雨が降らなくなって久しいこの地に、乾いた音を立てながら囚人用の檻を引いた馬が行く。
その蹄が地を踏むたびに風が起き、起こった風に砂が舞いあがる。
取り囲むように詰め掛けた人々は頭上から遠慮なく降りかかる砂塵に、体中を白くし顔を顰めて空咳を繰り返しながら、
しかし一向に立ち去ろうとはしなかった。
馬車に近寄っては海兵に追い返され、
しかしそれに懲りることなく、一度引いては再び開いた空間目指して周りにどっと押し寄せる。
どこからこれだけと思えるほどの人波は途切れることを知らず、却って時と共にその数を増し続けているようだった。
まるで祭りの前のような奇妙な高揚感がそこかしこに漂っている。
その群集に圧倒されて、海軍の馬車もさすがにゆっくりとしか進むことができず、わずか数キロの道をすでに何時間もかけていた。
皆は一体何をそんなに夢中になって追いかけているのか。
もしそう尋ねる者がいたとしたら、きっと場にいる者全ての嘲笑を浴びることになるだろう。
何を馬鹿なこと言っているんだ、今の時代に生きているくせに知らないのか?と。
人々は押し合いへしあいながらその馬車をひたすらに追う。
少しでも前へ、少しでも近くへ。
一目でもいい、そこにいる「彼ら」の姿を見るために。
彼らが目指しているのは、この世の全てを手に入れ、生きながらにして伝説となった海賊王、
モンキー・D・ルフィ。
そしてその生涯の相棒、この世で最強の大剣豪
ロロノア・ゾロ。
海賊でありながらどうしてこうも人の心を惹きつけて止まないのか、
誰一人として明確な答を持たないまま、人々は馬車を追い続けた。
からからと砂塵を巻き上げながら馬車は行く。
かつての海賊王、ゴールド・ロジャーが命を終えたと同じその処刑台を目指して。
今日、海賊王と大剣豪の死刑が執行される。
「すげえ人だな」
辺りを見回したルフィが、この場にはいたって不釣合いなのんびりとした口調で、率直な感想を述べる。
驚いたように、呆れたように、そのくせどこか楽しそうに。
「全くだ」
それに返すゾロの言葉も同じく平然としたもので、
それはまるで、いつものように波に揺れる船上で会話を交わしているかのようだ。
彼らは今、両手を前で頑丈な枷に固定され、互いの体を背中合わせにした状態のまま鎖で縛られている。
入れられている檻はもちろん普通のものではない、海軍特製の対能力者用に設えられたものだ。
柵は特殊な技法で海楼石を使って設えられており、悪魔の実の能力者は自慢の能力を封じ込められるどころか、
檻に触れるだけでまともに立っていることすらできなくなってしまうらしい、
…というのはルフィと行動を共にするようになって以来、ゾロもさんざん体験してきていることである。
「みんな俺らを見に来てるんだよなあ」
ルフィは他人事のように言う。
「物好きなこった」
返すゾロの口調は呆れるのを通り越して、ごったがえす人の鬱陶しさに不機嫌そうだった。
「そう言うなよ、何たって海賊王と大剣豪の処刑だぞ」
「てめえで言うな!」
ゾロがごつんと、勢いよく頭を後ろに倒してそのお気楽な頭に一発食らわせたので、痛ぇとルフィが呻いた。
だが、軽口を叩いているものの、さすがの海賊王も海楼石相手にかなり堪えているらしい。
強靭な精神力で何とか姿勢を保とうと努力しているが、次第に力を失った身体がゾロの背に凭れかかってくるのがわかる。
その重みを感じながら、ゾロは自分たちをこの体勢で縛ってくれたことをありがたく思った。
檻の周りには彼らを一目見るべく、足の踏み場もないほどぎっしりと押しかけた群集。
こんな多くの人間の目前に、ぐったりしたルフィを晒すなどとんでもないことだ。
「何だか俺たち珍しい動物みてぇだな」
相変わらず口の減らない海賊王はゾロの背後でくっくっと笑っていた。
「砂が入った」
そう言ってルフィが咳き込む。
こんこんと、ルフィがする咳とともに繋がれたゾロの身体が揺すられた。
この乾いた空気にだいぶ喉が痛んでいるのかルフィは咳を繰り返す。
「ルフィ」
首を回してゾロが、気遣うようにその名を呼ぶ。
だが大丈夫かとは訊かない。
当然だろう。海賊王にそんな声をかけるなど失礼にもほどがある。
ゾロがその言葉を口にするのは「事後」くらいのもの。
繰り返される激しさに疲れきって脱力した背に、そっと手を触れながら囁くのだが・・・
2人の密やかな行為に思い出して、くっと一人喉を鳴らしたゾロに
「なに考えてやがる」
不届きな気配を察したルフィが、先ほどのゾロのように後ろ向きにごつんと頭を倒して釘をさす。
「何でもねえ…」
痛みに顔をしかめながら、ゾロは素知らぬふりで答えた。
処刑台へ向かう道中にありながら、2人は何も変わることがない。
大海原にいるように
広い空の下にいるように
ごく自然に2人はそこにいる。
檻の中にいながら
鎖で縛られながら
彼らはどこまでも自由だった。
枷に固定された手を動かしながら、後ろ手でないのは助かるなとルフィが言う。
どうしてだと問うゾロに
だって鼻が痒い時に掻けるじゃねえか
嬉しそうにそう言って、ルフィは人差し指でぽりぽりと鼻を掻いて笑った。