両手に食料と日用品の入ったスーパーの袋をどっさりとさげながら(何しろあっという間に家の在庫が無くなるので)、2人はアパートへの道を歩いていた。
「久しぶりにゾロといっぱい一緒にいた気がするぞ」
ぶんぶんと元気よく両手の荷物を振り回しながら、ゾロの前を歩いていたルフィが嬉しそうな顔で振り返る。
確かにその通りだと、その笑顔を見ながら思う。
大学が休みになって時間ができたと思ったのも束の間、掛け持ちのバイトに追われた日々は思っていたよりずっと忙しく、
ルフィと一緒に過ごす時間は却ってかなり少なくなっていた。ルフィはそれについて一言も文句を言わなかったし、
ゾロも休日にはそれなりに相手をしてやっていたが、きっと寂しい思いをさせていたに違いない。
「そのことなんだがな…」
ゾロはすっと息を吸ってルフィに切り出した。
「おまえに大事な話がある」
ルフィの体がぴくりと震えてその顔からは笑みが消えたがそれも一瞬のことで、ルフィはすぐに元の表情に戻すと、なんだよ〜ゾロとおどけた仕草で言葉を返す。
わずかに生じたルフィらしからぬ間に心を残しながらもゾロは先を続けることにした。
「あのなルフィ。前から考えていたんだが…オレたち、今のままじゃダメだ。
オレは毎日バイトバイトで気が付けばおまえとロクに話もしてない、いや顔すらちゃんと見てねえ日がある。
おまえがどういうつもりでいまだにオレのとこにいるか知らねえが、これじゃあ一緒にいる意味がないだろ」
「…かもな」
「生活するには金が要る。だから確かにバイトは必要なんだ。
だけどもうすぐ大学も始まる。今までよりもっと忙しくなるのは確実だ。だから・・・」
「うん…」
「バイトを減らすことにした」
「え?」
ルフィが驚いたように顔を上げる。
「なんか変か?先月始めたのは短期だから3月いっぱいで終わるし、前からのやつも時間を減らしてもらえるよう今日頼んできた。
これ以上おまえをほったらかしにはできねえだろ―――ってどうした、なに笑ってる?」
「だってさ…」
ルフィがくしゃりと顔を歪め、慌てて右の袖でごしごしと顔を擦った。
「オレ…ゾロにもう帰れって言われるんだって思って・・・・」
ルフィに言われて、ゾロは初めてそんな選択肢もあったのだと気付いた。
とっととルフィをこの地上に縛り付けてる契約、「正体を見破ったヤツ(=ゾロ)の願い」をかなえさせ、悪魔として暮らしていた天上界に戻せばそれですむことなのだ。
それなのにそんなこと考えもしなかった自分に驚いた。
どうしたらもっとたくさんルフィと一緒にいられる、どうしたらもうルフィに寂しい思いをさせないですむ、そんなことばかりずっと考えていた。
「悪ぃルフィ、オレおまえを返すことなんて考えてな・・・」
そう言いかけたとき
「ゾロ!」
ぴょんとルフィがゾロに飛びついてきた。それはもう顔いっぱいに笑顔を貼り付けて。
抱きとめようとしたゾロの腕にさげていたスーパーの袋がばさりと大きな音を立て地面に落ちる。
ああ、卵イっちゃったかもしれねぇな、せっかく安かったのに・・・。
頭の隅でちらりと思った。
「でもオレと暮らすの大変だろ?オレいっぱい食うから…」
「心配すんな」
ゾロはルフィの頭をあやすようにぽんぽんと撫でて笑う。
「この間、先生の家にいって相談してきた」
先生とは両親を亡くして身寄りを失った幼いゾロを引き取り、のみならず剣とその道を歩く心を教えてくれた大恩ある師匠のことだ。
「ずっと前から誘われていたんだが…あの道場で門下生たちの稽古を手伝うことにした」
師の誘いはゾロの腕を見込んでことだったが、今までずっと頑なに断り続けていた話だ。
自分は人にものを教える柄ではないし、まだそんな域まで達してないと思っている。
それにそんな時間があるなら、正直なところ自分のための鍛錬に使いたい。
また断り続けたもう一つの理由は、師がそれに対して「給料」を支払うからと言ってくれたことだ。
家を出て1人で生活を始めたゾロを気遣っての申し出だと理解はしていたが、好きな剣道をして恩ある師匠から金をもらう。
それはあまりにも甘やかされているようで、断固として受け入れることはできなかった。
だが、ルフィのこともあって状況は少々切羽詰ってきた。
思い余ってゾロが相談を持ちかけると、師はいつものように全てを包み込むような穏やかな目をして、もう一度この話をゾロに振ってきた。
『どうする、ゾロ?』
『・・・ありがたくお受けします…先生』
素直に頭を下げたゾロに、師は穏やかに微笑んで頷いた。
『では仕事としてきちんと君と契約をしよう』
『はい・・・でも先生、これは…』
師がゾロに提示した「バイト代」は、破格に好条件だ。その言葉とは裏腹に仕事としての枠を超えている。
『こんなには・・・いただけません』
『今は受け取っておきなさい、ゾロ』
『・・・わかりました』
ゾロは心からの感謝を込めて再び頭を下げた。
「ナミんとこからもな、食事くらいは面倒みるから遠慮すんなって声をかけてきてくれたんだ」
「それで、どうすんだ?」
「…ありがとうって礼を言った」
ゾロはもう19である。周囲に必要以上に世話になるつもりはなかった。
だが大好きな剣道は続けていきたい。
大学の勉強もきちんと修めて卒業したい。
そして・・・今はもう少しだけルフィと一緒にいる時間が欲しい。
これはただの我が侭だ。そこらで親の脛を齧ってちゃらちゃらと遊んでいる奴らとあるいは何も変わらないのかもしれない。
だが、大学に進む道を選んだ段階で、ゾロはまだ何の力も得ていないのだ。
そのくせ師の家を出て1人で生活しようと、意気込みだけは偉そうなものだった。
自分は自分を過大評価していたのではないだろうか。今回のように突然のことに行き詰ってしまうと、己の小ささや未熟さがはっきりとわかる。
自分はまだまだ無力だ。
そう気付いたら、差し伸べてくれる手を素直に受けてみようという気になれた。今まで肩肘張って突っ張ってきた力を少し抜いて、
他人の厚意に甘えられるところは甘えてみようかという気になったのだ。もっとしっかり自分の足で立てるようになったら、
そのときにこそそれまで受けたものをきちんと返していこう、そう思うようになった。
ルフィと一緒に過ごすようになってから、今までゾロの中にあったたくさんのつまらないこだわりが無くなった気がする。心がふっと軽くなった。
素直に頭を下げたゾロに、ベルメールも師匠も「大人になったね」と嬉しそうに目を細めて笑ってくれた。
年長者のそんな言葉すら、以前なら子ども扱いするなと不満に感じていたけれど、今はそう喜んでもらえたことがただ嬉しく思える。
ゾロの世界は変わった。
全てルフィに出会ってから。
「なあ、オレも一緒に働くぞ?」
殊勝にもそんなことを言い出すルフィに、おまえはそんなことしなくていい―――そう撥ねつけようとしたが、そんなつっぱりはルフィの前では不要なのだと思い直した。
2人で一緒に頑張っていくのもまたいいかもしれない。
「オレと同じとこでバイトすんのか?」
「うん。ゾロの店のオーナーだっていうおっさんがいつでも来ていいって言ってくれたしな」
はぁっ!?
ぽんと言ってのけたルフィの言葉に、危うく躓いて転ぶところだった。
「なんだよ、そりゃ!?」
「えーと、こないだちょっと覗きに行ったらゾロいなくてさ、代わりに顔の真ん中にこーんな横線の入った偉そうなおっさんがいたんだ。
そんで話したらオレのこと気に入ったとか言ってくれて、ここで働くかって誘われちゃって・・・。ゾロに聞かないといけないから返事しなかったんだけどさ」
顔の真ん中にこーんな横線の入った偉そうなおっさん・・・
「…そいつ、オーナーのクロコダイルじゃねえのか?」
金に小ずるくて口うるさくて、その見た目からして絶対一人くらいは殺してるんじゃないかと思える危なそうな男だ。
それに気に入られた?
「結構気のいいおっさんだったぞ♪」
事も無げにルフィは言う。凶悪犯並みにやばげな面構えの男もルフィにかかってはただの気のいいおっさんでしかないのが、恐ろしくも可笑しくてたまらない。
「あ、ゾロのバイト代も上げてくれるってさ、よかったな。言っとくけどもちろん魅惑(チャーム)の魔法なんて使ってないぞ」
付け加えてにこっと笑うルフィに二の句が告げない。
もちろんこんなことに魔法なんて使っているわけがない。クロコダイルを虜にしたのはどこか人を惹きつけてやまないルフィ自身の持つ力だ。
さっきオーナーにバイトの時間を減らしたいともちかけたときもあっさりOKされて、あまりの物分りのよさに拍子抜けしたのだが、
すでにルフィが手を回していた(もちろん本人にその自覚はない)とは・・・。
「おまえには敵わないな・・・」
「そっか?」
大きな瞳がくるりと楽しそうに動くのに、参ったとゾロは肩をすくめた。