3 〜5年前〜
まだ幼かったゾロが自分を覚えてくれている保証など何処にも無い。
何度も躊躇い、それでも僅かな奇跡を心のどこかで望んでルフィは5年ぶりに陸に降り立った。
「ルフィ!」
ゾロは約束を忘れていなかった。14歳に成長した姿でゾロが駆け寄ってくる。
まだいくらかルフィよりも低いが身長も伸び、逞しい筋肉が付いた身体にはあのとき涙を堪えていた子供の面影は無い。
それでも
「やっと会えたな、ルフィ」
見つめてくる目は昔のまま…いや気のせいでなければもっと熱い思いを湛えて見えた。
ずっと会いたかった、5年間ずっと思い続けてきたと告げて、ゾロはルフィを引き寄せた。
かつては小さな手でルフィにすがり付いてきたのに、今ではもうルフィが抱きしめられると言った方がいい。
ゾロの広い胸にすっぽりと収まった身体がカッと朱に染まり、自分も5年間ずっとこの日を待ち続けてきたと思い知らされる。
けれど、今のゾロがもう子供の域を出ようとしつつある事実、それはゾロの時間が動いていると言うことだ。
逆に止まったまま動かないルフィの時間。
わかっていたはずなのに何故また会う約束をしてしまったのだろう、と後悔が過ぎる。
ゾロが逞しく変わったからこそ、そして変わらず思い続けていてくれたからこそ、その先を思うと切ない思いで胸が一杯になる。
だからその日、海の見える崖にゾロと並んで座りながら、ルフィは全てをゾロに話した。
自分にかけられた海の呪い。
海に囚われた身は、永遠に止まった時間の中を生きていくこと。
それ故に誰とも拘わることができないこと。
最後に、だからもう会わないほうがいいということを。
話し終えてルフィはゾロに、ありがとう、と笑って見せた。
遠い昔、自分を愛してくれた家族との別れ際、自分の一番いい顔を覚えていて欲しくてそうしたように。
「…おまえに会えてよかった。ありがとう、ゾロ」
やっとの思いでそれだけ告げて立ち上がったルフィだが、ゾロはその言葉を受け入れはしなかった。
「まて」
腕をつかまれ、あっという間に引き寄せられる。
「ゾ…」
名を呼びかけた唇が塞がれた。
荒々しい、けれどまっすぐなキスはそれだけで一気に身体が火照る。
力の入らない腕で、それでも懸命に引き剥がそうとしても、ゾロはそれを許さなかった。
「離れたくねェ」
一層きつく抱きしめてくる腕の強さに、断ち切ろうとしたはずのルフィの心が揺らぐ。
すっぽりルフィを包み込めるほど広くなった胸の心地よさに酔い、そして大きな背に縋りたくて腕を回しかけ、そこで危うく踏みとどまった。
「ゾロ…おれはおまえと同じ時間を歩くことはできないんだ…だから」
「いやだっつったろ」
なけなしの抵抗も封じられ、再びさらにきつく抱きしめられた。
重ねた胸からゾロの早い鼓動が伝わってくる。おそらくルフィの鼓動が激しいのもゾロには筒抜けなのだろう。
「ルフィ、おまえと別れたあの日から、おれはいつも海ばっかり見てた。いつもおまえのことが頭から離れない。
皆にも言われたよ、おまえはあの事故で海の魔物に魅入られたんだと。
もう自分でもわかんねェんだ、どうしてこんなにおまえに会いたくてたまらないのか」
抱きしめながら切ない声で発せられる言葉に答が返せない。
素直にゾロを抱きしめ返したら事態は何か変わってくれるだろうか…だがそれは儚い望みな気もする。
そして『海の魔物に魅入られた』
ゾロが口にした、周囲の容赦なくも的を得た言葉がどうにかルフィを冷静にした。
「ゾロ…さっきも言ったろ。おれの時間は17のまま止まってる。それこそもう何百年もだ。
けれどおまえの時間はこれからも進み続けるんだよ。
誰かに出会って恋をして、結婚して子供が生まれて…そしていずれは年老いて死んでいく。
おまえが普通に生きていく時間の流れの中にいることを、おれは許されていない…
…そんなのよくわかってるのに…なのに…なんで今日、約束しちまったんだろうな…」
「ああそうだ。何故だよ」
「ゾロ」
「そこまでわかっていながら、何でおまえは今日この場所に来た?」
ゾロの真剣な眼差しを受け止めてルフィの視界が揺らぐ。
「なぁルフィ…それっておれに会いたかったからだろ?」
自分を見つめるゾロの瞳に勝ち誇った色があるのをルフィは見た。
会いたかった…ああそうだ。おれはゾロに会いたかった。
同じ時を刻めるはずも無いのに、それでも一目でもいい、
あのとき触れた身体に…心に、もう一度会いたかった。
「ゾ…」
捕らえられた頭をぐっと引かれ再び唇が塞がれた。
今度のキスはさっきのものよりも静かで…しかし魂も溶けそうなほどに熱い思いが流れ込んで頭の芯が痺れそうになる
こうしていつまでも抱き合っていることができたならと揺れる意識で思う。
けれど、ゾロの肩越しに水平線の彼方に沈もうとする夕陽が見えた。
海からルフィを呼ぶ声がする。おまえの居場所に早く帰って来いと。
許された一日はもう終わる。海との契約を破ることはできない。
これ以上ここにいることはできなかった。
「ゾロ…ごめん……もう時間だ…」
惜しむ身体をありったけの心で制御して、ルフィはゾロの胸を押す。
「ルフィ」
「おれ…海に帰らないといけない…」
後ずさりつつ…けれど背を向けることができないのはみっともない未練だ。
それでも自分に科せられた重い枷にゾロを巻き込むことはできない、その思いだけが崩れ落ちそうなルフィをかろうじて支えている。
「ルフィ、5年後だ」
「知らねェ…」
返す声は無意識に震える。
「5年後の今日、またここで。おれは待ってる…絶対に待ってるから!」
背後で叫ぶゾロに返事もせず、振り切るようにルフィは海に向かって駆け出した。