〜未来設定です。苦手な方はご注意ください〜
鮮やかに辺りを染め上げながら、夕陽がゆっくりと沈みゆく。
今は穏やかな海も、それに続く入り江も、それを見下ろす小高い丘を覆う草はらも、
小さな島全体が一日の終わりを告げる太陽の挨拶に包まれている。
少女が一人、夕陽の丘に腰を下ろし、入り江と海を遠く見つめていた。
年のころはまだ5歳ほど、今の夕陽に負けないくらい鮮やかに輝く橙色の髪が印象的だ。
時折周りの柔らかな草を手でいじりながら、海の彼方に目をやり、やってくる何かをただじっと待っていた。
背後で草を踏む音がする。
振り向いた少女はそこに母親の姿を認め、その小さな顔をぱっとほころばせて立ち上がった。
「ナミ!」
生憎「ママ」なんてお上品な言葉を口にする育てられ方はしていないらしい。
少女は母を見て嬉しそうにその名を呼び、ぴょんと全身で飛びついた。
「終わった?ナミ」
「ええ、ぜーんぶ済ませてきたわよ」
その小さな体を抱きとめながら、ナミは悪戯っぽく片目をつぶる。
手元にあるのは小振りなカバンが2つ。
「家も家具もみんな売っちゃった」
この島で暮らした5年の歳月を小さな2つのカバンにまとめ、あとは全て処分してしまった。
家具も服も食器も、帰る家すらも、もう何も必要ない。
これからはまっすぐな意志を詰め込んだ身体が一つ、それだけあればいいのだ。
同じ色の髪をした母子は顔を見合わせてにっこりと笑いあい、
並んで草はらに腰を下ろすと、再び目を海の彼方に向けた。
体の異変に気付いたとき、ナミはすぐさま船長に下船を申し出た。
迷いはなかった。
身重の体でついていけるほど、彼らの旅は甘くない。
長年の付き合いだ、それは嫌と言うほどよくわかっていた。
ナミの言葉を聞いたルフィは大きな瞳を一回だけ瞬かせ、何も言わずに頷いた。
ナミをひきとめるような素振りは見せなかったが、ただ一言「いつまでだ」と聞いた。
用を終えたらナミが帰ってくると信じて疑ってもいない、
そんなだからこの男から離れられないのだと改めて思った。
だからナミは答える。
「5…ううん6年後のあたしの誕生日に迎えに来て」と。
今、身体に宿っている命を生み出して、それから5年。
それだけあれば、充分その子を育てることができると計算した。
少なくとも海賊船に乗っても仲間に迷惑のかかることのないように、できれば航海士の真似事くらいはできるように。
何しろあの連中はそろいも揃って、船の進路ひとつちゃんと見られない奴らばかりなのだから。
5年。
子供にいっぱしの力をつけさせて、ナミ自身が再び船に戻るために必要な時間。
それだけあれば充分だ。
というより、むしろ自分がそれ以上の年月を彼らと離れて暮らすことに耐えられないだろうと思った。
船を下りて数ヵ月後、ナミは女の子を産んだ。
そして予定通り、その子を育てる。
物心つく前から、娘にいろいろなことを叩き込む。
海図を読むこと、書くこと、船の進路を取ること、気象を読みとること、我が身を守ること。
ようやく小さな航海士が誕生した頃、ルフィと約束した6年めのナミの誕生日がやってきた。
それが今日だ。
「ルフィたち来るかな…?」
少女がナミを見上げて小首を傾げる。
「あいつら、約束は絶対守るはずよ。あたしの誕生日を忘れてなければね」
実際それが一番の不安なのだが。
「大丈夫よナミ、だってサンジくんがいるでしょ?」
確かに彼なら何十年何百年経とうが出会った女性の誕生日を忘れることはないだろう。
「きっとナミに素敵なお料理を用意して待ってるよ」
ね、と少女はナミに向かって笑う。そして
「でも迷ってるかもしれないね、ゾロがいるから」
くすくすと笑った。
レディに優しい一流コック
方向音痴の大剣豪
少女はまるで見知った相手のように口にする。
彼女にとって彼らは噂で伝え聞く高額賞金首の海賊ではなく、
寝る前に母が聞かせてくれる日常話にでてくる仲間。
どつき合い酒を酌み交わし笑いあう、
すぐそこに息遣いの感じられる、そんな身近な存在なのだ。
ウソップならあたしたちがここにいることみつけてくれるかな
ルフィはゴムの腕伸ばして飛んできてくれるかもね
嬉しそうに続けて少女は海を見る。
今日、海の彼方から迎えに来るはずの海賊船には彼らが待っている。
たくさんの陽気な仲間たちと、そして少女の父親が。
少女は父親を知らない。
だが船に乗ればきっと気付くだろう。
自分とあの男の目元が写し取ったようにそっくりであることに。
「ねえ、あんたの父さんは誰だっけ?」
それはいつもナミが娘と交わす戯れの会話。
母の問いかけに少女は小首を傾げて答える。
「んーんとね、ルフィ」
「そうね」
ナミはそんな少女に頷き、少女もまた満足そうに笑って続ける。
「それからねー、ゾロ」
「そうね」
「あとサンジくん」
「そうね」
「えーと、ウソップと…」
「そうね」
次々にクルーたちの名が挙がる。
そんな風に教えたつもりはなかったのに、気がつけば少女にとっては麦わら海賊団のみんなが父親になっていた。
「あ、ナミもそうよ」
慌てたように付け足す仕草が可笑しくて笑った。
誰が遺伝学上の父親かなんて問題でないようだ。
クルー全員が父親であり母親。
「麦わら海族団の娘」として、彼女は存在する。
その意志を次の時代へと繋ぐ大切な命。それをこの世に産み出し、育てるのが自分に与えられた役割だったのかもしれないと、
小さな背を見ながらナミはそんなことを思う。
「これからずっと海で暮らすのよ」
「知ってるよ」
「怖くない?」
少女はかぶりをふった。
「だってルフィやみんなといっしょでしょ」
すごくうれしいな。
少女が笑う。
夕陽のような明るい髪を揺らして。
もうすぐ日が暮れる。
「ルフィたちホントに今日来るかな」
「来なかったらこっちから行くわよ。どこまでだって追っかけて、ゲンコツ10発づつお見舞いしてやるわ」
「さっすがナミ」
そういった少女が、あ、と声を上げて立ち上がった。
水平線の向こうに夕陽を受けてきらりと光る船が見えた。
白い帆が次第にこちらに近づいてくる。
それに描かれたドクロはきっと麦わら帽子をかぶって笑っているはずだ。
おーいと懐かしい声が遠くから聞こえたような気がした。
= 終 =