部屋の真ん中に置かれたコタツに、遠慮もなくどんと腰掛けているのは金髪で細身の男だった。
馴れ馴れしげな笑みをこちらに向けてくるが、その顔にゾロは全く覚えがない。
だが
「サンジっ!」
隣のルフィは一瞬息を飲んだ後、その名前らしき単語を叫んで男に走り寄った。
そのまま嬉しそうに全身で飛びつく。
「こぉのクソガキ、さんざ心配かけやがって!」
口では悪態をつきながら、まんざらでもなさそうな顔で(ゾロ視点)ルフィを受け止めた男は、
こつんと自分の胸の中にある小さな頭を一つ小突いた。
「どんだけ探したと思ってやがる」
「ごめん…」
「おまえが地上に降りたのはすぐわかったんだが――バレバレだ、隠すならもっと上手くやれ――とにかく行き先がわからねえ。
仕事で降りたやつらに聞いても何の情報も入ってこねえし、シャンクスなんてそりゃもう心配しまくって仕事そっちのけで地上を覗いてたぞ。
傍から見てても禿げ上がりそうな心配ぶりだったんだからな。
まあ結局、次の満月がきて月の泉からの道が通じたから、そっからおまえを追っかけてきたんだ」
「…ホントにごめん…オレさ…」
「…ったくよ」
まだぶつぶつといいながらも、擦り寄るルフィの髪に顔を埋めた男はとても嬉しそうだ。
安堵感に満ち穏やかにルフィを見下ろすその表情に、
男がルフィをとても大切に思っているのがわかる。
…それだけにゾロは少しばかり面白くないのだが。
「ルフィ、コイツは誰だ」
大人げないとは思ったがどうにも我慢できなくて、再会の喜びに溢れた部屋の空気を乱してやることにした。
ゾロの問いにルフィが体を起こし、サンジの腕からするりと抜けた。
ちっ、という軽い舌打ちが聞こえたのは気のせいだと思って無視をする。
「あ、ゾロ。あのな、こいつはサンジ。オレのペア組んでる相手だ。
…っても一緒に仕事したのほとんどないんだけどさ。
でも子供の頃からの友達だから、お互いよくわかってるんだ」
「よろしくな、人間」
あくまでも穏やかな笑顔で、けれど視線には密やかな敵意を秘めて、サンジが握手を求めてきた。
「けっ」
ゾロも応じて一応手を重ねたけれど伝わる体温はなんとも冷え冷えとしたもので、初対面の印象は最悪。
絶対コイツとは仲良くなれそうもないと直感できた。
「で、サンジっていったか、てめえは何でここにいる」
「あ?ルフィのいる場所に来たはいいが留守だったからな、待たせてもらったぜ」
「鍵がかかってたはずだが」
「ああ、あれか。小っせぇからドアに気がつかなくてよ、そっから入らせてもらった」
サンジがくいっと親指で後ろの開け放たれた窓を指してみせる。
やることなすことイチイチ癇に障る男だ。
そういえば、とふっとゾロは気付いた。
「てめえも悪魔なのか?」
世間一般の「悪魔」という定義ならばルフィよりもよっぽどこの男の方が悪魔に思え、答えは期待してなかったが尋ねてみた。
聞くなり、かーっとサンジが吐き捨てるように唸る。
「てめえの頭は見たまんま葉緑素しかつまってねえみたいだな。こんな姿の悪魔がいるかよ。よく見てみろ」
さらさらと流れる、星の光が零れ落ちたような金の髪。
淡いブルーの瞳。
服から覗く手足は男にしては白く滑らかに見えた。
「神に愛された証である純白な姿。どっからどう見ても天使だろうが」
「ほー…」
神に愛されただの純白だの、予想もしなかった単語に思わず素のまんまの声が出てしまった。
サンジがむっとしたのがわかったが、しかしここまでガラの悪い天使など想像つかなかったのだから仕方ない。
「…たく見てろよ、葉緑体」
そう言ってサンジは口の中でなにやら呪文を唱える。
と、見る間に部屋の空気が揺れてばさりという音と共にその背に大きな翼が現れた。
ルフィのときと同じだが、違うのはその色だ。
染み一つない見事なまでの白さは、ゾロですらさすがに一瞬目を奪われたほどだった。
これで目つきの悪さとその横柄な態度さえなければ、
絵画やイラストでよく見る天使の姿そのものだと納得できたろうとつくづく思う。
わかったか、と若干見下すように顎を突き上げてゾロを一瞥したサンジはルフィに向き直る。
「おらルフィ帰るぞ」
「え、どこへ?」
「天上界に決まってんじゃねえか」
あ、とようやく気付いたルフィが伺うようにちらりとゾロを見る。その顔がどこか悲しげに見えたのは自分の願望だろうか。
元々こちらの世界には迷い込んだ形のルフィだ。
急な話ではあるが、元いた世界に戻るのは当然である。なのにいつの間にかルフィがこうして傍にいることが普通になってしまっていた。
一緒に寝て起きて、食べて笑って、歩いて喋って。
それがあまりに心地よすぎて、このまま帰したくないなどと思ってしまうのはゾロの我が侭だ。
ゾロは自らの心をぎゅっと引き締める。
「良かったなルフィ、迎えが来て。これで家に帰れるんだろ?」
だがルフィは俯くとふるふると首をふった。
「ごめんサンジ、オレ帰れねえ」
「「なんでだ!?」」
思いがけないその言葉に、ついサンジと声が揃ってしまった。
サンジがゾロを見てこの上なく嫌そうな表情を浮かべたが、それはこっちこそだ。
「帰れないってどういうことだ、ルフィ?」
怪訝な表情で、けれど口調はあくまでも優しくサンジが問い詰める。
「羽…開かないんだ」
「あ?まさかおまえ…」
「うん」
「こぉのクソ緑!やりやがったな」
向き直りざま、胸倉をつかみかからんばかりの勢いで迫ってくるサンジの行動の意味がわからない。
「は?なんだってそこでオレにとばっちりが来る?」
「羽だよ」
イライラとした様子でサンジは舌打ちを繰り返した。隣でルフィがごめんと肩を竦めている。
羽?
「この間は開いていたじゃねえか」
1ヶ月前にゾロも目にした少しまだら模様の入った大きな黒い翼。それはルフィが悪魔だという何よりの証だ。
はあ〜っとサンジが溜息をつく。
「オレらはな、地上に降りるときに一応人間に姿を変えるんだが、そのとき自分の正体に関して
キーワードを決める。それを人間に口にされる、すなわち正体を見破られたら魔法が解けちまうんだ…おまえも見たんだろ?
まあそのまま天上界に帰れば問題ねえんだが、それを無視して羽を畳んでしまうともう元には戻れない」
「は?」
「羽が開かなくなるんだよ」
なんでこんなまりも頭にバレるような簡単なキーワードにすんだと、サンジがルフィを叱りつけた。
「それで…ルフィが戻る方法はねえのか」
「二つある」
とサンジがゾロの前に2本の指を立てた。
「まずは正体を見破った人間の願いを一つかなえてやること。二つ目は…その人間が死ぬことだ」
なるほど、と我が身に関わることにもかかわらず、どこか他人事のようにゾロは納得した。
昔からの悪魔の伝説は実際とそれほどかけ離れたものでもなかったのだ。
悪魔との契約だの魂を奪うだのと言うのは、これが形を変えて伝わってきたものなのだろう。
「まあ、だから話は簡単なんだ。まりも、おまえ今すぐ死ね」
サンジが容赦なく言い放った。とても天使の言葉とは思えない。
「ルフィのためだ、魂はきちんと運んでやるから安心しろ」
「知るか、何でオレがそんなそっちの都合に巻き込まれなきゃいけな…」
「ごめん」
あまりに無遠慮なサンジの申し出に対抗しかけたゾロだったが、すまなそうに呟かれたルフィの声にはっと踏みとどまる。
「オレのせいでゾロを巻き込んじゃったな…」
「いや、いいんだ。えっとオレが何か願いを言えばいいんだろ。ちょっと待て、すぐに何か考える」
「ダメだ!」
「おい、ルフィ」
すぐさまきっぱりと拒否したルフィの物言いにはゾロだけではなくサンジも驚いた。
「オレなら大丈夫だ。だからゾロ、願いはもっと大切にしてくれ。
オレのこと、もうここに置いとけないって言うんならどっかに行く。
だからゾロ、おまえには本当の自分の願いをよく考えてほしいんだ」
「ルフィ、シャンクスが上で待っているぞ」
「帰ったらいくらでも怒られてやる。だから今はオレの好きにさせろって言っといてくれ」
「……」
しばし間をおいた後、
「しょーがねえな」
サンジが肩を落として諦めたように大きな息を吐いた。なんだかんだ言ってこの男もルフィには相当甘いらしい。
「こうなったらおまえは聞きゃしねえからな。じゃオレは帰るわ。シャンクスには上手く説明しといてやるよ」
やれやれと肩を竦めて羽を広げかけたサンジだが、思い返したように振り返り、
「ルフィ、おまえちょっと外で煙草買ってきてくれねえ?」
再び羽を閉じた。
「タバコ?」
「ああ、すげぇ美味いんだが天上界に帰ったら手に入らないからな。
折角来たんだ、ついでに買っていくわ。えっと…まりも金貸せ」
「は?」
「あとで返す」
「ホントだろうな」
かなり危ぶみながらも、ゾロは渋々ルフィに金を渡した。
「いいぞサンジ。でもゾロ、『タバコ』ってどこに売ってるんだ?」
「いつものコンビニにあるだろ」
「わかった、行って来る」
ルフィは素直に頷くと、受け取った金を手にドアに向かう。
「ああそうだ、今夜は月の泉の道を開けとくからそっちから帰って来いってシャンクスに言われてんだ。
その入り口がどのへんにあるかついでに見てきてくれないか」
「ああいいぞ、ちょっと待ってろよサンジ!」
そしてドアの向こうに消えたルフィがたんたんと階段を駆け下りて行く音が響き、やがてそれも聞こえなくなった。
「さて、人間」
ルフィの足音が完全に消えたのを確認し、サンジがゆっくりとゾロに向き直った。
その態度は今までルフィの前で見せていたものとは打って変わって横柄だ。
「ゾロだ」
「てめえの名前なんざ知るか。まあそんなわけでルフィはここに置いとくことになっちまった。
しっかり面倒見ろよ。あいつに何かあったらシャンクスがこの地上にいろんなもん降らすぜ。絶対な」
「魔力をほとんど失くしたとか聞いたが?」
「これくらいの地上を消すには充分さ」
最凶最大の力を持った親馬鹿の悪魔大王…、全く厄介な話だ。
「それと…さっきの話だが、ルフィには下手に願いを言わないほうがいい。これはオレの忠告だ」
「どうしてだ?」
「あいつはまだ自分の力を上手くコントロールできねえ。
しかもその魔力に関しては実はオレたちもいまだに確認できないんだ。
今、下手に使わせるとどんなことが起こるかわからねえぞ」
「おい…」
ただごとではない言葉にさすがにゾロもぎょっとする。
シャンクスという親父といい、ルフィといい、一体何度地上を破壊できるんだろう?
もしかして今の世界はぎりぎりのところに存在しているのではなかろうか。
「だが、それじゃいつまでもあいつを連れて帰れないだろ」
そう言いながらも、ゾロは心のどこかでほっとしていた。とりあえず今すぐルフィと別れる事態は避けられたらしい。
「仕方ねえだろ。ちっ、元はと言えばみーんなてめえのせいだ」
そうだろうか?どちらかというと、こちらが一方的にいろいろな迷惑を被っているような気がしないでもないが。
「ああ、それともう一つ言っとくことがある」
「まだあんのかよ」
うんざりと見返すゾロにサンジは顔を寄せ、秘め事のように耳元で告げた。
「ルフィに手ぇ出すなよ」
「は?」
「トクベツな感情をもつなってことだ」
サンジの言っている意味が一瞬わからなかった。特別な感情とはなんだ?大体ルフィは…
「男だろ?」
改めて口にするとそれは妙に重く響く枷だ。
そう、ルフィはゾロと同じ男だ。どこをどうすれば特別な感情を持つ存在になりえるというのか。
「そう思ってんならいいけどな」
じっとゾロの顔を見つめた後、サンジはそう言って再び言い聞かせるように頷いた。
「ま、念のためだ。まかり間違ってもあいつにツッこもうとか思うんじゃねえぞ。これもてめえのために忠告しといてやる」
「…ったく下世話な天使だな、おまえは」
「はん」
つくづく呆れたというようなゾロの言葉もサンジは一向に気にする風もなく、ただふわりと金の髪を揺らしただけだった。
ふたたびたんたんと階段をかけてくる足音が聞こえた。
「サンジー、入り口見えたぞ。あれだろ?」
勢いよくドアを開けて息を弾ませたルフィが駆け込んでくる。
指さす先には煌々と明るい満月。その中央付近の一点が、目を凝らしてよく見てみると微かに歪んでいた。
これがさっき言っていた月の泉に通じるゲートなのだろう。
「はいタバコ、これでいいか?」
「サンキュ、ルフィ」
甘い声で礼を告げると、サンジは手を伸ばしてルフィの体をぎゅっと抱き寄せた。
「ちっとの間会えないが、寂しいって泣くなよ」
「ばーか、そんなガキじゃねえよーだ」
答えるルフィの声も、いつもゾロに対するものより幾分甘えて聞こえてくるのは僻みだろうか。
サンジはルフィにとって昔からよく知っている仲だと言った。ゾロの知らない、そして決して敵わない時間軸がそこに存在する。
胸が僅かに痛むのは気のせいだろう。たぶん。
サンジがルフィの頬にキスを送り、それにルフィはくすくす笑いながらくすぐってえと肩をすくめる。
「じゃあな、くそ人間」
口の悪い性悪天使は一応ゾロにも挨拶を送ると、開いた窓辺からふわりと空に舞い上がる。
月の光を受けて白い羽がうっすらと金色に輝く様はどこか神聖で、相手がサンジでなければきっとその美しさに見惚れただろうと思われた。
やがてその姿は吸い込まれるように月の中の一点に消えていった。
サンジを見送ったあともしばらく月を見つめていたルフィだったが、
やがてはぁとため息をついて、気が抜けたのだろうか、そのままその場に座りこんでしまった。
「悪かったな」
自分も隣に腰を下ろしてゾロはそっとその肩に触れる。
悪気はなかったが結果として自分がルフィを故郷に帰れなくしてしまったのだから。
「いいんだ、ゾロはちっとも悪くねえ」
それにこの暮らしも結構楽しいし。
耳元でそっと囁いてくれたルフィの言葉が嬉しかった。
「でもゾロは迷惑じゃねえの?」
「今さらかよ」
散々遠慮のないことをしておきながら、今さらおどおどと口にする殊勝な言葉が却って可笑しくて笑ってしまった。
「もうそんな時期はとっくに過ぎたろ。いたいだけいりゃあいい」
「ホントか!?ありがと、ゾロ!」
嬉しそうな声をあげて、ルフィがゾロの胸に飛び込んできた。
さっきサンジにもそうしていたと思い出し、
自分もルフィにとって同じくらいの存在になれたのだろうかと、情けないことにそんな
ことを考えてしまった。
「おい、ルフィ」
口では咎めながらもルフィの重さをその腕に受け止めたまま、ゾロはその髪に顔を寄せる。
ルフィの髪からはほのかに月の香がした。
月の香なんてものをもちろんゾロは知らない。でも確かにしたのだ。
「そろそろ窓閉めようぜ」
入り込んできた夜風にゾロが軽く身を震わせる。
今は2月。
満月が明るく包む地上はまだまだ寒いが、たぶん春はもうすぐだ。