の・・・ホタルか?」
「ああ」
「あっちだ、行こう!」
言うが早いかルフィが走り出す。あちこちに伸びる枝も、不揃いの下草も、邪魔な全てをなぎ払って駆け抜けて行く。
その勢いに押され、一瞬出遅れたがサンジも慌ててルフィを追った。

「待てよルフィ」
林の切れた川べりでやっとルフィに追いついた、と言うよりそこが彼らの目的地であったようだ。
ルフィはただ立ち竦んでいる。
目の前の光景に押されて声も出ないらしい。


そこには星空があった。


明かりのない海上生活では見上げれば頭上にはいつも満天の星が瞬いている。
だが今、見慣れた星空は、目をおろしたこの地上にも存在していた。
闇の中、無数の光の乱舞。
瞬き、重なり、絡み合い。
空中で、草むらで、地に下りて、恋を囁きあっている。

下に何もいないのを確認してサンジは草むらに腰を下ろした。
煙草を取り出し火を点けようとして止める。
この神の作り出した芸術にも等しい光の中で、ロビン曰く人工物の火を点すなど確かに無粋と言うものだ。
そのまま火のない煙草を銜え、サンジは黙ってホタルと、ルフィを目に映していた。
自然の生み出した優しい光がルフィの体を包む。
静かな時が流れていった。




どのくらいそうしていたろうか、思い出したようにルフィがサンジの隣に戻ってきて、隣に並んで腰を下ろした。
「なあ、なんでホタルって光るんだ?」
今まで見たことがないルフィにとってそれは最もな疑問である。
「恋人を探してんのさ」
昔の自分と重ね、サンジは少し丁寧に答えることにした。
「ホタルってのは親になったら1週間くらいしか生きらんねえらしい。その間は水くらいしか口にしなくて・・・・」
ひゃーとルフィが声を上げる。
「1週間水しか飲まねえのか!?」
とても自分は蛍にはなれないと思ったらしい。当たり前だと突っ込んでサンジは先を続ける。
「食う間も惜しんで恋をすんだ」
「何で?」
「つれあい見つけて交尾して・・」
「交尾?」
「まあ、セックスだな」
「・・・」
「葉に止まった雌の光を雄が見つけ、自分も光りながら傍による。互いの光が出会いの目印ってわけだ。 だから精一杯光らなきゃ相手を見つけられねえ」
「へー、厳しいんだな」
ルフィがつくづく感心したように呟いた。

光る。
それが彼らにとって恋を伝えるただ一つの手段。
蝉や鈴虫のように鳴く力を神様から与えられなかったホタルは命を燃やして光ることで思いを伝える。
鳴いて・・・言葉にして告げられたらどんなにか楽だろうに、とサンジは思う。
出せずに燃える静かな思いは、いつか自分自身を焼き尽くしてしまうだろうに。

つ・・と伸ばしたルフィの指先に一匹のホタルが止まった。
こんな山奥では人を恐れることもないのか、一向に逃げる気配もない。
くすぐったそうに身を縮めながら、ルフィは指先をサンジに延ばしてみせた。
「全然熱くねえんだな」
ひそひそと思わず声が小さくなってしまうのは一応侵入者と言う立場を遠慮してのことか。
「どうだよ、初めてのホタルは」
「うん、来てよかった。すっげぇや」
その大きな瞳がきらきらと輝いているのをみると、わけもなく嬉しい気分になってしまうから困ったものだ。
「率直な感想ありがとよ」
「なあ、ホタルってこの光で自分は燃えないのか」
「触っても熱くなかったろうが」
「うん・・・。でもさ、そんなに一生懸命に恋すんならその熱で燃えちゃいそうな気がするんだ」
未だ指先をうろうろするホタルを嬉しそうに見ながら、何の含みもなくルフィが呟く。
普段何も考えてないような船長は時々核心を突く発言をする。その言葉の鋭さにサンジははっとした。

手を伸ばし、風に微かに揺れる黒髪に触れれば、くすぐってえとルフィが首をすくめて笑った。
「ルフィ・・・」
「ん?」
サンジの脳裏には今、普段無愛想なくせにルフィだけは穏やかな光を湛えた目でみつめる男の姿があった。

文句あるか、海賊王
死んだら殺す
考えたらこの船下りて海賊やってる理由はないんだ、俺は

言葉の端々に奴の生涯をかけた船長に対する思いが見え隠れする。
いつだって未来の海賊王しか見ていない、全てをこのほそっこいチビすけに持っていかれちまった哀れな未来の大剣豪。

「なあ、アイツは…あのクソ剣士はおまえのことを好きだって言うのか?」
「たまにな」
サンジがやっと搾り出すように問うた言葉にも、ルフィは顔色一つ変えずに答えた。
当たり前のような淡々とした口調が悔しいと思う。
髪に触れた手をそのまま首に回し、ねじ切ってやろうかという邪念にすら駆られる。
それなのに
「…で、おまえもアイツに言うのかよ」
その一方でサンジは知りたい欲求を抑えきれない。
ルフィ、おまえは口にするのかと。
アイツに。ゾロに。好きだという言葉を伝えるのかと。
「…たまにな」
ルフィが頷いた。やはりいつもと変わらない声と表情で。

それ以上の言葉を続けられないサンジに、ルフィがこちらを向いて笑う。
「でも俺はサンジも好きだぞ」
無垢な笑顔に却って心が音を立てて凍りつく気がした。
「ああ…とーっくに知ってるさ」
ルフィの言葉は取って着けたようでもないのがせめてもの救いだ。
おどけていったつもりなのにみっともないほど語尾が震えた。

「ルフィ…」
もう一つ。聞きたかったことをサンジは口にする。
「昼間…なんであんなに駄々こねたんだ?」
もしもあれがゾロ相手ならルフィは絶対そんなことはしない。
きっと最後に、ただ一言「船長命令だ、行くぞ」で終わらせてしまっている。
そして奴もそれに肩をすくめつつ、その一方で満足気に苦笑しながらついて行くのだ。
目に浮かぶその光景が胸に痛い。
だがルフィはサンジにその手は使わなかった。
ただ行こう行こうと子供のように主張を繰り返しただけだ。

「サンジに船長命令は要らねえだろ」
ばっさりとした言い様はいっそ小気味いい。
「だっておまえ絶対俺の言うこと聞いてくれるから」
当然だと言わぬ気に笑って口にするそれは子供の傲慢さにも似て、ひどく残酷にサンジを切りつける。
しかも相手が無自覚なだけに性質が悪い。
怒りすら覚えつつ、しかし結果的にサンジはそれに逆らえないのだった。

つ・・・と立てたサンジのひざの上にまた一匹のホタルが止まり、ちかちかと点滅を繰り返す。
見当違いの瞬きに、こんなとこで油売ってねえで早く相手見つけて来いと、サンジが指先で軽く追う。
飛び立つホタルを見送って
「・・・鳴かぬ蛍が身を焦がす」
小さな声で呟いた。
「何だ、それ?」
サンジの呟きにルフィが敏感に反応して尋ねる。
「さあ、なんかの小唄だったかな? 恋に焦がれて鳴く蝉よりも・・・鳴かぬ蛍が身を焦がす、ってね」
そしてさっきロビンがサンジに囁いた言葉。
“あなたも気をつけてね“  と。


残念ながら手遅れみたいですね、ロビンちゃん・・・


「どういう意味だ?」
「さあね」
きょとんと首を捻るルフィに、おまえだけには絶対教えてやらねえ、とにやりとサンジは笑った。


 

    直接口に出さない方が思いは切実・・・ 

= 終 =

atogaki
「鳴かぬ蛍が身を焦がす」…色っぽいことわざですよね
サンジが蛍でゾロが蝉。
結局船長の一人勝ちなんですが。
ゾロとルフィに入り込めずに溜め込むサンジ
ルフィちょっとずるいですか?…すみません
サンジはこのあとキスの一つでもしてから船に帰ればいいと思います。
(押し倒しても可)


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