「おい、おまえどこ行ったんだ?」
驚かさないように、ゾロはこそこそと子猫を呼んでみる。
探そうにも何しろ辺りはまっ暗だ。聞こえてくる鳴き声を頼りにと耳をすませてみると
え、なんだおまえ、うわっぷ、よせよ、くすぐってぇって…
突然空気をびぃんと揺らして朗らかな声が辺りに響き渡った。
看板の灯りがほんのりと届くだけのうす暗い空間、目を凝らしてみれば1人の少年が店の脇に座っていた。
飛びつかれた子猫にぺろぺろと頬を舐められ、くすぐったそうに身をよじって笑っている。
頭を振るたびに揺れる黒い髪は、闇と同じ色なのに決して同化することなくその輪郭をはっきり保っている。
子猫とじゃれあい楽しそうに笑う表情は幼い子供のように無垢で、まるで天使のようだ…とがらにもなくそんなことを思った。
もちろんその背に白い翼など見えはしないのだが。
それでもいつの間にかすっかり見惚れていたのだろう、
足元の小石をうっかり踏みつけてじゃり…という音をたててしまった。
それを聞きつけた子猫が今度は少年の手を離れてゾロの元に駆け出してくる。
嬉しそうににゃぁと鳴いて、ぴょんと飛びついてくるのを慌てて受け止めた。
「何やってんだ、おまえは」
苦笑しながら撫でてやると、子猫は気持ち良さそうに喉を鳴らしておとなしくなった。
ゾロがゆっくり顔を上げれば、こちらを見ていた少年と目が合う。
驚いたように見開かれている目に、大きいなとわけもなく感心した。
少年の唇が動いて
ぞ…ろ…
一瞬そう形作ったような気がしたが
「おまえ…誰だ…?」
かすれた声でそう尋ねられて気のせいだったと思い至る。それはそうだろう、この少年とは初対面だ。
「俺はロロノア・ゾロ。おまえこそこんなとこで何しているんだ?」
こんな人気もない寒い暗がりで。
そう言いかけてゾロは少年の声が震えているのに気付いた。そしてそのいでたちにも。
頃は真冬。ゾロが厚手の上着に包まっているというのにひきかえ、少年はひどく薄着だった。
いや薄着というレベルではない。
薄い半そでシャツに膝丈のジーンズ。むき出しの手足から覗く限りは下着すらつけてないように見える。
「おまえ、その格好はなんだ!?」
「え?」
「我慢大会でもやってるのかよ」
「がまん…?」
「寒くないのか?」
「え…うん、いや寒いっていえば寒いようなそうでもないような…」
「この馬鹿が」
つかつかと少年に歩み寄ると、ゾロは急いで自分の上着を脱いで少年に着せかけた。
不思議そうに見上げてくる顔に
「いいから着てろ」
いくぶん乱暴に言い放って上着の上からその体をぎゅっと押さえつけた。
は、と少年の息が漏れて暗闇に白い形をとって流れていく。
「温かい…」
体を包む大きな上着に、もふっと顔を埋めながら少年が嬉しそうに呟いた。
「だろ?」
素直な声にゾロの心までわけもなく温まる。もう少しこのままでいたかったが、
時間も遅いしそうゆっくりもしていられない。名残惜しく思いながらゾロは少年から手を離した。
「悪いがそろそろ帰らなくちゃいけねえ。上着はおまえにやるから遠慮なく着ていけ」
今度は戸惑うように見上げてきたのにできるだけ優しく笑いかけ、
まだ何か言いたげな様子に後ろ髪を引かれながらも振り切るように背を向けた。
「あのさ…」
その背に向かって躊躇いがちな声がかけられる。
「あのさ…一緒に…連れてってくれねえ?」
立ち去りかけたゾロの足が止まった。
「俺んちに…?」
「だって…外は寒いし…」
「なんで知らないやつを連れて帰らなくちゃいけねえんだよ…」
「さっき温めてくれたじゃんか…」
「いや、それはそうだが…」
「手を出した以上は責任取れ」
手を出しただと!?おまけに責任とはまた大事な。
それほどのことはしていないはずだろとうろたえるゾロの手に、ほれ、と温かなものがふわりと乗せられた。
にゃぁんと甘えた声がして子猫がゾロの手の中でうずくまる。
「おい、これ…」
「こいつたぶん帰るうちないんだ…。だから連れてってやってくれよ」
子猫を包む手から伝わる少年の思い。ゾロに縋りつく必死な瞳は髪と同じく闇の黒さを持ちながら、
そのくせ優しい光を奥に秘めていた。
アパートはペット禁止だったなとちらりと思ったが、少年の瞳の前にはもうどうでもいいことだと思えた。
「ああ、わかった…」
「ほんとか!」
たちまち少年が相好を崩して、おまえよかったなとゾロに抱かれた子猫の頭を撫でる。
「それでもう一匹はどうする?」
ゾロの言葉に顔を上げた少年が、目を合わせてふっと体を硬くした。
「おまえ、家に帰らなくていいのか」
「帰れないんだ…」
小さく漏れた言葉はそれだけだった。
家出か文無しか、どうもワケありな様子に厄介なものと関わってしまったかと溜息が出たが、これも成り行きである。
子猫と一緒だ、この寒空にこんな姿の頼りなげな少年を放り出すわけにもいかないし、
ゾロとしてもこれ以上この寒い中に長いこといるのは御免だ。
今はあれこれ聞き出すよりさっさと引き上げる方が得策だろう。
「しょうがねえ、おまえも来い」
ゾロの言葉に少年が顔を輝かせる。
「いいのか…?」
「帰れないんだろ、泊めてやるよ」
そんなに広いアパートでもないが、幸い気楽な一人暮らし、まあ何とかなるだろう。
「その代わり後のことはきちんと考えろよ」
「うん…」
黒い瞳が揺れる。
やはり厄介なわけがありそうだがまあいい。
それは明日にして、とりあえず今は早く帰って温まりたいとゾロは少年の背を押して歩き出す。
方向は全くわからなかったが、来たと思われる道に見当をつけて戻ってみたら、奇跡的にも元の道に戻っていた。
今の道筋を覚えておけばまたあの店に行けたかもしれないと(ゾロには無駄なことだけれど)
いささか残念に思ったが、それよりも薄着の少年に上着を貸したため身に染みてくる寒さの方が堪える。
少年と子猫を半ば抱えるようにしてゾロは家路を急いだ。