部屋に飛び込み暖房機のスイッチを入れると、ぼぅんと音がして温風が吹き出した。
固まっていた手足のあちこちがゆっくり溶け出していく。
凝り固まった肩や腕を軽く回してほぐしながら、ゾロは風呂場で湯のコックをひねり、次はキッチンに行ってカップに移したミルクをレンジに入れた。
「早く入れ」
タンスから手早く着替えだのタオルだのを取り出しながら、まだ玄関で子猫を抱いて立ったままの少年に向かって呼びかける。
「おまえ、名前は?」
「ルフィ…」
「じゃあルフィ、そのミルクが温まったら適当な皿に入れてやってくれ」
「うん」
放された子猫は見慣れぬ場所だというのに、にゃあにゃあ鳴きながら嬉しそうに辺りをとてとてと歩き回る。
レンジの電子音があたため終了を告げたので、ルフィはいわれたとおりに浅めの小皿を出しそこにミルクを入れた。
「とりあえず今日はこれで我慢してもらうぞ」
ゾロが子猫を抱えて連れて来た。
明日になったらおまえ専用の皿を用意してやるよと、優しく話しかけるのを見てルフィも嬉しそうに笑う。
「飼ってくれるのか?」
「ここじゃ無理だが、なんとかしてやる」
床に下ろすと子猫はちゅぴちゅぴと可愛らしい音を立ててミルクを舐め始める。
それを見ていた二人の腹が同時にけたたましく鳴った。
「「腹減ったな」」
それも同時に口にして、互いの顔を見合わせてくくっと笑った。
「少しは買い置きがあるんだ。メシの準備しといてやるから先に風呂入ってこい」
ぽんとタオルを手渡し、ゾロは顎で風呂場の位置をルフィに示した。
「うん」
「俺ので悪いが着替えも置いてあるからな」
「ありがと」
「肩までよく温まるんだぞ」
「…そんなガキじゃねえ」
べ、と振り返りざま舌を出しながらルフィが風呂場に消えた。
「変なヤツだな…」
見送りながらもルフィと交わした他愛もない会話を思い出すと、むずむずとくすぐったくて笑いたくなる。
身も心もこんなに温かいと思えるのは、たぶん部屋がぬくもったからだけではない。
今の自分はどんな顔をしているんだろうと苦笑しながら、ゾロはキッチンの戸棚を開けて中を探った。
「おい…」
といったきりゾロは言葉が出ない。
さっきの豪快な腹の鳴りっぷりからでも分かるとおり、ルフィはかなり腹が減っていたようだったし、ゾロも同様だ。
だからゾロはテーブルの上に、家にあるだけの食い物を全て並べた。
まだジャーにご飯が残っていたので、おかずにしようと肉と野菜を炒めた。ウィンナーにもざっと火を通した。
それから買い置きのパンだのカップラーメンだの冷凍中華まんだの、とにかく思いつくありったけのものを用意して、
風呂から出てきたルフィにすれ違いざま「先に食ってていいぞ」と言い残し、自分も食事前に体を温めようと風呂場に向かったのだ。
確かに食ってていいと言った。それは本当だ。空腹で死にそうな顔をしているルフィがあまりにも可哀相だと思ったからだ。
部屋に重い沈黙が漂う。
「ルフィ」
「う…」
「…だからって全部一人で食っちまうか、普通?」
「…ごめん…」
ゾロが準備した食事はそれなりに量もあったし、ルフィを待たせてはいけないと風呂も10分で切り上げた。
なのに。楽しみに出てきてみれば、テーブルの上は怪獣が通り過ぎたかのように一切合財食い尽くされた残骸が散らばるのみだった。
「何をどうやったらあんだけのもんがこの腹ん中に納まるんだ!?」
「う〜ん…なんでだろうな…」
不思議そうに首を捻るルフィはふざけているのではなさそうだ。
ゾロにしても別に怒っているわけではない…いや確かに少しは腹立たしいが、それよりむしろ呆れてると言った方がいいだろう。
たぶんルフィに悪気はない。先に食べていいといわれたから食べただけだし、腹が減っているからとにかく食べた。それだけだ。
きちんと正座して申し訳なさそうに見上げてくる姿から反省の意は伝わってくるし、ゾロもそれについて責める気はない。
しかしこの遠慮のなさと食いっぷりはどうだ。とてもこの世のものとは思えない。
だからおもわず口にしてしまったのだ。
「全く…てめえは悪魔の息子かよ…」
「えっ!?」
ルフィが叫んだのと、いきなりぼんと音がしてその体が黒い煙に包まれたのは同時だった。
突然のことに驚いて一瞬行動が遅れた。
「おいルフィ!!」
無事なのかとゾロは慌ててルフィに駆け寄る。
その動きでゆっくりと辺りを包んでいた煙が消え、
そしてゾロはその19年の人生でダントツ1位の驚愕事項に遭遇することとなった。
「ルフィ…」
「あーあ…」
床にぺたんと座り込んだルフィが引続き申し訳なさそうにゾロを見上げている。
黒い瞳に黒い髪。初めて目にしたときと同じ闇を思わせる黒さだ。
そして…今ゾロはもう一つ別の黒いものを目にした。
ルフィの背から伸びた大きな大きな黒い翼を・・・。