海からの・・・


こんなに日の光を浴びたのは久しぶりだ。
薄暗い海中に慣れた身に、鮮やかな太陽は少しだけ息苦しくて、ルフィは肩で大きく息をつく。
明るい空の下には不釣合いな闇色の船を操りながら、そろそろだろうかと上げた目に懐かしい風景が見えてきた。
海に向かってそびえ立つ大きな崖。そこをぐるりと回るとすぐ先に浜が広がっているはずだ。
彼はあのどこかで自分を待っている…そう思うだけで早くなる鼓動を抑えきれなかった。


ルフィが「彼」に会えるのは5年にたった1日きり。
限りのある逢瀬は胸を焦がすほど待ち遠しく、しかし同時にひどく切ないものだった。
会いたい思いと会わないほうがいいという思い。矛盾するその二つが常にルフィの中でぶつかり合っている。
だから5年前、またここでと背後から叫んだ彼に答を返さないまま振り返りもせず別れた。
それなのに約束の今日、再びその場所に船を向けてしまっている事実がルフィを戸惑わせている。
こんなにも会いたいと思い続けていた自分自身の心をはっきり思い知らされて。

ゆっくり崖に船を近づけたそのとき。
「ルフィ!!」
ずっと聞きたいと思い続けた声が、風に乗り波の上を渡って辺りに響き渡った。
崖の上に立つ人影は遠目にも見誤るはずが無い。
「ゾロ!!」
その一瞬で戸惑いも逡巡も、全ては吹き飛んだ。
今はただゾロに会いたい。ゾロに触れたい。
ルフィが思うのはそれだけだった。


*  *  *


どれくらい昔になるだろう。
ルフィは海に面した小さな村で、両親と暮らすごく普通の少年だった。
両親も隣人も、やんちゃで無鉄砲な行動にいつも手を焼きつつ、それでもいつでもルフィを見守り心から愛してくれていた。

だがルフィが17の誕生日を間近に控えたある日、それまでの穏やかで幸せだった生活は突然終わりを告げる。
それまで風邪一つ引いたことの無いルフィが病に倒れたのだ。
病はすでにルフィの体中を冒しており、もう手の施しようは無いと医者は首を静かに振った。
残されているのは近づいてくる死をどう受け入れるかのみだと。
辛い現実だったが、当事者のルフィは不思議と静かにそれを受け止めることができた。
だが愛しい我が子を失う悲劇に見舞われた両親は、絶望の中に憔悴しつつも その一方であらゆる手を尽くすべく奔走した。

ある日父親が船乗りから手に入れたという不思議な木の実を携え、飛んで帰って来た。
珍しい外見と色にルフィは首を傾げる。
「なぁ父ちゃん、それ何だ?」
「悪魔の実だ。これを食べると海の命を与えられるんだとよ」
噂は聞いたことがあった。
海の悪魔が作り出したと言うそれは、どんな病も治し…いや死にかけた命すら戻す万能薬だと言う。
命を得る代わりに恐ろしいことがその身に降りかかるとも言われていたが、ルフィに迷いは無かった。
治療費のためにひたすら働き疲れているだろうに、ルフィの前では笑顔を絶やさない父と母。
大好きな二人のために死にたくない、ただそれだけの思いでルフィは悪魔の実を口にした。


噂は本当だった。
ルフィを蝕んでいた病は嘘のように消え、医者は奇跡だと呆然と呟いた。
だが大喜びする皆を嘲笑うように、ルフィが悪魔の実を口にした瞬間海との間に結ばれた契約は、 それを果たすべく着実に触手を伸ばしていたのだ。

数日後の夜、身体中に潮の匂いを纏った不気味な男がルフィの家を訪れた。
ルフィを自分の後継として迎えるために。
男が語るには、失いかけた命を得た代償は呪われた漆黒の船に乗り込み、 生と死の狭間の空間で海を彷徨う魂を導く役割を担うこと。
しかもそれは代わりの者が現われるまで永遠に続くのだという。
かつてはこの男も人間だったのかもしれないが、どれだけの年月を海で暮らしたのかすでにその面影は微塵もなく、 残酷な話を告げ終わると海臭い息を吐いてにやりと笑った。
両親は頑なに拒んだが、すでに他の選択肢の無いことをルフィは悟っていた。
ここで拒んでも逃げ場など無く、むしろ皆が無残に殺される最期は容易く想像できる。
両親がルフィを愛してくれたように、ルフィもまた両親を愛していた。
だから最後に、「ありがとう」と二人に一番いい笑顔を残し、ルフィは大好きな家を後にしたのだった。


以来何十年何百年、どれくらいの時が過ぎたろうか。
気の遠くなるような永の歳月、ルフィは漆黒の船を操って海を航海し続けている。
永遠に海に囚われた身だが、5年に1度、特別に1日だけ陸に上がることを許されていた。
5年に1度の5月5日。
皮肉なことにそれはルフィの誕生日でもあったのだが、最初の頃は両親恋しさにただひたすらその日を待ち続けた。
飛んで帰ってはそれまでの空いた時間を惜しむようにしっかりと抱きしめあって涙したものだが、 何度目かの再会でルフィは気づいてしまった。
いつまでも別れたときの17歳のままでいる自分と違い、 両親は確実に老い、周りの状況もどんどんルフィを置いて変わって行くことに。

やがて二人は皺だらけの老人になって順に亡くなった。
そしてそれきりルフィは陸に戻るのを止めた。
誰とも拘わることなく、ただ一人で孤独な時間を寂しくないと言えば嘘になる。
だが海は広く、そこで見る景色の多様さはいつまで経っても果てが無い。
海鳥や魚達と会話を交わし寂しさを紛らわす術も覚えた。
誰かにこの辛い役目を任せて自由を得ようという気も無かった。
だからルフィはこれ以上もう何も望むまいと決め、 自分の運命を静かに受け入れ永遠にも似た時を過ごしていた。

…ゾロに会うまでは。