幸いはぐれることもなく、当座の食料も手に入れることができた俺たちはさっき上陸した海岸に戻ってきた。
今夜の寝床を確保し、夕飯にありつく。
ちょうど夕陽が空と海を朱色に染めているころ。
今日も1日が終わる。
思えばなんて長い1日だったのだろう。
始まりは昨日と変わりなく海軍の処刑場だった。
餓死直前のすきっ腹を堪えながら、こんなとこで死ぬわけにはいかないとかつて親友と交わした約束だけを思い続けていた。
それがいきなり急転直下。
突然現れたルフィと名乗る未来の海賊王と海軍大佐をぶっ飛ばし、そして俺自身も海賊となって海へ出た。
こんな怒涛のような1日はそうそうあるもんじゃあない。
「ゾロ?」
焚き火の日を見つめながら少しぼうっとしていたようだ。
横にいたルフィが覗きこんでくる。
心配そうに、と言いたいところだが、今しがたたらふく食ったせいで満ち足りた顔してやがる。
「どうした、眠いんか?」
とりあえず気にしてくれてはいるみたいだが。
「いや、ただいろいろあったからな」
「そうか?」
しみじみと、それこそいろいろな思いを込めて言った言葉に本気で首を傾げられ、俺はくらくらした。
こっちはマジに人生変わったというのに、こいつには「今日も一日が終わります」程度のことなのか!?
まあルフィがこういう奴だと言うのはもう十分すぎるほど分かってきたし、あれこれ考えるのは俺の柄じゃない。
だが。
人生が変わった、か・・・。
その言葉にふと思考が過去へ飛ぶ。
考えてみれば、俺が「誰か」のことで生き方を変えたのはこれが2度目だ。
一度目は、まだ子供だった。
やり場のない怒りや悲しみ、そんなぐちゃぐちゃの感情の中で、俺はそれに縋るように3本目の刀を手にした。
二刀流が三刀流になり、強くなりないという漠然とした思いは世界一と言う具体的な目標に変わった。
あのときの「痛い」思いは今も俺の心の奥底にずっと存在し続ける。
それに比べれば今回はずっと良い。
「世界一の剣豪」の名称の前に、「海賊王の隣に立つ」というフレーズをくっつけただけだ。
そしてそれは結構悪くないと思ったりもする。
今、俺の隣にいる海賊になり立ての小さな船長。これからこいつとどんな航海をしていくというのか。
「ゾロ〜、いい加減にしろよ〜」
また俺は一人でぼうっとしていたらしい。業を煮やしたルフィが俺の頬をつねってきやがった。
「悪い、悪い」
素直に謝って向き直ると、どうやらルフィは満足したようで白い歯を見せて笑った。
が、向き合ったところで特に交わす会話もない。時間だけがただ過ぎていき、あたりは夜の帳に包まれだした。
「・・・寝るか」
他にすることもないのでそう提案するとルフィも頷いた。
焚き火を挟むように二人でごろりと横になり、深い藍色に染まった夜の空を見上げる。
「火は俺が見てるから先に寝ていいぞ」
「うん」
身体は疲れているはずなのに不思議と眠くならない。
ルフィにしても同じなのか、ずいぶん長いこと経ってもごそごそ身じろいだり、時々はあとかふうとか
不規則な息が聞こえるのでまだ寝てはいないらしい。
「なあルフィ、一つ聞いてもいいか」
俺にしては珍しいと自分でも思ったが、そんな言葉が口をついて出た。
「おう、何だゾロ?」
やっぱり寝ていなかったルフィは律儀に返事を返してきた。
「おまえ何で「海賊」なんだ?」
「あ?」
間の抜けた声。きっと考えたこともない質問だったのだろう。
少し言葉を変えてみる。
「おまえ何で海に出たんだ?」
「そりゃ冒険だ。海にはいろんな冒険が待ってるんだぞ」
思わず身を起こし、目をきらきらさせながらルフィが答える。
このままでは一晩中冒険について語られそうなので、俺は急いで言葉を続けた。
「だったら別に海賊になる必要はねえじゃねえか」
「あん?」
「別に「冒険家」とか「探検家」だっていいだろうが?」
この言葉にルフィは思いっきり首を傾げた。
悩んでいる訳は俺にも予想がつく。
こいつの答えは決まっている、海賊じゃなきゃだめだのだ。
ただその理由が上手く言えない、そんなとこだろう。
だが俺はその理由を聞いてみたかった。
海賊なんて悪党な商売、どう見てもこの真っ白な少年には似つかわしくない。
なのにこいつは海賊になりたいと言う。いや、この様子では海賊以外の自分を考えたこともないんだろう。
そうまでこだわるのは何故なんだ、と気になった。
しばらくの間、ルフィは考えに考え抜いて、そしてようやくぽんと手を打った。答えを見つけたようだ。
「仲間がいるからだ」
「?」
冒険家や探検家にも仲間はいるような気がするが。
そんな俺の内心を読み取ったのかのように、ルフィがぶんぶんと首を振る。
「違うぞ、ゾロ。海賊の仲間はすっげぇたくさんいるんだ。強い奴とか面白い奴とか頭のいい奴とか料理の上手い奴とか、
それからえーと・・・とにかくいろんな奴がいて、みんなで敵と戦ったり歌って騒いだりするんだ」
すごく具体的だ・・・。
どうやらルフィにはひな形となる海賊たちがいるようで、どんな奴らかは知らないが(まあそう悪い奴らではないだろう)、
それが今でもこいつの心の隅々まで深く刻み込まれているのだ。
「小さい頃、村に海賊の一団が来たんだ」
ルフィは横に伏せてあった麦藁帽子に目をやると懐かしそうな表情を浮かべた。
こいつが自分の事を話すのはこれが初めてだと気がついて、俺はそのままルフィを見つめていた。
「海賊ってんで最初は怖かったんだけど、そいつらはとってもいい奴らで俺のことすごく可愛がってくれたし、
それにいつも楽しそうに笑ってた。いっつもだ」
海は楽しいところではない。まして海賊ともなれば命の危険も背中合わせだ。
なのにいつも笑っていられる奴ら。それだけで俺にはルフィの憧れが分かるような気がした。
「そいつらにはいろんなことを教えてもらって・・・俺、本当にそいつらの仲間になりたかった。・・・でもやめた」
一度言葉を切って俺を見つめ、そしてにっと笑う。
「俺は俺の海賊団を作ることにしたから」
ルフィ海賊団。そしてその一人目が俺ってわけか。
「冒険家や探検家は一人でもなれる。でも海賊は一人じゃなれない、だから俺は海賊がいいんだ」
分かったような分からないようなルフィの答え。
だがこいつらしい答えで俺は妙に嬉しかった。
「分かったよ、船長。じゃとっとと仲間を集めないとな。とりあえずは航海士ってとこか」
「いやまず音楽家とコックと・・・」
へいへい。好きにしてくれ。
と、しししと笑うルフィの声が聞こえた。
「どうした?」
「ん、やっぱゾロがいてくれていいなあ、って思ってさ」
こいつは時々こうして突然爆弾を投げてくる。不意をつかれた。
「今まで一人で旅してたからこんな風に話してるとさ、俺にも仲間ができたんだなあってすっげえ嬉しくなる。
おまえに会えて本当に良かった。俺ってラッキーだよな」
思いっきり全開の笑顔で言うものだから、俺は二の句が継げない。みっともないが言葉を捜して口をぱくぱくさせていると
「じゃ、俺もう寝るからな」
こっちが何か言う間もなく、ルフィはぱたんと横になった。
呆気に取られている間に、すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
「もう寝たのかよ・・・」
その早さに思わず呟いてしまった。
子供のままのあどけない寝顔を見ているうち、無意識にその頬に手を伸ばしていたことに気づき、俺はあわててその手を引っ込めた。
何をしようとしていたんだと、堅く自分を戒める。
俺はルフィから逃げるように背を向けた。
何も考えないようにしようと思ったのに
“ゾロがいてくれていいなあ、って思ってさ”
頭の中に先刻のルフィの言葉が幾度もリフレインされる。
出会ったときからずっと見続けてきた何の曇りもない笑顔が蘇ってくる。
無性に顔がみたくなってしまった。
その欲求を堪えることはできなかった。
俺は振り向いて再びその顔を目に写す。
無防備に口元を緩ませ、楽しそうな表情でひたすら眠りの世界を漂っている、今は俺だけの船長。
“おまえに会えて本当に良かった”
ルフィ、それは俺のセリフだ。
おまえに出会えて嬉しいのは俺の方だ。
先刻言えなかったセリフを改めて自分の胸に刻み付ける。
まだ出会って何時間になる?
だがルフィ、
初めておまえと過ごした今日と言う日のことを俺はきっと一生忘れないだろう。
= 終 =