甲板U


ぱたぱたと、来た時と同じ様に軽やかな草履の音を立てルフィの気配が去っていく。
穏やかな陽に包まれた甲板から完全にいなくなったのを確認して、ようやくゾロは身を起こした。
むっつりと不機嫌極まりない顔を隠しもせず(どうせ誰もいないのだから隠す必要もないが)、 短い頭髪に手を差し込み、がしがしと乱暴に頭を掻く。
先ほどルフィにわしゃわしゃと触られ続けたゾロの髪はすっかり乱れ、あちらこちらへ跳ねまくりだ。
いやあれは「触る」なんてもんじゃない、「引っ掻き回す」というのだ。



それにしても今日が誕生日だなどとうっかり口走ったために、船中がゾロにとってはどうにも面白くない展開になっていた。
船を覆うこの甘ったるい匂い。
――― 俺が甘いもん苦手と知ってるくせにあのぐる眉コック!
船底から響きわたる賑やかしい槌の音。
――― おかげで眠れねえ!
意味ありげにこちらを見てのくすくす笑い。
――― 癪に障る、あの女狐ども!



おまけに、甲板で不貞寝を決め込んでいたら、ふらりとルフィがやってきた。
特に用があったわけでも無さそうなので、そのまま声もかけず放っておいたところ、 暫くは隣でおとなしく横になっていたが、やがてむくりと起き上がるとゾロの髪に手を触れだした。
最初はそれでも遠慮がちにさわさわと。
しかし次第に遠慮は無くなり、その手には力が込められぎゅっと髪を握るものだから、 その痛さに何度ゾロは飛び起きてルフィを殴りつけようと思ったことか。
だが今のゾロは誰かと顔を合わせたい気分ではなかったので(それがルフィだとしても)、何とか辛抱して目を瞑り続けた。
それはルフィが何かを思い出したように突然走り去るまで続き、ゾロはよく耐えた自分を褒めたい気分になった。


大体この船のクルーは揃いも揃って馬鹿ばっかりか!?


失礼にもゾロはそんなことを思う。
仮にも自分たちは海賊なのだ。
いちいち仲間の誕生日をこれほど開けっぴろげに騒いでどうする?
そんな皆の訳わからなさを腹立たしく思う。


大体そんなにめでたいもんなのか、生まれた日なんて。


――― 嬉しいよ


ふわりと声が舞い降りた気がした。
それは懐かしい彼女の声だとゾロはすぐに気付いた。


――― 昔はあんなに誕生日喜んでたくせに、忘れちゃった、ゾロ?


これは幻聴だとわかっている。
それなのに、うるせぇぞくいな、とゾロはその幻に答を返す。
彼女の声が聞こえるはずも無いのに、幻のその声が伝えてくるのは確かな事実だと、 他でもないゾロ自身がそれを知っているから。



ゾロにとって誕生日の思い出は彼女のくれた白い花だ。
ひたすら剣の道を追う年上のその少女は着飾ることを知らない。
いつもお決まりの白いシャツに身を包んだ地味な、それでいてとても清楚な姿をしていた。
「はいこれ」
背の高い彼女の声が、いつものように頭上から降ってくるのが少しばかり面白くない。
むっとした顔を向ければ、目の前に一輪の白い花が差し出された。
「何だよ、これ」
「今日誕生日なんでしょ、だからお祝い」
「いらねぇよ、俺とお前はライバルなんだぞ、そんな奴からもらえるか!」
ぱんと弾いた手を引きもせず、少女はにっこりと笑った。
「家族ならもっとうーんとお祝いしてあげる。友達ならもっとたくさんのプレゼントをあげる。 でも、私とゾロはライバルだからしてあげるのはこれだけ」
一輪の小さな野花。

その真っ直ぐな目に気圧されて、ゾロはそれ以上何も言えなかった。
結局花を黙って受け取り、家に持ち帰ると空き瓶に入れて机の上に飾ったのだが、 その花を見る度、少女の深く澄んだ黒い目を思い出し、目のやり場に困った。


ゾロの目標である年上の少女。
数年先に生まれている分、彼女はゾロよりも背が高い。手も足も長い。剣を扱う技術だってその数年分先を行っている。
その差を補いたくてゾロが必死で鍛錬に励めば、その間に彼女は更に先に進んでいる。
いつまでも追いつけないことがとてつもなく悔しくて生意気盛りの子供はいつも歯噛みをしていた。

誕生日が来て年の差は1つ縮まる。
だがその数ヵ月後には彼女の誕生日が来て、またゾロとの差は広がる。
地団太を踏むように早く早くといつも祈っていた。
早く年を取って少しでも彼女に追いつけるように。
年々彼女との身長差は少しづつ縮まっている気がする。だが、年だけはそのままだ。
当たり前のことなのに気ばかり急いた。

そんなゾロを見て彼女はいつも笑って諭す。
急いだってすぐには大きくなれないよ、
ゆっくりだって大丈夫、
ゾロは絶対強くなるから、と。

そしてその年のゾロの誕生日。
彼女は野から摘んだ一輪の白い花をくれた。
おめでとうと、飾らない心からの言葉を添えて。
借りができたままなのは面白くないから、彼女の誕生日にはゾロも何か返そうと思っていた。
ちょっと悔しいが、ちゃんとおめでとうとも言うつもりだった。

だが。
次の誕生日を迎えることなく、ある日突然に彼女の時は止まってしまった。
もう年をとることも背が伸びることも無い。
その一方でまだ彼女を失ったことを受け止めかねている間も、ゾロの時は動き続ける。
そして再び誕生日が巡り、1つ年を重ねた時。
あんなに待っていたはずなのに、ゾロは自分にとってそれがもう何の意味も成さないことを知った。




いつの間にか彼女の年も越え、自分の誕生日など思い出さなくなって久しかったのに。





11月11日。
一年で唯一同じ数字が4つ並ぶゾロ目の日。
その「トクベツ」な響きがよほど嬉しかったらしい。ルフィのはしゃぎようは尋常じゃなかった。
ルフィの思考はシンプルだ。
何かあれば気持ちいいほど一直線に向かっていく。
誕生日が来ればいつか年上のライバルとも同い年になれると躍起になっていた、どっかの馬鹿ガキによく似ている。
あまりにも楽しそうな様子だったので、だからそれにもう1つ「トクベツ」を加えてやりたくなった。
だからもう何年も思い出しもしなかったくせに、思わず「今日は俺の誕生日だ」などと口走ってしまったのだ。
それからのこの船の騒ぎようにはかなり後悔したけれど、それでもまあいいかと諦めた。



白い花と彼女の黒い瞳。
賑やかな船と黒い瞳の船長。


どちらも心から自分を祝ってくれているのだと、その思いを素直に受け止められるくらいにはゾロも年を取ったから。


――― 大きくなったね、ゾロ


ふと聞こえたそんな声に、ゾロはまたうるせぇぞ、と1人呟いた。


「おーい、そろそろ支度できたぞー!」
キッチンからコックの声が響き渡り、ゾロはやれやれと苦笑してゆっくりと立ち上がった。




そして・・・   →   甲板Vへ

「Happy×Happy Day」 TOPへ