きっちり30分後、ルフィは約束どおりゾロを起こした。
ゾロにしたら正直まだ寝足りなかったが、折角の休日をこのまま寝て過ごすのも確かに勿体無い。
今日は毎日我慢させているルフィのためにと、昨夜のうちにナミに連絡をとっておいたのだから。
ゾロより1つ年下のナミは、はとこだったかまた従妹だったか、ゾロにとってその程度のさほど近しくもない親戚に当たる。
ナミの母は早くに両親を亡くしたゾロを気遣って、昔からあれこれと声をかけてくれていたが、さすがにもう19だ。
最近では厄介になっていた道場の師範の家を出て自立したこともあって、すっかり足が遠のいていた。
しっかり者であるが変なところで聡く、会えば何かと口うるさいナミが苦手だったと言うこともある。
だが、彼女はゾロが頼れる数少ない人間の一人だった。
今回、アパートでは飼えないと知りつつ子猫を拾ってきたが、案の定早速その処遇に困ってしまった。
ルフィにはなんとかすると大見得を切ったものの、引き取ってくれと声をかけられるような知人がゾロにはいない。
そこで唯一思いついたのがナミであり、正直気は進まなかったが翌日、ゾロは一人で頼みに行くことにした。
「あら、ゾロ。すっごい久しぶりじゃないの。どうしたのよ、一体?」
ナミは高校3年生。明るいオレンジ色の髪が印象的な美女だ。
そしてあまり気付かれていないが、その瞳に宿る聡明な光はとても強い。
最近すっかり沙汰無しをしている身を責められるとややこしいので、大学はどうだの食事はどうしてるだのと聞かれる前に、
ゾロは子猫をかごから取り出した。
「いいわよ、うちで飼ってあげる」
一通り事情を話したあとのナミの返事は、ゾロの気がぬけるほどあっさりしたものだった。
「なによ、ジロジロ見て。なんか変?」
「いや…おまえにしちゃやけに簡単だなあと…。言っとくが礼は何もできないんだ」
「やあね、人を守銭奴みたいに」
つんと唇を尖らせてそっぽを向くふりを見せたが、それでも怒った様子はない。
「こんな可愛い子じゃないの。いいわよ、引き取ってあげる。……困ってるんでしょ?」
そっと付け加えられたナミの言葉に、ゾロは素直に頷いた。
深くは聞かない、けれどさりげなく手を差し伸べてくれる優しさが母親譲りの彼女の魅力だと思う。
これでもう少し口うるさくなければ本当にいい女なのだが。
「うちは一軒家だし、母さんもノジコもきっと喜ぶわ。それにあんたが頭下げてくるなんていいもの見せてもらったしね」
「実際困ってたんだ、しょうがねえだろ」
「そうね、思い出してくれて嬉しいわよ。…ところでそっちの子は?」
重ねて聞かれ、後ろを振り向いたゾロはそこに見覚えのある姿を見つけ、しばし固まってしまった。
塀のかげからちょこんとこちらを見つめているのは、家で待ってるように言いきかせたはずのルフィ。
今までちっとも気付かなかったが、どうやらついてしまってたようだ。
「ルフィ、てめ…!」
「ごめんゾロ。だってチョッパーのことが気になって…」
「へえ、この子猫チョッパーって言うの。可愛いわね」
二人のやり取りを聞いていたナミが、くすくすと笑いながら口を挟んできた。
「だろ?オレがつけたんだぞ」
うるせえとゾロが注意する間もなく、声をかけられたことが嬉しいルフィはゾロからさっさと目を逸らしてナミに向き直った。
「いい名前ね。で、あんたはルフィっていうの?」
「うん。おまえは?」
「あたしはナミ。コイツの親戚よ。あんたはゾロの友達なのかしら?」
「うん、昨日からゾロんちに住んでるんだ」
へぇ〜と、思ってもいなかった返答にナミが目を丸くしてゾロを見る。
「ルフィ、余計なこと言うな!」
慌てて止めたものの時すでに遅し。
「どっから攫ってきたのよ」
疑わしげに眉を顰めたナミが睨んでいる。
こんな目をしたナミ相手に嘘を突き通せる自信はなく、ゾロは早々に降参してルフィのことを打ち明けることにした。
『帰る場所がなくて困っていたルフィと出会い、思いもかけず同居することになってしまった』のだと。
もちろんルフィの正体=悪魔ということについては一切触れていない。これ以上問題をややこしくしたくなかった。
けれど、もしそのことを知ったらば超現実主義者の彼女がどんな顔をするだろうかということには少しだけ興味が湧いた。
ナミもおそらく自分と同じだろう。
驚きはするが、意外にあっさりと受け入れてしまうような気がした。
天性のものか、ルフィにはどこかつかみ所のないふわりとした雰囲気があって、
それが天から降りてきた人外のもの、といわれたところでおかしくない空気を漂わせていたから。
ナミの家にはチョッパーを預けたその後、2回ほど2人で訪れた。
ナミは母のベルメールと姉のノジコ、女ばかりの3人家族だ。
そうは言うものの、その3人が最強なのだと密かに思うゾロは
実際かなり彼女たちを苦手にしているのだが、
それでも3人はとてもルフィを気に入ってくれたし、ルフィももちろんそうだった。
「あら、ルフィにゾロ。いらっしゃい」
チョッパーおいで、とナミが呼び、それに答えて大きくなった子猫がにゃあと鳴いて元気よくかけてきた。
ぴょんとルフィに飛びつき、すりすりとその胸に体をこすり付ける。あははとルフィが嬉しそうに笑った。
「ああ、あんたたちよく来たね」
ベルメールも部屋からひょこっと顔を出した。
「ゆっくりしていきな」
「あー…、お邪魔します」
「昼ご飯もできてるからね。あったかいうちに皆で食べようじゃないの」
「いつもすみま…」
「いいのか!」
さすがに遠慮がちなゾロの言葉を、ルフィの底抜けに明るい声が遮った。
この野郎という思いで振り返れば、この可愛らしい悪魔はにこにこと笑いながらすでに靴を脱ぎかけている。
「今日のメシは何?」
「当ててみな」
「うーん、鳥のから揚げ!」
「はずれ〜」
「じゃあな、えーと…」
楽しそうなそんなやり取りが聞こえてくる。ベルメールの声すら弾んで聞こえてくるのは気のせいか。
「やっぱりルフィね」
母さんご機嫌だわと苦笑しながら、ナミはゾロにも上がるよう促した。
賑やかな食卓だった。
といっても主にルフィが一人で飲み、食い、騒いでいたのだが、それでもルフィを囲む皆に笑いは耐えなかった。
明るく和やかな空気にゾロの胸もほっと温かくなる。
またこんな食事をすることがあるなんて思ってもいなかったのに、ルフィはゾロの世界を
どんどん変えていく。
「ちゃんと食ったかい、ゾロ?」
ベルメールがおかわりを尋ねてきた。
「ああ、ご馳走様です。すみません、いつも…」
恐縮はするものの、正直なところ食費がこうして浮くのは本当に助かる。
といってそうそう甘えるわけにも行かないのではあるが。
「やだね、らしくもなく殊勝な顔しちゃってさ。大丈夫、ちゃんと借りは返してもらうから気にしないで」
「は?」
「ナミ」
ベルメールの合図に、はあいとナミが立ち上がった。
「さ、こっちよゾロ」
とゾロの腕を取って立ち上がらせる。何が起こるのかわからないゾロは、ただナミにされるがままだ。
「オレは?」
慌てて立ち上がりかけたルフィをベルメールが制した。
「ルフィはいいよ、今お茶入れてあげるからね。もらいもんのイチゴがあるから一緒に食べよう」
わあいと上がる歓声を背に受けながら、ゾロはえらい待遇が違うじゃねえかとぼそりと呟いた。
ナミにつれられて廊下に出たところで、ゾロははいと工具箱を手渡された。
「なんだよ、これ?」
「何たってうちは女所帯でしょ。いろいろ大変なのよ」
えーととまずはこれ。といいながらナミはさらに掛け時計を渡してきた。これを正面の壁に取り付けろという。
「それとあたしとノジコの自転車がパンクしてるの。治してくれない?」
修理出すと高いでしょ。あとはねえ・・。
恐ろしいことにナミの言葉は一向に止まる気配がない。
なるほど。先ほどベルメールが言った借りは返してもらうとはこのことかと納得し、
はいはいと頷いてゾロは早速取り掛かることにした。
時計にパンク修理に、雨どいの補修。ドアのたてつけ。
「あんたにはまだまだやってほしい仕事がたくさんあるんだからね。
ちゃんとちょくちょく顔出すのよ。忘れたら承知しないから」
「ああ」
時計をかけながら素直に頷く。
ホントはこの程度のこと、この家の女たちは簡単にできるということをゾロはよく知っている。
それぞれが中途半端な男の3人分以上の働きはできる一家だ。だが、彼女らは敢えて「借りを返せ」とゾロにやらせる。
そうすれば、ギブアンドテイク。
ゾロが食事をさせてもらったところで気兼ねする必要はないし、いつでも気軽に来ることができる。
ここはナミの家だ。
彼女と同じく、この家の人間もとても優しい。しかも決して恩着せがましくないさりげなさが身に染みた。
「それにしてもずいぶん可愛い子拾ったものね」
ぶくぶくと自転車のチューブをバケツの水につけながら穴を探していたゾロに、ナミが話しかけてきた。
「あ…そうか?」
なんとなく気恥ずかしくて、目を合わせないままゾロは答える。
「うん、とっても可愛いわよ」
「でもうるさくて仕方ねえ」
「仕方ないでしょ、まだ小さいんだから…」
「小さかねえよ、もう17くらいにはなってんだ…ってなんだよ?」
急に噴き出したナミに、ゾロは驚いて顔を上げた。
「やだあ…あたしが言ったのはこの子のことよ」
ひぃひぃと笑い転げながら足下にいたチョッパーを抱き上げてゾロの目の前に突きつける。
子猫までがにゃんとゾロをからかうように一声鳴いた。
可愛いって、チョッパーのことだったのかよ…。
疑いもなくルフィのことだと思ってしまった自分が恥ずかしくてたまらない。
「教えてあげようか、ゾロ。『居たたまれない』って言葉はこういうときに使うのよ」
「黙れ」
思い切り睨みつけたところで今さらナミに効くはずもなく
「ふぅん、あんたにとったらそんなに可愛いんだ、ルフィって」
却ってしみじみと頷き返されてしまった。
「うるせえな、…ほらそっち持ってろ」
「はいはい」
手を貸しながらもまだナミはくすくすと笑っている。
それに照れくささと腹立ちを半分ずつ覚えながら、ゾロは幾分乱暴に頭をかいた。
ひたすらかく。そうやっていないと、気恥ずかしさでどうにも間がもたなかった。
「でもね」
そんなゾロにナミが声をかけた。
「母さんたちとも言ってたんだけど、あんた、ずいぶん変わったわよね。
昔なんて、世界は自分とは何にも関係ないって感じでいつも冷め切った顔してたけど、
久しぶりに会ったあんたはよく笑うし怒るし…なんだかいい感じよ。…それってルフィのおかげ?」
「知るか」
だがナミの言うとおりだ。実際ゾロはこの1ヶ月というもの自分でも信じられないくらいよく笑い、怒った。
それは全てルフィに因るものだ。
ほんの僅かの時間一緒にいただけなのに。
子供みたいに喧しくて大食いの悪魔なのに。
ルフィの存在がゾロに与えてくれたものを言葉にして出したら
なんとなく陳腐なものになってしまう気がして、
だからゾロは首を小さく振っただけでそれ以上喋るのを止めた。
「そうね」
ゾロの無言をどう受け止めたのかナミがうんうんと頷き、それでいいのよとそっと呟いた。