ゾロにとってサンジの出現は少しばかり面白くなかったが、それを差し引いても、実際のところいい花見だった。
桜は巷の噂どおり、いやそれ以上に見事である。
大きさや樹齢で言ったら、もっと花の多いもの、古いものはあるだろうが、何といったらいいのだろう、
この木の醸し出す不思議な気とでもいうのか、そんなものに心が惹き付けていくら眺めていても飽きることがない。
皆も感じるものは同じらしく、その空気を堪能しながら、咲き誇る花の下で陽気に飲み、食い、話し、歌い、笑い合った。
用意された料理もまた、見た目も味も超一流だった。
ルフィによるとサンジの料理の腕はかなりなものらしい。
「あいつすげぇ美味いメシ作るんだぞ。天使の仕事が暇なときは、あちこちの店を手伝って自分の腕を磨いてるんだ」
サンジの目から隠れるようにして、ルフィがこっそりゾロに囁いた。
「じゃあこれはみんなあいつが作ったのか?」
「うーんどうかな。サンジの味もするけど、なんとなく違う誰かの味もする・・・」
首を傾げたルフィだが、それも一瞬のこと。
次にはまあどっちでもいいやと予想通りの答えを出して、新しく運ばれてきた鴨のローストに突進していった。
そんなルフィに苦笑しながらゾロも箸をつける。
貧乏暮らしのゾロだ。高級料理にそう詳しいわけではないが、それでも素人目にも恐らく高級な食材が使われているだろうことがわかる。
それほどに華やかで、手が込んでいて、美味い。けれどそこにはセレブだの何だのともてはやされるような上品ぶったところがどこにもないのである。
全ての料理から、ほっと心を癒すような優しさと温かさが感じられるのは、作り手の腕はもちろんその心に寄るのだろう。
サンジが作ったのだとしたら、少々悔しいがそこは認めざるを得ないと思った。
ざわっと上がった声にゾロが向けば、ルフィがベルメールに声をかけて手を伸ばしていた。
ルフィが用意してきた弁当を食べたいと言い出し、一方ベルメールはさすがにこの料理を前に気が引けて頑なに拒んでいるのである。
「いいえ、貴女の手が作り出したのですから、それは極上品ですよ」
どうあろうとルフィは引きそうにないし、サンジにもすすめられてベルメールはしぶしぶと包みを解いた。
早速ルフィが飛びついて、おにぎりを一つ口に放り込む。何の変哲もない、普通の梅干おにぎりだ。だが、
「ほらな、やっぱどっちもうめぇ〜〜〜」
最上の笑顔で嬉しそうに笑うルフィにつられ、皆も笑い出す。またそこがほわりと暖かな空気に包まれた。
ルフィの作り出すこの「気」はなんなのだろう。改めてゾロは考えた。
場を和ませる・・・そんな言葉では物足りない。ルフィはそこに存在するだけで辺りから一切の邪なものを消し去るようだった。
悪魔のくせに。
いや、ルフィと出会って悪魔=邪悪という今までの観念が間違っていることを知ったゾロだ。
むしろこれが悪魔ゆえの能力なのか、とすら今は思う。
ルフィがそこにいるだけで、ルフィの笑顔を見るだけで、ゾロの心はこんなにも温かくなる。
今までの生活が嘘のようだった。
いつかはいなくなってしまうけれど・・・。
逆説的にふと浮かんできた考えを、ゾロは慌てて頭の隅に押しやった。
「ねえ、サンジくん」
エロ天使は早速女性陣と親しくなったらしい。
ナミの呼びかけに些か鼻の下を伸ばしながらなんですかと振り返る。
「一度聞きたかったのだけど、なんでヒルルクの桜っていうのかしら?ヒルルクって誰?」
「ああ、皆さんにはまだこの桜の由来をお話してませんでしたね」
サンジの言葉に一同は箸を止めて顔を上げた。ルフィですらもだ。
そしてサンジはゆっくりと語り始めた。
「昔・・・といってもかなり昔のことです、この屋敷にヒルルクという一人の男がいました。
一応職業は医者ということですが、なにをしていたやら法律ギリギリのところで生きていたようなやつで、ただひたすら財産を増やすことだけが唯一の生きがいだったそうですよ。
そのヒルルクも年老いて病に伏し、ついに死を迎えることになりました。
知っていますか、人間が死ぬときにはね、天使と悪魔がペアになってお迎えに来るんですよ」
「まぁ」
くすくすと可愛らしい笑い声が漏れる。それに軽く微笑み返し、サンジは先を続けた。
「いえいえレディ、これは本当の話だということですよ。もっとも誰も確かめる術はありませんがね。死なない限りは。
それで天使と悪魔は死を間際にした人間のためにその魔力で願いを一つ叶えてくれるんだそうです。
忠実な執事だけが一人付き添うだけのがらんとした寝室で、ヒルルクは悪びれもせず願いました。
『オレの財産がこのまま誰のものにもならないように』と。
願いは受け入れられました。
力尽きたヒルルクの魂は体を抜けて、2人に連れられて天上界に運ばれていきます。
ゆっくりと屋敷の上を、町の上を、上がって行きます。
そのとき彼は見たのですよ、屋敷の庭で今を盛りにと咲き誇る大きな桜の木を。
誰にも見られることなくそれでも美しく咲こうとする自分の庭の桜。
それと同時に町のあちこちで咲いている花も見ました。
皆にめでられその下では楽しい花見がされている。恋人や友人や家族といる人々の幸せそうな笑顔に包まれたその花たち・・・
それに引き換え自分の桜は誰にも見られずひっそりとたたずむのみでした。
あんなに美しいのに。あんなに一生懸命咲いているというのに。そうヒルルクは思います。
『まて、願いを変えてくれ』
天使に縋りついたヒルルクですが、それに返ってきたのはNOという言葉でした。
『すでにおまえの願いは聞いている。叶える願いは一つだけだ』
『あの桜を・・・守ってやってほしいのだ』
『安心しろ、あの木もおまえの財産だから誰のものにもならずあのままそこにあり続けるだろう』
『ちがう、そうではない。皆に・・・いや心あるものにだけでもいい、あの桜の美しさを見せてやりたいんだ。人々の笑顔に包まれて、そして見事な花だと褒めてもらえたら、あの桜もどんなに喜ぶことか・・・
頼む、どうかオレの願いをきいてくれ!』
『それはできない』
もちろん願いは叶えられませんでした。それ以来ヒルルクの桜は毎年この庭で、誰にも知られることなくひっそりと咲き続けるのだそうですよ」
長いサンジの話が終わり、誰かの漏らした、ほうという小さなため息が聞こえた。
「では・・・私たちはどうしてここに来られたのでしょうか?」
不思議そうに首を傾げるカヤの背を、いやね、とナミがぽんと叩いた。
「サンジくんたら話上手なんだもの。つい本気で聞き惚れちゃったわ」
そんなナミにサンジは光栄ですと頭を下げる。
「皆さんが綺麗な心の持ち主なので、今回は桜に呼ばれたのかもしれませんね」
それなりに整った顔立ちににっこりと微笑を浮かべて(ゾロには単なる女へ鼻を伸ばしてるようにしか見えなかったが)、サンジはまた皆に料理を勧める。
再び和やかな会食が始まった。
「おいルフィ」
周囲に誰もいなくなったのを見計らって、ゾロは小声でルフィに呼びかけた。
「ん?」
「さっきのエロコックの話。あれは・・・ホントのことなのか」
「んー、実を言うと天上界じゃ有名なんだ、ヒルルクの桜って」
ぺろりと手に持った生ハムメロンを一口で平らげながら、ルフィが頷いた。
「ただ1人、2つ目の願いをかなえた人間ってな」
「叶えられたのか?」
「だって今オレたちここにいるじゃん?」
ゾロってばおかしいなーとルフィは笑う。
「一体なにが起こったんだ?」
「んー、それはサンジに聞いたほうがいいかも知れねえ・・・」
あっちとルフィに指さした方に顔を上げると、そこには皆の輪から外れて一人タバコをふかすサンジの姿があった。