馬車が進むたびに、それを追う群衆が巻き上げる砂埃がざあっと檻を包む。
ついにルフィが激しく咳き込んだ。
海楼石で体もかなり弱っていたのだろう、ごほごほと咳き込むのが止まらない。
「おいルフィ…」
言葉の代わりにただ咳だけが返ってくる。
顔が見えないことで、さすがにゾロもその身を案じて身を捻りかけたそのとき


「止まれ!」
凛とした声が響き、行進が止まった。
何事かとざわつき檻に近づこうとする群集を若い海兵たちが止めに走る。
その間に明るい色の髪をした一人の青年将校が檻の戸を開け、 ひらりと身軽に乗り込んできた。
ゾロは彼を知っている。
2人が捕まってからその身の回りのことについて、あれこれと一切を気遣ってくれた優しい青年だ。
階級は中佐でありながら、どんな雑用めいたことも2人にかかわることは全て自分の手で行い、 今もまた、高い地位にありながらこの行軍の間中ずっと徒歩で2人に付き添っている。

青年は腰の水筒を外すと2人の傍らに膝まづき、それをルフィの口にあてがった。
ごくごくと、ゾロの背後でルフィの喉が美味そうに鳴る。
それに続いてふぁーっと大きく息を吐く音。
ようやく咳が収まり、ルフィが穏やかになった息遣いでほっと体の力を抜く。
その様子に青年も安心したように息をついた。
かつてメガネの奥にあったその瞳は今も変わらず優しい。
「サンキュな、コビー」
すっかり潤った声でルフィが懐かしい名を口にする。
コビーと呼ばれた青年もまたそっと微笑みを浮かべた。
だが思い返したように表情を引き締めると、彼はルフィにもう少し飲めというように水筒を差し出す仕草をした。
「もういいよ」
そう言って顔を逸らしたその口元に再び、半ば無理やりに水筒を近づける。
もう水は出ていない。
だが、まるで少しでも長く馬車をそこに留めておくためのように、彼は2人の傍らに膝まづき続けた。
「ルフィさん、ゾロさん…」
こっそりと声がする。彼の口から聞こえるその呼び名は2人にとっても懐かしい記憶を呼び起こさせた。

もう遥か昔に思える、彼らの長い旅の始まり。
海賊になる夢を抱き、仲間を求めて海に出たルフィの一番最初の冒険譚。
海賊狩のゾロが捕まったという噂を聞いて、コビーはルフィを海軍基地に案内した。
それが伝説の海賊王と大剣豪、2人の出会いなのだから不思議なものだ。
2人を引き合わせた張本人は、皮肉にも海軍将校として2人を捕らえた立場で再会した。

「すみません、埃っぽいから苦しいでしょう」
自身も白い砂埃にまみれた頭を下げたコビーに、ゾロが噴き出した。
「何言ってやがる、これはてめぇのせいじゃねえだろう」
その言葉にルフィもけたけたと可笑しそうに笑い、ああそうですね、とコビーも苦笑した。
「辛ければすぐに何でも申し付けてください」
「罪人に対して、待遇よすぎんじゃねえのか」
殊勝な言葉にゾロが茶々を入れるが、コビーの表情は厳しいままだ。
「あなた方に下手なことをしたら、僕たちがここにいる人たちに殺されますよ」
いつまでも動かない彼らに、何が起こったかとじっと見やる無数の視線をひしひしと感じる。
それは罪人を見るものではない。
人々の憧れと夢をその身に集めた「伝説」の存在に向ける、強く熱いまなざしだ。
熱っぽい目で2人を見送る群衆を前にしては、コビーの言葉は冗談とも思えなかった。

「あと少しで到着です」
「俺たちの命も風前の灯ってか」
たいして緊張感もない、のんびりとしたゾロの声に困ったように眉をひそめながら、水筒を腰に収めてコビーが立ち上がる。
「二人とも、必ず…生きてください」
囁かれた、しかしはっきりとした呟きにルフィが顔を上げた。
「それがこれから処刑台に上がるヤツに向かって言うセリフか?」
「そうです、ルフィさん」
ルフィを見つめる真摯な瞳は彼の思いの真実さを、はっきりと告げている。
2人に軽く頭を下げ、コビーは檻を後にした。
「出発!」
彼の号令の下、再び馬車が動き出す。

「海軍も大変だな」
ゾロが呟いた。
海軍と世界政府との確執はルフィの耳にも届いている。
かつて海軍は完全に政府の管轄下にありその命令には逆らえなかった。 というより、むしろ海軍の方が積極的に政府の手足となって働いていたといえる。
だが、時代の流れとともにその蜜月にもひびが生じてきた。
重鎮のご老人方が揃って退き、上にいた顔ぶれが一新したこともあって、今の海軍と政府の力関係はかなり微妙だ。 近いうちに海軍は政府から独立した組織なるだろうと、もっぱらの噂である。
もちろん、政府はいまだ総帥の力を持って海軍に大きく影響を及ぼしているが、 この数年の間に人々は政府の闇に気付いてしまった。
「正義」の名の下、目的を達成するために手段を選んでこなかったその闇の部分が、 次第に誰の目にも明らかになったのだった。
それには海賊王とその仲間たちの冒険の数々が、大きくかかわっていたりもするのだが、 それはまた別の話になる。

人心は政府を大きく離れつつあった。
それでも世界が乱れ混沌とした世にならずにいるのは、あくまでも正当な方法で「正義」を遵守しようとする 海軍兵たちの働きによる(一部には不心得者もいることはいるが)。
そんな不評を一新するために、政府は血眼になって海賊王を狙った。
人々が、海賊でありながらも、彼とその冒険の数々を崇拝していることは広く知れ渡っている。
だからその彼を捕らえ、処刑することで自分たちの力を誇示しようとしたのだ。
「海賊を捕らえる」ことに、もちろん海軍が異を唱えられるはずはない。
よって、海軍は長い付き合いの「麦わら海賊団」の存在意義を認めながらも、已む無く対立する政府に協力し、 こうして彼らを処刑することになった。

「もうすぐ処刑台だとよ」
しゃらんと2人の体を繋ぐ鎖が鳴る。
「どうするルフィ?」
腕の枷を目の高さに上げながらゾロが問う。
準備万端、ヤるならいつでもOK、そんな空気が彼の周りに漂っている。
「いや、まだだ」
しかしルフィは首を振った。
「まだ待てゾロ」
その言葉にゾロは腕を下ろし、座りなおした。
ルフィの言葉に異論があるわけない。
まだだとルフィが言った。だからゾロはそれに従うだけだ。
たとえ処刑台の上で刃を突きつけられようとも、ルフィがまだだといえば動く気はない。
今までどれだけ無茶な船長命令に従ってきたというのだ。
ゾロにとって、この程度のことはたいしたことではなかった。

「空が高ぇなあ…」
柵の隙間から覗く空を見て、ルフィが呟いた。


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atogaki
政府と海軍の関係を考えるのに、時間かかってしまいました。 エニエス・ロビーとか出る前に書き上げればよかったのに、ぐずぐずしてるからです。
今ひとつ両者の関係がいまだに理解できてないので、間違っていたらすみません。(あとでこっそり直すかも)
次は時間が戻ります。 2人が捕まる前、嵐の中での戦闘を書く予定です。


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