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(別タイトル「冷たい」の続きです)

ピンポンピンポーンとドアチャイムが2回、勢いよく鳴った。
この家に来る客であんな鳴らし方をするのは1人しかいないとゾロは知っている。
母親もその辺は心得たもので、インターフォンで確認することなくすぐにドアを開けたようだ。
ゾロがいる2階からでもよく聞こえるほどばたばた騒がしい音とともに
「おばちゃん、こんちはー。ゾロいる?」
ルフィの元気な声が廊下に響いた。


夏休みの終わりにルフィの宿題を見てやったあの日から、幼馴染同士の2人はまた互いの家をしばしば行き来するようになった。
考えてみれば歩いて数分の近さ。
「忙しい」を言い訳にすれば何日も顔を合わせないままでいることもできるし、 「会おう」と思いさえすればいつだってそれは可能になる、
それがルフィとゾロ、2人の距離だった。
豪雨の中、思わず抱きしめてしまった体にはあれ以来触れたことはないけれど、 ふと何かの拍子にルフィと見交わす自分の視線にゾロは今までとは違った熱さを感じている。
あの時はっきり気付いてしまったルフィへの思い。
ゾロは今自分でもそれをどうしていいか答を出せずにいた。
手を伸ばして思い切り引き寄せるべきか、このまま蓋をして何事もなかったかのような振りをし続けるか。
答が出せないのは、こちらのそんな悶々とした思いとは裏腹にルフィがあれからも全然変わっていないせいだ。
いつも元気だったし、ゾロを見ても何の拘りもなくよく笑う。
その翳りない笑顔にゾロは却って「仲の良い幼馴染」の位置から踏み出せずにいる。
そしてそれを寂しいと思う一方で、どこかほっとしてもいたのだった。


そして今日もルフィは元気にやってきた。
子供の頃からルフィをよく知るゾロの母親はルフィがしょっちゅう家に来るのが嬉しいらしく、
「もうルフィちゃんたらホント変わんないから、嬉しいわv ヒナ感激vv」
「おばちゃん、そんな触ったらくすぐったいって」
「いいじゃない、ゾロみたいに筋肉でごつごつした子なんて触ってもちっとも楽しくないの。ヒナ不満。
その点ルフィちゃんは昔っから柔らかくって抱きごごちいいから、大好きv」
今も階下からそんな賑やかなやり取りが聞こえてくる。
生憎とゾロは所属する剣道場での稽古で連日忙しく、せっかくルフィが訪ねてきてもいないことが多かったが、 それでもルフィは毎日のようにこの家を訪れてはゾロが帰るまで(恐らくルフィなりに気を遣って)この母と一緒に過ごしてくれていた。


素直で人懐っこいルフィをゾロの母は昔から大層気に入っている。
よちよち歩きの頃から一緒だった2人は、この家でもよく遊んでいた。
壁のあちこちに落書きもしたし、障子を破るのなんて日常茶飯事。
それでも母はルフィに対して怒ろうと思ったことなど一度も無いらしい。
他所の子だから気を遣うのではない、ルフィだからなのだそうだ(考えてみれば他人の子だろうが容赦なく叱る母だ)。
「おばちゃんごめんなさい・・・」
自分が悪いことは素直に認めきちんと謝る子供。
しゅんとしょげて俯く姿はいつもがあっけらかんとした様子だけに却って健気に映り、そんな様子がたまらないと母はよく言っていた。


とは言え放っておけば母のこと、何時間でもルフィを独り占めしそうだ。
自分だって今日は久々にこの時間からルフィに会えたのである。貴重な時間をみすみす母に取られるわけにもいかない。
ゾロは上着をつかむと足早に階段を降り
「おふくろ、ルフィとちょっと出てくる」
そう声をかけてルフィを促した。
明らかにむっとした母にルフィがぺこりと頭を下げて詫びる。
「いいのよルフィちゃん、気にしないでね。でもお散歩行くなら気をつけなさい。
アイツね、結構手早いんだから、2人きりで暗いとこには行っちゃダメよ。ああ・・ヒナ心配」
「馬鹿なことルフィに吹き込んでんじゃねえ」
「ふん」
つんとそっぽを向いた母に内心舌打ちしながらゾロはルフィを連れて家を出た。



「ゾロんちのおばちゃんてホント昔から全然変わんねえなあ」
ルフィが感心したようにうんうんと頷いているのに、ゾロは不満げな顔のまま、そうか?とだけ返した。
アイツをおばちゃん呼ばわりして無事でいられるのはお前くらいなものだと内心密かに思っていたら、 その眉間の皺の寄せ方がそっくりだと笑われた。
夕方の気配が穏やかに辺りを包み始めた午後の時間。
住み慣れた地元の町を2人して目的もなくただぶらぶらと歩く。
大股でゆったりと歩くゾロとそれに合わせて小刻みに足を動かして歩くルフィ。
早めの夕食の仕度か、時折どこからか漂ってくる醤油と砂糖の甘辛い匂いに、「食い物」に敏感なルフィがくんと鼻を鳴らした。
子供の頃からどんなに遊びに夢中であってもしょっちゅう鼻をくんくんさせて嬉しそうに笑ってたそんな仕草を思い出し、 ゾロは相変わらず無邪気な幼馴染を微笑ましく見やった。
「ルフィ、今日はうちでメシ食ってけ」
ゾロのかけた一言はルフィのツボをついたようで
「おおサンキュな、ゾロ!」
ぱあっと素直に顔を輝かせ、で今日のメシ何だ?と聞いてくる。
「・・・たくおまえは・・・。ついでだ、マキノさんも呼んじまえ」
「うわ、いいのかゾロ。母ちゃんもきっと喜ぶぞ〜」
ルフィの母マキノとゾロの母ヒナは親友同士だ。
元々は子供を通して知り合ったのだが、年も近くどちらもかなり若くして母親になったという共通項があり、 ゾロとルフィが大きくなった今でもしょっちゅう行き来している。
性格的にはバリバリと天然と両極端の2人だが、それが却って合うらしい。
実際この世であの母とやっていけるのは、いつも全てを包み込むような笑顔のおっとりとした彼女くらいだろうとゾロは思っている。
だからマキノを呼ぶようルフィに持ちかけたのだが、ますます満面に笑みを浮かべ母親に連絡するべく いそいそ携帯電話を取り出したルフィを見ながらゾロは少しだけ良心の呵責を覚えた。
このままうちに帰ったところで母がルフィにちょっかいをかけてくのは必至。
だがゾロとしても今日はせっかくゆっくりルフィと過ごせる数少ない機会なのだ。
「マキノさんにおふくろのこと頼むと言っといてくれ」
ゾロの言葉に電話を耳に当てたままルフィが右手で輪を作って了解のサインを出した。



空は秋色。
2人が歩く道を、風に乗って舞う枯葉がかさこそと乾いた音を立てて吹きすぎていく。
僅かに色づき始めた夕空に焦るように、遊びに歓声を上げる子供たちの声がどこからか聞こえてくる。
甘辛い匂いに混じって漂うのはつんとくるカレーやら焼き魚の香ばしい匂いやら、 それぞれの家の夕食作りもピークに差し掛かってきたようだ。
懐かしい夕暮れ時の風景だとゾロは思った。
「なあゾロ」
つい目や耳や鼻の感覚に囚われて会話が途切れていた。
ルフィに呼ばれゾロはふっと我に返る。
「お、悪ぃ、ぼうっとしてた。何だルフィ?」
「なあ、神社行かねえ?」
ゾロを見つめ返した大きな瞳が楽しそうにきらきらと光っていた。



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