「おまえの刀はレディだな」
いつだったかサンジがそう言った。
のんびりとしたある日の航海、ゾロが刀の手入れをしていると、厨房仕事の合間に一服していたサンジが声をかけてきた。
てめえの目には何でも女に見えるんだろ、と返せば、そうじゃねえよ、と意外に真面目な目をする。
お互いよほど暇だったのだろう、2人でそんな他愛もない会話を交わした。
「3本が3本ともおまえに惚れてる」
サンジが言った。
そりゃあ命を預けあう関係だ、それくらいの感情は持つだろうと思ったが、自称愛のコックに言わせれば、
こいつらのそれはそんな生易しいものとは全然違うのだそうだ。
「三姉妹ってところかね。これが長女…」
和道一文字を指した。
「この刀は凛とした美女だ。しっかり者でいつもおまえのちょっと先を歩いている。
しかも、おまえが敵わねえくらい強い」
な?とにやりと笑った顔が憎らしい。
しかも図星だ。
こいつにはくいなの話はしていなかったはずだと思いながら、ゾロは黙ってそれを聞く。
「おまえが迷わないように、真っ直ぐに進めるように、おまえを導いてくれている」
で次女、と鬼徹を指した。
「なかなかやんちゃなレディだな。邪魔になるものは全て斬り捨て、地獄の果てまでおまえと共に戦おうってくらいの気概に溢れてる」
持ち主の命を吸い取ると忌み嫌われた妖刀はいつしかゾロの守り刀になっていた。
真っ先に暴れたがる鬼徹をふるい、ゾロは大剣豪への道をひた走ってきたのだ。
「こんなクソまりものどこがいいのかね」
とことんおまえに惚れこんでるぜ、彼女は。
そんなサンジの言葉に微かに鬼徹が震えたような気がした。
「じゃあ、こいつはどうだってんだ」
サンジの話に乗っかるのは癪だが、なかなか的を射た指摘が面白く、ゾロは黒い鞘の雪走をその目の前につきつけた。
「末のお嬢さんは清楚な美少女。しかも聡い。おまえが闇の道に踏み出せば、即座にその腕を斬ってでも諌めるんじゃねえの?」
静かに、しかしいつでもゾロの傍に寄り添ってくれている雪走。
どうよ、と言う目でサンジがゾロを見る。
正直おどろいた。伊達に何年も傍で共に戦っていたわけではないらしい。
3本の刀のちょっとしたくせを見抜き、的確に言い当てたことに少なからず感心する。
それを女と言い表すのが、このコックらしいところではあるが、3本の刀たちがどれだけ自分を慕ってくれているかゾロにもわからなくはない。
くいなの形見として手にしてから、ローグタウンで初めて出会ってから。
どれだけの戦いを共に潜り抜けてきただろうか。
時が流れる。
そして今。鬼徹はゾロを守って散った。
大剣豪としてはあるまじき失態だが、雨に視界を奪われた一瞬の隙、放たれた銃弾にほんのわずか反応が遅れた。
だが、何故かゾロの意に反して左手が動く。
反射神経とか本能ではない。
それは刀の意志、だった。
刃を向けるには遅かった。
刀身の真横から口径の大きい弾丸を受け、きぃぃんという鋭い金属音を残してゾロの目前で鬼徹は真っ二つに折れ、散っていった。
ばか、油断すんな
そんな叱咤が聞こえた気がした。
雪走は海に消えた。
その死角から、海兵の銃口が疲弊したルフィを狙っていたが、ゾロは煙る雨にそのことに気付けずにいた。
だが今度もまた、まるで刀が意志を持ったかのようにゾロの手が動かされた。
あ、と思ったとき、すでに雪走はゾロの手を離れ、ルフィを狙う海兵の肩口を貫いていた。
一発の銃声を残し、雪走は海兵の体と共に海の向こうに消えた。
雪走らしい静かな別れだった。
しかし、その間も雨風は激しく叩きつけ、ゾロに別れを惜しむ間を与えてはくれない。
もう一度ゾロはしっかりと和道一文字の白い柄を握りなおした。
ルフィは船首の近く、彼のいつもの指定席であるメリーの頭の辺りで戦い続けている。
力の入らない腕を振り上げ、また数人の海兵をいっぺんに弾き飛ばした。
そのときだ。
突風に煽られ船がぐらりと大きく傾いだ。
その角度は今までになく大きく、まるで天地が逆になる感覚だ。
やばい、と咄嗟にゾロは手近にあった柱にしがみついたが、ルフィは突然のことにバランスを崩し、
傍にいた海兵とたちと共に甲板を滑っていく。
ゴムゴムの…
だがいつもなら伸ばせるはずの腕は、海の前にもうその能力を失っていた。
常人と同じルフィの腕はもう伸びない。
空回りした手はどこにもつかまることができないまま、ルフィは為すすべなく大きく口を広げた暗い海に向かって落ちていく。
やらねェって言っただろうが!
ゾロがそう思ったとき、3たび体が動いた。
ゾロ、早く!
そんな声が聞こえ、無意識のままゾロは和道一文字をルフィめがけて放っていた。
ルフィのシャツが刀に縫い付けられる形で斜めになった甲板に留まる。
あちこちから海兵たちが海に転げ落ちるわあわあという叫び声の中、
すっかり力を失くしながら、それでも顔を上げたルフィがゾロを見てにっと笑った。
「ナイス、ゾロ」
「…ああお安い御用だ、船長…」
答える自分の声が震えているのにゾロは苦笑した。
ここまで傾いたのだ、まもなく船は沈むだろう。
さてどうしたものかと思うがとりあえずルフィを助けなくてはいけない。
ゾロは傍にあったロープを柱に結びつけ、右手で握りながら傾いた甲板をルフィに向けて滑っていく。
あと少し…
左手を伸ばしたそのとき、風に煽られた和道一文字がぐらりと傾き、ルフィのシャツから外れかけた。
「!!」
ルフィと和道一文字は、同時に甲板を離れて荒れ狂う海に落ちていく。
ゾロは懸命に手を伸ばした。
だが自由になる腕は一本だけ、救えるものも一つだけだ。
ルフィか、和道一文字か。
迷いはしなかった。
ゾロはしっかりとつかんだのだ―――――ルフィの腕を。
偉い、ゾロ
くすりとくいなの笑い声が聞こえた気がした。
一瞬だけ白い刀身を煌かせて和道一文字は暗い闇の中に消えた。
「ゾロ…」
微かに自分を呼ぶルフィの声にはっとして、ゾロはルフィを安定するように抱き直す。
「当たり前だろ」
ルフィに最後まで言わせたくなかった。
最後の選択は、今度こそ自分の意志だったのだから。
「どうする、ルフィ?」
もちろんまだ戦える。
とことんもがいても良かったが、当初の目的はすでに果たし終えた。
ナミたちの船はきっと無事逃げおおせたはずだ。
だからこの先の選択はルフィに委ねた。
どんな答えであろうと、もちろんゾロは従う。
「そうだな…」
ルフィが目を閉じた。長時間海水に浸された体が苦しそうだ。
「おまえと一緒ならまあいっか」
にやりと意味ありげに口元が笑った。
ルフィがそういうのならここまでだ。
ゾロはほっと息をつき、腕の中のルフィをその存在を確かめるように抱きしめる。
海軍の連中の声がどこか遠くで聞こえてくる。
ばさりと頭上から被さってくる網を、2人は抱き合ったまま構いもせずに受け止めた。