きちんと配分はしてあったはずなのに、誰のせいだか残りの食料が心許なくなってきた。
急遽食糧補給の必要をサンジがナミに泣きついて間もなく。
幸いなことにどうやら次の島までは近かったようで、サンジが思っていたよりもずっと早く、
島影が見えたと見張りのウソップの声が船内に響き渡った。
物騒な海賊マークの帆は早々にたたんで、あまり大きくも無い見るからに穏やかそうな島に入港する。
春島と夏島の中間くらいだろうか、気候で言うなら恐らく初夏の頃。
暑さに茹だるほどでもないが、それでも気付くと肌がうっすらと汗ばんでいる。
山の方から時折吹き降りてくる涼やかな風が湿った肌をさらうとほっと快感を覚えた。
最初の印象どおり、港といってもごった返すほどの人通りはなく行き交う人々の顔も平穏そのもの。
のんびりとした田舎の町だった。
停泊の準備を整えると、早速買いだし部隊が財政担当大臣・ナミからの指示のもと、船を下りて補給に出る。
あんたは荷物もちだの俺は新しい火薬が欲しいだの、口々に希望を言い合いながら、結局船番に残されたのは、
船が早く着きすぎたために珍しくまだ仕込み途中のサンジと、
「腹減ったと騒いで煩いから」という至極簡単な理由で留守番を命じられた(船長なのに)ルフィ、
そしていつものように自ら希望したロビンの3人だった。
自分の目で食材を確認したいサンジだったが、ログが溜まるまでまだかかるし、
今日は当座の買出しにして明日行きなおせばいいとナミにも言われ、しぶしぶ買出し部隊を見送った。
4人の後姿を無事に見届け、さあ仕事に戻ろうと腕まくりをしたところで
「サンジ〜、腹減ったぞ、何か食わしてくれ」
内心そろそろかと思っていた通り、お決まりのセリフが飛んできた。
居残りを命じられた船長様はよほど暇らしい。
両膝を抱え丸くなって甲板を意味もなく右へ左へころころと転がりながら、おーいおーいとサンジを呼ぶ。
そのお子様っぷりはどこが一億ベリーの賞金首かと疑いたくなるほどだ。
「なー、サンジぃ〜」
戦闘時にはどんな相手にも怯まないくせに、食事が絡むとコックにまるきり敵わない船長はいつもこうして甘えた口調で下出に出る。
くるりとした大きな目に吸い込まれそうな錯覚を覚えるが、そんな手にいちいち引っかかっていてはこの船のコックは務まらない。
「・・っるせーぞ、ルフィ!ほんとなら今頃俺はナミさんと一緒にお買い物してるはずなのに、何だって船に残っててめぇに飯食わせなきゃなんないんだ!」
「別にそれ俺のせいじゃねーもんよ」
サンジが時間の配分間違えただけじゃん、と涼しい顔であっさりかわすルフィの頭にサンジのかかと落としがきまる。
「・・てぇ!」
むうっとして頭を擦るルフィにちょっと待ってろと言いのこし、顔を上げたルフィが、え?と思う間もなくすぐにキッチンからサンドイッチの大皿を持って現れた。
量と言い種類の豊富さと言い、もちろん今作ったものではない。
船長の行動などすべてお見通しの彼が、事前に用意しておいたものだ。
食べ物に関しては目ざといルフィがそれにすばやく反応し、その目がみるみる大きくなっていくのを満足そうに眺め、
ほらよと大皿を手渡してやる。
「これでも食って、あとは魚でも釣ってろ!」
「ほーい」
今までのふくれっ面はどこへやら。
きらきらと目を輝かせ、語尾にハートマークが付きそうな勢いでルフィが大皿を抱え込む。
「さすがサンジだ、ありがとな〜」
この上なく嬉しそうにサンドイッチを口に運ぶ姿に、軽く肩を竦めながらサンジはルフィを残してキッチンに消えた。
一人残ったルフィが、もぐもぐもぐもぐ、ひたすら手も口も動かして休む間なく頬張っていると、
「素敵なコックさんね」
ルフィには縁遠い分厚い本を手にしたロビンが近づいてきた。
うまいぞ食うかと差し出されたサンドイッチを軽く笑って断り、ロビンはルフィの隣に腰を下ろす。
「サンジか?うん、あいつの作る飯はいつも美味いぞ」
パンの間からのぞくピクルスを引っ張り出し、指でつまんで先に口に入れる。
残った『ハムだけサンド』をぱっくんと一口で収め、仕上げに指についたサンジ特製ソースを丁寧になめ取りながら、
ルフィがまるで自分が褒められたかのように嬉しそうな顔で笑った。
声にも自慢げな色が一杯に混じっているのをロビンは微笑ましく見つめながら、この船長の子供じみた傲慢さを改めて思う。
口ではあれこれ言いながらも、結局サンジは何時だってルフィの望むがままに動いている。
忙しいサンジに、しょっちゅう腹減ったとまとわり付く自分を悪いと自覚しているのかいないのか。
結局は腹減るもんは仕方ないしな、で自己完結してしまっているルフィだが、それでもサンジはそんなルフィをいつでもきちんと受け止める。
(もちろん蹴りの一つ二つは一緒に飛ぶが)。
それはコックとしての責任感だけでなく、彼の持つ誠実さと優しさと、そして静かに抱き続ける想いから。
ロビンもナミも
ウソップも
チョッパーですら。
当事者でありながら、食べ物しか目に入らないお子様なルフィとどこまで気付いているのか一切顔には出さないゾロを除いて、
クルーの皆にはとっくにわかりきっていることだ。
「サンジはいつも俺には優しいんだ」
だから大好きだ、とルフィは尊大なセリフをさらりと口にして笑う。
「それ剣士さんに言ったことある?」
「ゾロ?おお、ゾロにそう言ったら飯で釣られやがってって変な顔してたぞ」
その時さぞ心中穏やかでなかったろう剣士の仏頂面が目に浮かび、それを変な顔での一言で済まされてしまったことに少しばかり同情して、
でしょうね、とロビンは苦笑した。
「じゃ、あんちゃんたちありがとな」
島の老人がよっこらしょ、と荷車にかけた縄をしっかり締めなおして礼を言う。
先ほど道中でこの老人が荷車の大荷物を引っくり返した。
港の外れで行きかう人も無く途方にくれていたのを、船からルフィが見かけて飛び出し、
何事かと駆けつけたサンジやロビンも手を貸して助けたのだ。
「ほんとに助かったよ、あんたらいい人だな」
ここにいるのが実は高額賞金首2人を含む海賊なのだと教えたら、きっとこの老人は腰を抜かすだろう。
「お礼にいいことを教えてやろう」
「いいこと?それって宝か!?」
案の定、ルフィのわくわくが始まった。
「まあ、そんなとこだ。この道をずーっと一時間くらい行くと綺麗な清流がある。そこはちょうど今ホタルの時期でな、夜はそりゃあ綺麗だぞ」
そう言って老人は港から山へと向かう道を指した。
「ホタル?」
ルフィが首を傾げるので
「綺麗な川だけに住む虫よ。お尻のところが光るの」
ロビンが教えてくれた。
「何だ、麦わらのあんちゃんは知らないのか?なら一度見なくちゃなあ。・・・ただ他の奴らには絶対言うなよ。
これは島の人間以外には内緒なんだ」
「なんで?」
「やつらはデリケートな虫でな、たくさんの人間が来る場所には住めないんだ。島の者は皆あの光が好きだから、そっとしておきたいんだよ。
だから他所には秘密にしているんだが、あんちゃんたちなら大丈夫だろう。せっかく来たんだ、一度見ていくといい」
「おお、そっか。サンキューな」
「じゃ、わしはもう行くよ」
もう一度礼を告げて老人は立ち去った。
「ホタルか・・」
小さくなっていく背を見送り、船に戻ろうと縄梯子に手をかけたサンジが呟く。
「な、サンジはいつ見たんだ、ホタル?」
ぽつりと漏らした言葉の懐かしげな響きはルフィの興味を引いたらしい。
あまり他人のことには首を突っ込まない性質の彼が珍しく尋ねてきた。
「ああ?ずいぶん昔だ、ガキの頃に一度だけだよ。まあ確かに綺麗だったな」
「ずりぃな〜、何でサンジ一人で見んだよ」
途端にルフィがずるいずるいを連発する。
今更どうしようもない昔のことをずるいと言われてもそれはスジ違いというものなのだが、もちろん彼にそんな道理は通じない。
「じゃあ、船長さんもあとで見に行けばいいじゃない」
あまりのガキ船長ぶりにサンジが呆れ果てていると、ロビンが横から助け舟を出した。
早速サンジはその舟に乗る。
「そうだぜルフィ。ナミさんやチョッパーにも教えてあとで皆で行・・・」
「ダメだ!」
ロビンやサンジの提案に、だがルフィは彼にしては非常に真剣極まりない顔できっぱりと拒否した。
「おまえらさっきのじいさんの話聞いてなかったのか?これは内緒なんだ。他のやつらには言っちゃダメなんだぞ」
「いや、確かにそう言われたけどよ・・」
ルフィの意見は確かに正しいが、総数わずか7人だ。それくらいならさっきのじいさんも笑って許してくれそうな気がする。
だが馬鹿正直に受け取ってしまったルフィはどう言ったところで聞き入れそうも無い。絶対に3人だけの秘密にするつもりらしい。
サンジの狼狽をよそに、横ではロビンがくすくす笑っている。
「俺はそのホタルって見てみたいぞ。なあ、サンジ、見に行こう」
「俺とかよ!」
振られて思わず梯子にかけてた足を踏み外してしまった。だが船長の駄々は留まるところを知らない。
「ロビンも行こうぜ」
「私は前に見たことがあるから遠慮しておくわ」
さすがにロビンは大人の余裕であっさりとかわす。
「ちぇ〜、じゃサンジ、2人で行こう!」
「やなこった」
なんでおまえと2人で行かにゃあならねえんだ、とサンジがルフィの額を弾く。だがルフィもそんなことではめげない。
「行こうぜ〜、なあサンジ〜、ホタル見に行こう行こう行こう〜〜〜」
「うるせぇ!てめぇはガキか!?」
そのしつこさにはさすがにサンジも閉口する。だがこうと決めたお子様は何がなんでもそれを通そうとするもので。
「じゃ夜みんなが寝ちまったら行こうな。約束だぞ、サンジ」
「え? おい、ちょっと待てルフィ!」
一方的な約束を一方的に投げつけると、ルフィはもう後ろも見ない。
ひょいと縄梯子をつかみとんとんとんと重力など無視した身の軽さで船に駆け上がった。
あわてて追いかけようとしたサンジだったが、
「あら、2人ともこんなとこでどうしたの?」
ナミの声に振り返ればちょうど買出し部隊のご帰還であった。
果物の入った小さな袋だけを下げたナミの後ろには、お目当てのものが見つかったのか嬉しそうにはしゃぐウソップにチョッパー、
そして山のような大量の荷物を持たされ不機嫌モード全開中の剣士の姿がある。
ちらりとロビンが自分に視線を向けてくるのが感じられたが、サンジはいえ何でもないですよ、とナミに笑って見せた。
その一方で、さっきまで散々聞かされ続けたルフィの駄々がまだ耳に残って離れない。
“一緒にホタルを見に行こう”
幾度もそう言ってサンジを誘ったルフィを、生憎買出しに付き合わされたこの剣士は知らない。
夜みんなが寝ちまったら行こうと約束したことも。
その奇妙な優越感がサンジの頭をくらりとさせる。
たぶん自分の顔はどこか引きつっているはずだと思いながら、サンジはもう一度ナミに笑いかけた。
ナミさん腹減ったでしょう、おやつにしましょうか、といつもの口調で。