海は凪いでいた。
日差しも穏やかで風は順風。
そんな恵まれた条件の下、俺たちを乗せた小船は順調に前に進む。
そして俺はさざめく波の音に揺られながらすっかり寝入っていたらしい。
目を覚ましたときには、ずいぶんと陽の位置は変わっていた。
一瞬状況がつかめなかったが、頭を2,3度振ってようやく俺は
自分が海賊となってとんでもない奴と航海に乗り出したことを思い出した。
で、そのとんでもない当人はと言えば、船の反対の端でなにやらごそごそ動いている。
ちょうど食料の置いてあるあたりだ。
さすがに腹でも減ってきたか、そういえば俺も・・・
とそこまで考えていやな予感にはっとする。
「おい」
「ん・・ ふぉきふぁのか、ふぉろ?」
起きたのか、ゾロと言ってるらしいが、口いっぱい頬張られた食い物のせいでよく聞き取れない。
「おい、おまえ食い物・・」
「ん・・ぐ、ほいこれ」
ごくりと口の中の物を飲み込んで、奴は俺にりんごを1個投げてよこした。
それから続けて小型のパンが2個とチーズの塊が飛んでくる。
「美味かったぞ〜、ゾロも食ってみろよ」
「ああ、ありがとう」
そして悪かったなと聞こえないように付け足す。てっきり1人で全部食い尽くしたかと疑ってしまった。
だが
「ちょうどよかったな。もう少し遅かったら俺が全部食っちゃうとこだったぜ」
やっぱりそのつもりだったのかよ!
・・・ってちょっと待て!?
「おい、あと残った食料って・・」
「ねぇよ、食っちまったもん」
「ば、馬鹿かてめぇは!?」
俺は頭がくらくらしてきた。
確か町を出るとき、礼だと言ってあの子供の母親が沢山の食料を分けてくれた。
結構食う俺が見ても3日分はありそうな量だったが、それを1日、いや1回で全部食っちまったと言うのか、この馬鹿船長は!?
はあ・・・・俺はわざとでっかい溜息をついてやった。
出会ってまだ間もないが、こいつの頭に計画性と言う単語のないことが骨の髄まで染み渡った。
俺も大概先を見て行動するタイプではないが、それでも海の上で水と食料がなかったらどうなるか位は分かっているつもりだ。
俺たちはそれぞれの野望を抱えて海に出た。
俺は世界一の大剣豪に、そしてこいつは海賊王になるために。
野望を叶えるためなら命は惜しくないし、そのために戦って死ぬのも仕方ないという覚悟くらいある。
しかしだ!
その前に飢え死にしたのではシャレにもならない。その辺のところをこいつは分かっているんだろうか。
「どうした、ゾロ?食わないんなら俺が貰うぞ?」
「食うよ!!」
腹が立つほどのんびりした口調に、俺はやけくそで叫んだ。
緊急事態に俺たちは進路をどこかの島へと変更した。
もっとも元々漂流に近いのだから変更も何もない気がする。大体「どこかの島」というあたりが適当だ。
幸運にも少し進んだあたりで前方に島影が見えた。必死に舟を漕ぎ、俺たちはそこに向かって船を進めた。
「ふぁーー、やっとついたぞーー!」
お気楽船長が嬉しそうに身体を伸ばす。
見たところ周囲4−5km程度のちいさな島。だが全体が緑に覆われており動植物の気配もある。食料調達には困らなそうだ。
船を海岸近くに繋ぎ止めると、船長がもう腹が減ったと騒ぎ出した。
てめぇはさっき散々食ったろうが・・!
そんな人の気も知らず、こいつは満面に笑みを浮かべ子供のようにそわそわしながら辺りを見回している。
「ここ無人島かな?この森ってなんかありそうだよな。なあなあゾロ、俺ちょっと探検に行ってくる。なんか食い物あるかもしんねえし」
初めて会った時から感じていたことだがこいつは本当に子供以下だ。自分の欲求優先で計画性も警戒心も持っちゃいない。
言うが早いか飛び出そうとするのを、俺は襟首をつかんで引き戻す。
「あのなあ、こんな初めて来た島で1人で行動して何かあったらどうするんだよ」
「平気だ、俺強いし」
不満げにぷ・・と口を尖らせたこいつを俺は呆れるというよりむしろ微笑ましく眺め、失礼ながら可愛いなどとも思ってしまう。
ほとんど保護者の気分だ。
そんなわけで俺は、ほんの少し低い位置にある頭をぽんと麦藁帽子ごと叩いて言ってやる。
「だから一緒に行こうぜ、キャプテン」
不貞腐れていた顔がみるみる内に、きらりんと音でもしそうに輝いた。
やっぱこいつは面白ぇ。
「おお!」
そして俺の手を取ると、指を絡めぎゅっと握ってきた。
「おい・・」
「これなら絶対はぐれないだろ」
俺の抗議も、ししし・・というお得意の笑顔でかわされてしまう。
「行こうぜ、ゾロ」
そして俺の手を引いて歩き出した。
仲良くお手手繋いで未知の森探検か。
かつて海賊狩りとして知られた俺を知ってる奴らが見たらいったいどんな顔をするだろう。
しかも情けないことに恐らく俺は今まんざらでもない顔をしているはずだ。
それが自分でも分かるので、俺は諦めてでっかい溜息を付いた。
「わかったよ、行こうぜ、ルフィ」
「あ!」
「え?」
驚いたようにこいつがいきなり立ち止まって振り向いたので、俺は危うくけっつまづきそうになる。
「なんだよ!?」
「おまえ今初めて俺の名前呼んだ!」
「え、そうか・・?」
「そうだ。な、ゾロ、もっかい呼んでくれよ」
よしてくれ、と思った。そんな嬉しそうな表情で詰め寄られて、今更できるもんか。
「あー、あとでな」
「だめだ、今だ。船長命令だぞ」
職権乱用だな。しぶしぶ俺は従う。
「行こうぜ、ルフィ。・・・これでいいか?」
「ししし・・・なんかいいな。よし、もっかい」
「ルフィ」
「もっかい」
「いい加減にしろ!」
俺の拳骨が奴の頭にヒットした。ちぇっ・・と痛そうに頭をさすりながらちらりと俺に目をやって悪戯っぽく笑う。
本当に子供だ。すんだ黒い瞳がきらきらと俺を見つめている。とても嬉しそうに。
そして困ったことにその笑顔に俺も何だか嬉しくなる。
「ほら行くぞ」
だから今度は俺から手を繋いでやった。
「うん!」
素直な返事が返ってきてぎゅっと俺の手を握り返す。
男にしては小さい掌と細めの指。だがそれはとても暖かく俺の手を包んでいてその温もりにほっとする。
「なあ、俺がおまえの名前呼んだの、ほんとにさっきが初めてだったのか?」
「ああ、ほんとは俺ちょっと寂しかったんだぞ。おまえずっと俺のことキャプテンとかてめえとかしか言わないからさ」
「これからは・・・」
「ん?」
「これからは必要なときはいつだって呼んでやるよ、ルフィ」
「ああ!」
船長が、ルフィが俺を見て笑った。
ルフィ、と声には出さず俺はもう一度唇だけで紡いでみた。
ルフィ、というその言葉は、初夏の風のような軽さで俺の唇を駆け抜けていく。
目の前のその実物そのままに。
ルフィ・・その名を俺はこの先どれだけ口にするのだろうな。