その日が暮れてもゾロは目を覚まさなかった。
今の状態で夜の航海は危険だから今夜はここで船を止めようとナミが提案し、 もちろんルフィに反対する理由もなく、錨を下ろして2隻の船を留めた。
「じゃおやすみv」
夜はあんたがちゃんと見張っとくのよ、と言い残し、軽く手を振ってナミは船室に消えた。
後にぽつんと残されたのは、変わらず眠り続けるゾロと、手持ち無沙汰のルフィ。
ゾロは長いこと寝ていたおかげか、かなり血色が良くなっていた。
がーがーと気持ちよさそうに鼾をかいているのは元気のある証拠だけれど、その一方でこっちの気も知らないでと何となく腹立たしい。
馬鹿野郎と鼻をつまんでやったら、目は覚まさないまま、ん・・と唸って少しだけ身じろぎした。

気付けば随分間近にゾロの顔がある。
その顔を眺めている内に、そういえばずっとばたばたして顔なんてじっくり見てなかったと思い、改めてしげしげと眺めてしまった。
怖そうな第一印象のわりにゾロは整った顔をしている。
顔の輪郭はすっきりと端整だし、鼻筋は通っている。
案外睫毛が長いことも今発見した。
それに唇。
薄い唇がにやりと笑うと冷たい感じを受けるのだけれど、それは決して引かないゾロの自信の表れだと一緒に戦った今ならそれが分かる。

その唇が微かに開いて静かに息をしている。
もう苦しげな様子はない。
静かに規則正しく呼吸は繰り返され、ゾロの体に新たな酸素を取り入れる。
それがゾロの傷ついた体を少しずつ治す手助けとなるのだと思い、ルフィはほっと安堵の息を漏らす。

首を回してルフィは隣の船を窺った。
ナミはもう寝てしまったのだろうか。
カンテラの薄い明かりが微かに揺れているが、静まり返った船には何の気配も感じられなかった。
その静寂とゾロの静かな呼吸がそっとルフィの背を押した。

ルフィはゾロの傍に跪く。
起こさないようにゆっくりとゾロの頬に両手を当て、その顔を改めて見つめて深呼吸を一つ。
ん、と思い切ったように息を止め、ルフィは自分の唇をゾロのそれに合わせてみた。
1、2、3・・・
頭のどこかで冷静に数を数えている自分が不思議だった。
ゾロの唇は思っていたよりずっと温かくて、触れたところから少しずつゾロの体温がルフィの中に流れ込んでくるようだ。
その心地よい感触に酔い始めたとき、乱された呼吸が苦しくなったのかゾロがは・・と息を漏らし、 その音にルフィははっとしたように身を離す。

あれ・・・俺・・・何してたんだ?

つい今までゾロのそれと重なっていた唇をごしごしと手の甲で拭いながら、ルフィは首を傾げる。
胸が知らずどきどきと鳴っていて息が苦しい。
この行為が「キス」と呼ばれるものであることはさすがにルフィも知っている。
だが何故それをゾロとしたのか、あれこれ考えてみてもちっともその理由が見つからなかった。
ゾロの顔を見ているうちにしたくなった、今のルフィにとっては本当にそれだけだったのだ。

考えれば考えるほど一層胸がドキドキ頭がくらくらしてきたので、ルフィははふ、っと大きな深呼吸を一つする。
大量の新鮮な空気が入ってきたおかげで少しだけ落ち着いた。
そしてルフィは火照って赤い顔をぶんぶんと思い切りよく振り回す。

そうだ、ゾロが起きないからだ。
俺はつまんないんだ。ゾロといろんなことがしたいのに寝てばっかいるからだ。
うん、そうだ。ゾロのせいだ、ゾロが悪い!

振り回したせいでごちゃごちゃがすっ飛んでいったのか、きわめて一方的な結論が出た。
頭がすっきりとして気分が良くなったルフィは更に止めをさすべく、ゾロをびしりと指差し
「おまえのせいだ、馬鹿ゾロ!」
と言い放った。
そしてゾロに背を向け反対端の舳先に行くと、さっさと毛布を引っかぶりすぐさま眠りに落ちていった。




* * * * *




小さな寝息が宵闇に規則正しく響き始めたころ。
「何なんだよ、てめえは・・・」
むくりとゾロが起き上がる。
「何一人でばたばたしてやがる。しかも勝手に・・・」
キスしてきやがってと言う言葉は口の中で消えた。
幾分乱暴にぐいと唇を手の甲で拭おうとして、その手が止まる。
目が僅かに細められ、その視線は先ほどの感触を思い出すように遠くへ飛んだ。

確かにゾロは眠っていたが、ルフィが傍によってきて頬を挟んだ辺りでだいぶ覚醒してきていた。
だが、何だと目を開けようと思っていたところへ、いきなり唇が降りてきたのにはさすがに仰天した。
お世辞にも上手くはない、重ねるだけの稚拙なキス。
それなのに身じろぐことも飛び起きることも忘れるほど、それはゾロの全てを麻痺させてしまった。
これが酔うということなのか、酒に酔った経験のないゾロはぼうっとした頭でそんな関係もないことを考える。
ぞくりとした感覚が頭をもたげ、思わず手を伸ばしルフィの体を抱きしめようとしたところで、どうにか我に返ることができた。
ゾロはわざとふっと息を漏らし、それに気付いたルフィが慌てて身を起こす。
去っていく体温に耐え難い喪失感があったが、それよりも今はほっとする方が先立った。

そんな甘い記憶を手繰っていたゾロがふと視線を感じて慌てて振り向けば、いつからそこにいたのやら。
隣の船からナミがその顔に意味ありげな笑みを浮かべてゾロを見つめていた。
「な、何見てんだ、てめえ!」
聞く者を震え上がらせるドスを効かせた声もどもっていては話にならない。
却って胸の内の動揺を露わにする結果となってしまったのが自分でも分かるので、ちっと舌打ちをする。

「・・・・初めて?」
賢い猫のような目を煌めかせてナミが笑う。
「んなわけねえだろ、これでもそこそこ・・・」
「あの子とよ」
強がったセリフをぽんと投げ返され、ゾロは言葉を失った。

「ふーん、まだだったんだ」
無言のゾロを見て得心したようにナミが頷きくすりと笑う。
顔立ちは悪くないが、その笑顔は本当に憎らしいとゾロは思った。
「あんなにアツイとこ見せ付けられちゃったから、とっくにキスくらいしてると思ったんだけどな」
バギーとの闘いのことを言っているのだろう。
ゾロは腹に深手を負いながら檻に閉じ込められたルフィを必死で運んだ。
刺された傷口から血が噴出したが一向に構わなかった。腸がはみ出したらしまえばいい、それだけのことだ。
何でそこまでとナミが叫んだのが聞こえたが、自分でも何故か分からなかった。
ただルフィをあんなところであんな奴らの好きにはさせたくなかっただけだ。
絶対に失いたくない。
だがそれはルフィのためではなく、ゾロ自身のためにそう思っていたと ゾロは微かに自覚している。

「るせえぞ、とっとと寝ろ」
悔し紛れに思い切り睨み付ければ、あー怖い、とナミが大して怖くも無さそうに肩を竦める。
「何よ、海賊に唇奪われちゃったくせに。海賊狩りのゾロが」
去り際にそう言ってくすくす笑うナミを本当に斬りつけたい衝動に駆られた。

海賊に奪われた海賊狩り。
それは何て的確な指摘であることか。
悔しさの納まらないまま、ゾロはそこにごろりとひっくり返った。
頭上には満天の星が広がり、大海原に漂うちっぽけな彼らを見つめている。

魔獣と恐れられた海賊狩りが、未来の海賊王に奪われたのはなんだ?

再び手の甲で唇を拭う。
ごしごしと力いっぱい拭ったのに、ルフィの感触が消え去ることは無く、むしろゾロの中にどんどん広がっていく気がした。
自分でもそろそろ気付いている。
奪われたのは唇ではない―――心だ。

やべえな・・・というゾロの静かな呟きは、誰も聞くもののないまま星空に吸い込まれていった。


           =  終  =

←back

atogaki
次のSTEPはキスでしたーvしかもルフィの襲い受(笑)


Menuへ



templates by A Moveable Feast