4 〜現在〜
それからの5年がこれほど長く感じられるとは思わなかった。
あの日から一日、いや一瞬たりとてルフィはゾロのことを忘れたことは無い。
もう会わない、そう決めたはずなのに以前よりも一層強くゾロだけを思う自分をルフィは認めるしかなかった。
そして今日、
船を回す自分がいる。
そんな自分を待っててくれたゾロがいる。
「ルフィ!!」
自分を呼ぶ声を耳にした瞬間、もう答えは出ていた。
船を飛び下り、波を蹴散らし、砂を踏みしめ、崖を駆け上がり、
気づけばルフィはゾロと約束した場所で、自分を見つめるゾロと向かい合っていた。
「ここからだとすげェ遠くまで海が見渡せるんだな…。おまえの船が現われたのがすぐにわかったよ」
ゾロは前より随分と落ち着いた話し方をするようになった。
それがゾロにとって、いや普通に時を重ねるものにとっての5年と言う歳月なのだ。
ゾロは馬鹿だ。何もわかってやしない。
ルフィはぐっと唇を噛み締める。
このまま一緒にいたところで二人一緒の未来なんて有り得ないのに。
お互いに傷つけ傷つくことは目に見えてるのに。
それなのに…ルフィをまっすぐに見つめてくる瞳はやっぱりものすごく熱くて…。
「ルフィ」
「ゾロ…」
「やっと会えた」
「おまえ…いくつになった」
「19だ」
大きくなったろ?とにやりと笑うゾロは、すでにルフィの年を越えていた。
背もルフィを追い越している。
身体もさぞかし鍛えていたのだろう、肩幅は広くその身体はもう大人の男のものだ。
すっかり見違えた姿はひどく眩しく映り、目が離せなかった。
「ゾロ…」
ゆっくりとその名を呼ぶ。
もうルフィの中で覚悟は決まっていた。
たとえ時の流れの中でゾロに置いて行かれようとも、
5年にたった1日だけの逢瀬だろうとも、
ゾロがルフィを思い続けてくれる限り、自分はゾロと共に生きようと。
いつの間にか頬を濡らしていたのはとうの昔に捨てたはずの涙。
悲しいとか辛いとか、そんな感情に支配されては残酷な一人の時を生きていけるはずも無かったから、
ルフィはその全てを胸の奥に封じ込めた。
だがゾロの手を取ると決めた途端、氷結していた感情は一気に溶け出した。
ルフィは止める術もなくただ涙を流して泣き続ける。
「泣くな…」
頬に伸ばされたゾロの手がそっとルフィの涙を拭う。その手に自らの手で触れて
「ゾロの手は…温けェな」
思わずルフィが呟けば
「お前の手もちゃんと温かいぞ」
ほら、とゾロはルフィの手を自分の頬に当てさせ、そのまま唇まで運んでそっと触れた。
舌が舐める湿った感触にどきりと胸がなる。
「ゾロに会うとおれはおかしくなる…ずっと何も望まず誰にも触れず生きてきたのに…」
「もう無理だろ…おれ達はこうして出会ってしまったんだから」
答えはもうわかっていたけれど。
「…まだ3回しか会ってないのに?」
「でも10年だ」
ルフィに出会ってからの年月が出会う前の年月を越えたとゾロは言う。
「10年、ずっとおまえのことだけを思って生きてきた…」
そのまま手を引かれ胸に抱きとめられた。
もうルフィに抵抗する気はなかった。引かれるままに腕に収まり、そして自然に手を背に回す。
ゾロが大好きだった。ずっとずっと激しく焦がれていた。
傾いていく秤の針を戻すことはできなかった。
「……ふ…っ…」
ゾロの激しいキスは息つくことも許してくれなかった。
唇を離された途端に足の力が抜けてずるずるとその場に座り込む。
それを追ってゾロも覆いかぶさる形に膝をついてルフィの上に屈んだ。
「ルフィ…」
耳元で囁かれる声は低く落ち着いた大人の男の声。
「おれもこの5年、ただぼーっと今日を待ってたわけじゃねェ」
何を言いたいのかと、ルフィはゾロの顔をじっと見上げた。
「どうしたらおまえの傍にいられるか…考えて…でもわからねェことだらけで、それであちこちを調べて回った」
「なに…を?」
「海に囚われた永遠に年を取らない少年の伝説、ってヤツだ。
案外あちこちにあるもんだな、悪魔の実を食っちまったヤツの話ってのは」
「そうか…」
「アテになんねェ噂の方がずっと多かったが、いくつか面白いもんがあった。
例えば、その役目を解き放つのは代わりとなる者が現われたとき」
「ああ」
自分がかつてあの不気味な男に迎え入れられたように。
「あとな、試してみてェ噂が一つ…」
にやりと意味ありげに笑った顔に胸が疼く。
声だけじゃない、あの幼かった子供はこんな悪い男の表情をするまでに成長していた。
「呪われた身体と交わった者もまた、同じ呪いを受ける…これってどうだ?」
「え…」
頬に伸ばされて優しく撫で回してきた手の意味を言葉から理解したときには、ルフィの身体はもうゾロの下に抱き込まれていた。
うなじに当たる草の感触。上からゾロの顔が被さってくるのを必死で押し戻す。
ゾロの言葉の意味が解らないほど、ルフィも伊達に長い年月を生きてはいない。
それにその噂が真実か否かも知っている。
だからこそ、両親がこの世から去った後、ルフィは陸に戻るのを止めたのだ。
もし戯れに陸に上がって、そこで迂闊にも誰かに情を落としてしまったら。
愛した者を自分と同じ時間軸に巻き込む。それがルフィは怖かった。
それなのに
「ゾロ…待…っ」
ゾロは遠慮なく垣根を飛び越え、ルフィに先の行為を強いる。
「何秒待てばいい?」
もう待てないと真剣な眼差しが言外に語ってくる。
抱きしめる腕も近づく顔も、容赦する気は全く無いらしい。
「そうじゃなくて…その…」
「おまえが嫌なら諦める、こればかりは無理強いするもんじゃねェからな…」
そういってルフィを腕に抱いたまま、僅かに身を起こすとゾロはじっとルフィを見下ろした。
「おまえはどうしたい、ルフィ?」
答を問いかけながら。
「ずりィ…」
ぐっと手を握り締めながらルフィは答を探す。
もうゾロと離れることなんか考えられないのに。
この状況下、身体はゾロにもっと触れていたくて自分でも抑えきれないほどなのに。
それでも呪われたこの身をゾロと繋げるその罪の大きさにルフィの心が警告を発している。
止めるのか進むのか。
躊躇いと渇望とがない交ぜになり何も考えられない。
今はただひたすらに、目の前にいるこの男が好きで、好きでどうしようもなくて。
そんなルフィの逡巡を見てとったゾロが口を開いた。
「ルフィ…おまえに初めて会ったあの日、おれは一度死んでるんだ。
親父やお袋や兄弟、皆と共に海に沈んでおまえに魂を導かれるはずだった。
そんなおれを拾い上げて生かしてくれた瞬間から、おれの全てはおまえのものなんだよ」
「ルフィ、おれの時を止めろ。二人で共に生きるために」
言われなくてもわかる。そのまっすぐな瞳に宿る覚悟は本物だ。
「馬鹿だな、ゾロ。後悔…」
「しねェよ」
ルフィの言葉を拾ってゾロがきっぱりと告げ、もう一度、今度は少し深めのキスをルフィに贈る。
「ゾロ…」
唇を離しながら大きな息をつき、そしてルフィは自分からゾロの首にゆっくりと手を回した。
海にはいくつもの伝説がある。
闇の色の船に乗り、海で彷徨う魂たちを導く麦わら帽子をかぶった少年。
永遠に年を取らない彼の悲しい話もまた、船乗りたちの間ではまことしやかに囁かれている。
ただ最近、その話は少しだけ変わった。
時折海上に姿を見せるその船を目にした者が言うには、
永遠の時間を生きる海の少年は、かつて語り継がれていたような寂しい顔はしていないのだそうだ。
こちらが思わず惹き込まれるようないい顔で幸せそうに笑っていると、皆が口を揃えて言う。
それは少年の船にもう一人、常に傍に寄り添う人影を見るようになってからだと、
ラム酒を手にした海の男達は、いつも笑顔でそう語るのだった。