「俺は魔法が使えるんだぜ」
そう言ってやると、マグカップからようやく顔を離してルフィがこちらを見た。
大きな黒い瞳が不思議そうにくるくると動くのが面白い。
「ホントか、サンジ?」
素直に返された言葉は馬鹿がつきそうなほど真っ直ぐで、ちょっとは疑えよと苦笑した。
真夜中のキッチンで、サンジがこうしてルフィと向き合って過ごすようになったのはつい最近のことだ。
皆が寝静まった時間。
揺れるランプの薄明かりの中、明日の朝食用のスープを煮込む鍋が奏でるくつくつとした音だけが部屋を満たす。
新たな一日を迎えた仲間に新鮮な朝食を提供する務めに誇りを持っているから、
サンジは自らの睡眠時間を削ってもこうして1人、仕込みに精を出す。
そんなある夜、開いたドアの気配にふと手を休めて振り返れば、この時間は夢の真っ只中にいるはずの船長の姿にサンジは驚いた。
「どうしたよ船長」
帰ってきた答えは至極明快。
「腹減った」だ。
いつもなら配分は決めてあると頑として譲らないところだが(船長にそれを許可したらこの船の食料は3日と持たない)、
夜中にひもじいお腹を抱えて今にも泣き出しそうな顔のお子様に流石に仏心が起きた。
そのらしさに溜息をつきながら、仕方なく簡単な夜食を作ってやったのが運の尽き。
一度餌付けされ味を占めた野良猫同様、それ以来時折ルフィはこうして男連中の雑魚寝部屋を抜け出しては
こっそりキッチンにやってくるようになった。
こっそり、と言ったところで隠し事のできない船長のこと。ルフィの行動は他の皆もとっくに気付いている。
だが誰も仕方ないと言う風に肩を竦めるだけで、止めさせようとはしない。
なんだかんだ言ってもこの船のクルー全員が船長には甘いのだ。
もちろんあの緑髪のクソ剣士も何も言わない ――― 内心面白くはないのだろうが。
「ほらよ」
目の前に置いた皿にわーい♪と言わんばかりにルフィがにこにことした笑顔を返してくる。
猫舌の船長に合う温度に冷ました温かい飲み物。
夜食と呼ぶには少々量の過ぎる食事。
それらを用意するのもいつしかサンジの一連の動きになり始めていた。
「今日はミルクじゃないのか?」
「こんな船旅でそうそうそんなもんが入るか。飲みたいなら今度はヤギでも船に乗せろ」
「おう、それいいな!」
そんな軽口を叩きながら、サンジはルフィとのこの不思議な時間をゆっくりと過ごす。
「今日のこれなんだ?」
ルフィの前に出したのはふんわりと甘酸っぱい果実の香りがする鮮やかに赤い飲み物。
見慣れないのだろう、不思議そうに眺めたりくんくんと匂いを嗅ぐ様がまるで小動物みたいだと思った。
「ハーブティさ」
「いつもナミやロビンが飲んでるアレか?」
「正解。ローズヒップ、バラの実のお茶だ。お子様にはどうかな」
挑発的な言葉を投げれば、ふんとばかりにルフィがマグカップを口に運ぶ。
初めて飲んだその味にどんな感想を漏らすかと密かに待っていれば
「すげえ美味いな、これ」
一口飲んで、甘い、と嬉しそうに笑った。
「結構砂糖を入れたからな」
お子様向けに。
そう付け足してやれば、やはりそれが癪に障るらしくむっとした顔をしながらも、
甘い口当たりが気に入ったかカップに顔を突っ込むようにしてルフィはごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。
結局見事に誤魔化されている。
それだからお子様なんだと可笑しく思いながら、そんな拙い子供のような仕草を目にしているうちに、
サンジはふと口にしてみたくなったのだ。
「俺は魔法が使えるんだぜ」
と。
「ホントか、サンジ?」
ようやくマグカップから離れたまんまるな目がサンジに向けられたので、少しだけ気分が良い。
ルフィの頭にぽんと手を置いてその髪をくしゃっとかき混ぜた。
「ああ、1つだけな」
「俺にも見せろよ、それ」
「いいぜ、ただし俺の用事が終わるまで起きてろよ」
「おお、簡単だ」
どんと胸を張りルフィが笑う。
それに背を向け、サンジは再びいつもの仕込みに取り掛かった。
仕事を始めたサンジはもうルフィのほうを向き直らない。
だがごそごそとした気配に用意されていた夜食のオープンサンドをあっという間に平らげたのがわかる。
「なあサンジ」
ルフィがワクワクした様子を隠そうともせずに話しかけてきた。
「魔法って何だ」
「内緒だ」
「教えろよ」
「後でな、まあ待ってろ」
「ちぇっ」
そういいながらも待ちきれないのか、座っている椅子をカタカタゆすりながら、ルフィは幾度もなあサンジ、と呼びかけてくる。
今日見た雲の話、ウソップが修理中に指を打った話、ゾロが何をしたのかナミに怒られてた話、
そんなことをとりとめもなく喋り続ける。
それにふんふんと適当に相槌を打ちながらも、サンジの手もまた休まず動き続けていた。
手馴れた軽快な動きで次々に仕事を片付けていく。
最後にふきんをぱんと広げて干し、今日の片付けも明日の仕度も無事終了。
さあ待たせたなとサンジが振り向いた時には、いつの間にか静かになっていた背後では
すでにルフィが大きなテーブルに突っ伏してふにゃふにゃと夢の中を漂っているところだった。
「やれやれ」
小さく溜息をついて、いつしかキッチンに常備するようになった毛布をかけてやる。
これもすっかりお決まりのパターンとなっていた。
サンジはネクタイを緩め取り出した煙草に火を点けた。
「残念だな、船長」
何の悩みも見えない幸せそうな寝顔に話しかける。
「俺の魔法が見られなくて」
うつぶせた顔にかかる髪をそっと払ってやった。
むにゃむにゃと、寝惚けて何か言う様はとても高額賞金首の未来の海賊王には見えないほど幼くて、
だからこそ ――― 愛しく思えてしまう。
「ルフィ・・・」
聞こえないのを承知でサンジは眠りの中にいるその名を呼んだ。
ルフィ、知ってるか
俺の使える魔法はおまえ専用なんだよ。
腹減っただの眠れないだの、夜中に彷徨うおまえにふんわりと眠りの粉をかけてやることなのさ。
温かい飲み物とおまえの好きな食い物と、多少の小道具を使ってな。
小さな安定した寝息を確かめてサンジは満足そうに笑う。
けれど。
「できるなら眠り姫を眠らせる魔法使いの役はそろそろ勘弁願いたいんだがね」
深く吸った息を吐き出し、手の中の煙草をゆっくりと燻らせる。
紫煙の行方を見やる耳には遠くから足早に近づいてくる足音が聞こえてきた。
今夜もまた、いつまでも戻ってこない船長に業を煮やしたアイツが迎えにきている少しイラついた足音。
できるなら。
もう魔法使い役は御免だ。
「姫を起こすプリンスの役、たまにはこっちにも回せよ」
サンジの胸の中の嵐など、何も知らずに眠るルフィの上にそっと屈みこむ。
近づけた顔にかかるルフィの寝息に、まるで初心な少年に戻ったように胸が早鳴った。
キスで姫を起こした王子様。
俺にもその資格はあるだろうか。
試してみようか。
そこのドアが開く前に。
= 終 =
修羅場3秒前。
この直後にドアが開いてクソ剣士様の登場ですv
ゾロルベースのサン→ル。
私の書くサンジはいつも報われません・・・ごめんね。