足をかけたのがまだ一段目でよかったと思う。
「でっ!?」
この衝撃には、きっと全段踏み外していた可能性が大だ。
呼び止められた声に振り向けば、そこには頭のてっぺんと両サイドから大きな角のような飾りを生やしたかなり目立つ(なんて程度ではすまない)仮面の男がいた。
目には珍しい形のゴーグル。鼻は顔のど真ん中に開けた穴から長く伸び(これは自前らしい)、
無表情な仮面のなかでどこか澄ましたおちょぼ口とその上にあるヒゲがなんとも言えぬアクセントになっている。
「おい・・・」
「あっ、そげキングー!」
絶句したゾロとは対照的にルフィは嬉しそうに飛び跳ねながらその手を取った。
「いきなり驚かせてすまなかった、私はそげキング。狙撃の島からやってきた狙撃の王様だ。
申し訳ないが君達の話しは聞かせてもらったよ、私でよければ相談にのるが・・・」
「おい、ウソップ・・・」
「いやいや私の名はそげキング」
「そうだぞ、ゾロ、なに言ってんだ」
頑ななウソ・・・いやそげキングにルフィも同調してゾロを攻撃する。
何でオレは2対1で責められてるんだ・・・突然振ってわいた今の状況にゾロはそっとため息をついた。
そげキングと名乗る謎の男の素顔は大きな仮面に隠されているが、その端から覗く癖の強い黒い髪、幾分擦り切れたオーバーオール、
トレードマークの何が出てくるかわからない四次元ポケットのような大きなカバンを斜めにかけたその姿、どれをとってもよく見知った誰かのものだ。
「君たちのことは親友のウソップ君から聞いているよ。君はゾロくんだね」
「ああ・・・」
バイトと買い物帰りの疲労をさらに蓄積させながら、ゾロはしかしそれでも根気よく「そげキング」に付き合って返事をした。
「彼の親友のウソップ」には確かにいつも世話になっている。
同じアパートに住みながらほんの数ヶ月前までは顔を合わせても軽く目で挨拶をする程度の間柄でしかなかったが、いつの間にかルフィがウソップと仲良くなっていた。
どこか気が合うらしい。
バイトで不在がちなゾロが帰るまでの間、知り合いもなく慣れない世界で暮らすルフィの寂しさを、ウソップの存在がどれだけ救ってくれたかわからない。
ルフィを挟んで次第にゾロもウソップと話をするようになった。一緒に何度か食事もした。
風体や「神に愛されたアーティストなんだって」と笑うルフィの言葉から、怪しい芸術家志望の売れない絵描きかと失礼にも思っていたゾロだったが、
話をしてみればどうにも大袈裟な物言い癖はあるものの、彼は陽気で気のいい世話好きな男だった。
「花見に行きたいのだろう?では私が招待しようではないか」
「あ?なんだと」
「詳しくはそこにいる私の助手に聞きたまえ。では私は失礼する、誰かが呼んでいる声がするのでね」
ひらりとマントを翻して背を向けるそげキング。
「あ、オレも行くー」
それに付き合って、ルフィが後を追いかけた。
こっちの荷物も持ってってくれな、とちゃんとスーパー袋をゾロに手渡しながら。
今日はどんな冒険なんだ?
わくわくとしたルフィの楽しそうな声が聞こえる。
ゾロが両手に袋を提げたなんとも不恰好な姿で去っていく2人を呆気にとられながら眺めていると、くすくすと笑う声が近づいてきた。
すらりとした長身の美女が現れ隣に立ったかと思うとゾロの手元に手を伸ばす。
「持ちましょうか?」
「いやいい。それよりあんたがそげキングの助手か?」
「らしいわね」
ストレートに伸ばされた艶やかな漆黒の髪を揺らして女が再びくすくすと笑う。
「初めまして、私はニコ・ロビン。あなたがロロノア・ゾロであっちの子がルフィね。お話は彼からいつも聞いているわ」
初めましてと挨拶されたが、ゾロは以前から彼女のことを知っている。話をしたことはないが彼女がウソップの部屋に出入りしているところをよく見かけていたのだ。
さすがに仲良しのルフィも彼女が来る時はいつも追い出され、しかも朝になって出て行ったりする姿もちょくちょく見かけるのでその関係を怪しんだりもしていたが、
だんだんウソップと親しくなるに連れて、彼が実は最近売り出し中のそこそこ人気のある絵本作家で彼女がその担当編集者だと知った。
まだそれほど有名ではないが、彼のデビュー作であり代表作である「そげキングのぼうけん」シリーズは幼児の間で密かに人気があるのだそうだ。
ルフィが前にウソップから借りたと持ち帰ってきた絵本は全部で3冊。
「そげキングたんじょう」「そげキングと魚人の島」「そげキングと砂漠の王女」。
まさに先ほど現れた仮面そのままの風体をしたそげキングがいろいろな国を回って様々な冒険を繰り広げる物語だ。
そげキングは残念ながらあまり強くはない。しかもドジだ。けれど勇気と優しさは誰にも負けない。
唯一の武器であるパチンコを手に、出会った仲間たちとともに強敵に立ち向かい倒していく。
…と、ルフィが読み終わるなり、その興奮冷めやらぬままに話してくれた。
とにかくすげェを連発するルフィはどうやらそげキングの大ファンになったらしい。
「今度4冊目が出るのよ」
ロビンと名乗る女はにっこり微笑むと一冊の本をゾロに渡した。
「これあげるわ」
タイトルは「そげキングと空の国」
ぱらぱらとめくった中には悪魔や天使の姿もある。
ルフィの正体がばれたのかと一瞬ぎょっとした。
「今度はね、吹き上げる海流に乗って空に上がったそげキングが、天上の国で悪魔や天使達と冒険するの。
彼、最近スランプ気味だったんだけど、あの子と仲良くなってるうちにイメージがどんどんわいてきたんですって。あっという間にかき上げたから驚いたわ」
そげキングと一緒に冒険をする天使はどこかルフィに似ている気もするのは気のせいか。
さらにそこに登場する緑の髪をした剣士・・・。
「この剣士ってやつはどこかで見た覚えがあるんだが・・・」
「ごめんなさいね、勝手に登場させて。でもとても素敵な話なのよ。よかったらさっき渡した本読んでみてね」
きっとこの話はそげキングシリーズの中でも代表作になる。だからお礼をしたいのだとロビンが言う。
「そんなものはいらねえよ」
「ヒルルクの桜がみたいんでしょう?」
切り出された言葉にゾロははっと顔を上げた。
「話してるのが聞こえたの」
ゾロよりだいぶ年が上なのだろう。うろたえたゾロとは対照的に余裕の笑みを浮かべながらゆっくりとロビンは語る。
「たまたま今の持ち主と知り合いなのよ。早速だけど次の日曜日、ご都合はどう?無断掲載のお詫びとお礼を兼ねてお花見にご招待するわ。
他に呼びたい方がいれば構わないから何人でも連れてきていいわよ」
「ああ・・・」
突然振って沸いたような話に、とっさにどう答えていいか迷ってゾロは曖昧にうなづいた。
なんだってこう上手いほどとんとんと話が進んでいくのだろうか。
うわー、まてー
アパートの庭先では、ルフィとそげキングがいつの間に来たのか近所の子供たちと一緒になって走り回っている。一体何の冒険中なのか。
「こうやって本出せるくらいなんだからあいつ・・・、こんな安アパートいつでも出て行けるんじゃねえか?」
思わず呟いていた。
「そんな話もしてたんだけどね。でもこの間やっぱり止めるって言われたわ。彼はまだここにいたいらしいのよ」
ああとゾロも納得した。
今いるここがとても居心地いいのはゾロだけではないのだと。
「暖かいな・・・」
「もう春ですものね」
ロビンの言葉に軽く頷きながら、だが暖かいのはそのためだけではないのだろうとゾロは思う。
ルフィが来てからいろんなことが・・・変わっていく。
自分も回りも。
それはまるで負の感情が浄化されるような清々しさを伴って、穏やかで優しく暖かい。
「じゃあ、今度の日曜日に迎えに来るわ。楽しみにしててね」
そげキーング、シューティングスター!!
いっけぇーそげキングー!
そんな子供たち(+一応年長者2名)の豪快にはじけたやり取りを見つめるゾロの耳に、そう告げるロビンの声が聞こえた。