サンジくんが仲間になって数日が過ぎた。
今まで自分たちは何を食べてたのかと思うくらい、毎回目を見張るような素晴らしい食事が並ぶ。
さすが一流料理店のコックだっただけあって味だけでなく見た目も綺麗。
最もろくに観賞もしないですぐさま胃袋に放り込む奴らが相手では少し気の毒な気もするけど。
そして今日。
キッチンに入り、食卓に目をやって、私ははっと息を呑んだ。
「さっきウソップがいい魚を釣ってくれたんでね、これはそのままが一番と思いまして」
大皿では入り切らなかったのか、大きなトレイに盛り付けられているのは魚。
ご丁寧にも頭と尻尾がきちんと添えられ、その身は綺麗に切り分けられている。
生の魚をそのまま味わう、確か活造りとか言う料理。
一部の地方ではものすごいご馳走と聞いたことがあるし、さすがサンジくん、
見事な包丁捌きは魚に身を切られたことを感じさせないらしく、今でもぴちぴちと微かに動いている。
でも・・・。
「おいサンジ、やべえよ、もっと考えてやれって・・・」
ひそひそと声を潜めてウソップがサンジくんを突っつく。
いつも大袈裟なことしか言わないが実はこの船で一番気が回る彼が、ちらりと私を見て気の毒そうな顔をする。
立ちすくむ私の顔はきっと蒼白だったに違いない。
横たわる魚を見つめたまま動けない。
まぶたのない、つるりとした無表情な目が私を睨んでいる気がする。
微かに漂う生臭さ。
触れた肉はきっと冷たいのだ。
・・・アイツラのように。
どうぞと言ったきり、サンジくんは何も言わない。
いつもは鬱陶しいくらいまとわり付き調子のいい言葉で何かと気を引こうとしてくるのに、
今に限って私に静かな目を向けているだけだ。
海の上で暮らしながら、私は生魚に触れたことがない。
いつも巧みに避けてきた。
臭いも感触も、大嫌いだった。
魚はそのままアイツラに直結するから。
・・・大嫌いな・・・魚人どもに。
「ごめ・・・私、これは・・・」
「食え」
ようやく搾り出した私の言葉を遮ったのはゾロだった。
「食え、ナミ。ただの魚だ」
そして自分もぱくぱくと口に運ぶ。
・・・・ただの魚だ。
あっさりと片付けた一言に、これがゾロの、彼なりの気遣い方だと気付いた。
そっと手を伸ばす。ウソップが無理すんな、と囁いてくれた。
一切れとって口に運ぶ・・・だめだ。
顔に近づけてその臭いに耐え切れない。
生臭い魚たちの記憶に今にも吐きそうになる。
そのとき、横からひょいと顔を出したルフィが大きな口でぱくりとそれを食べてしまった。
「ルフィ・・・」
「食えなきゃいいさ、俺がおまえの分も食ってやる」
嫌いなもんは俺が全部食ってやる、そう言って笑った。
それは彼の気遣いなのか、それともただの食欲からくるものなのか、
それがわからなくて苦笑した。
みかん畑に座って深く息を吸う。
甘酸っぱい香りが肺を満たし、その懐かしい空気にほっとする。
結局、一つも箸をつけないまま私は食堂を後にした。
サンジくんは気を悪くしたろうか、とそれが気にかかる。
と。
「お邪魔していいですか」
優しい声に私ははっと振り向いた。
「サンジくん・・・」
「どうぞ」
差し出されたのはサンドイッチ。
「お腹すいたでしょう?」
そう言って優しく微笑む。金色の髪がお日様に光って少し眩しかった。
「ごめんなさい、あたし食べられなくて・・・」
「構いませんよ、残りはクソ船長とクソ剣士が全部食べましたからね」
ポケットに手を入れ、そこでちらりと私を見るので目で頷くと、彼は煙草を取り出して火をつけた。
「無理だろうとは思ったんです・・・生はね」
そう言えば、彼の魚料理はいつも原型がわからないほど手が込んでいた。
煮込んだりパイで包んだり、細かく砕いてあったり。
においもハーブや生姜を使って消していたと、改めてそのことに気付く。
出会ったばかりなのに、私の村を魚人たちから解放するために命がけで闘ってくれた彼。
ノジコが私の過去も話したと言っていた。
年齢よりもずいぶんいろんな経験をしていそうな彼だ。きっと気付いている。
幼い女の子が一人で魚人たちに連れ去られ、海図を描くだけですむものか。
無力な身体を力ずくで押さえつけられる。
ぬるりとしたいやらしい手の感触と近づく独特の生臭さに気が遠くなって何一つできなかった。
思い出すとその忌まわしさに全身を掻き毟りたくなる・・・。
蘇る記憶に思わず自分の身体を抱くとその手にそっとサンジくんが触れてきた。
「何も気にすることはありませんよ・・・ナミさん。あなたはとても綺麗だから」
「何言ってんのよ」
引こうとした手は、しかし思わぬ力強さに引き止められた。
「俺が傍にいる間はあなたに生の魚なんか食わせません。あなたが何も思い出さないよう、精一杯料理します」
でも、と彼は言った。
「もしも俺に何かあったら・・・、そのときあなたは生魚でも食えなくちゃいけない」
生きるために、と。
手に入るのが魚だけ。調理もできない状況になったとき、生きるためにはあれほど嫌っていた生魚すら口にしなくてはいけない。
私はどうするだろう。
生と死と、どちらを選ぶだろうか。
「俺はナミさんには生きて欲しい。どんなことをしても」
その言葉にようやく気付く。
今日の料理はそれを私に伝えるためのものだったのだと。
きゅっと唇を噛み締め、真っ直ぐに彼を見返す。
「ええ、何があっても生き延びてやるわよ。魚なんかに負けたりしない」
「それでこそナミさんです」
自分でも驚くほどきっぱりした言葉にサンジくんが笑った。その顔にふっと心が和らいだ。
「それにしてもずいぶんとかっこいいこと言うわね」
俺が傍にいる間は・・だって。
普通の女の子ならいちころだわ。
「これくらい言わないとあいつらにには追いつけませんからね」
あごで指した先には、階段の下から私たちを伺う3つの頭。
麦わらと緑と黒と。
それぞれの方法で私を気遣っていてくれた大切な仲間。
「おまえは俺の仲間だ」
そう言ってくれたよね、ルフィ。
私はここにいていいんだよね。
一緒にいていっぱい笑って、そうして楽しい記憶で頭をいっぱいにして。
そうすれば、きっとそのうち魚なんて平気で食べられる。
その日もそう遠くない。
みんなと一緒なら。
心からそう思えた。
< 終 >