三寒四温。
2月は3日寒い日が続いたら次の4日は暖かくなり、その繰り返しで徐々に春めいていくのだそうだ。
特に今年は折に触れその言葉を実感する。
何日か穏やかな陽気が続いてやっと寒い冬も終わりかと思えば一転、再び『寒波襲来』という単語が天気予報に飛び交い、
まるで真冬を思わせる日が戻ってくる。
それでも季節は次第に春に向かっているようで、寒さも気持ちも日を追うごとに和らいできた。
これは本当にありがたいことだと春の訪れに期待を寄せながら、しっかりと着込んだ上着の前を合わせてゾロはコタツにもぐりこむ。
上着にコタツ。
なんとも間が抜けた姿だが、最近は灯油が高いので節約のためファンヒーターをつけないことにしている。
今月の家計は少々、というかかなりひっ迫しているから、締められるところは締めておかないといけない。
19歳の男子大学生としてはどこかもの哀しいが、背に腹は変えられなかった。
家計ひっ迫の原因は遡れば先月。
うっかり迷い込んだ路地裏で、一人の少年と出会ったことに始まる。
少年の名はルフィ。
元気で底抜けに明るい笑顔の、なんとも不思議な少年だった。
出会った最初からするりとゾロの懐にとびこんできたかと思うと、いつの間にかそのままゾロの家で一緒に暮らしている。
屈託ないと言えば聞こえはいいが、要するに遠慮がない。
細っこいくせに食欲は怪物並みで、おかげでエンゲル係数が段違いに跳ね上がってしまった。
その結果、大学の試験やレポート云々で忙しい最中にゾロはバイトを増やさざるを得なくなり、
息もできないほど超多忙な日々を過ごす羽目になったのである。
大学の方は先週でどうにか一段落着いた。これから長い春休みに入る。
よくやった自分、とゾロはろくに睡眠時間もとれないまま頑張ってきた自分を心底褒めたかった。
そして今日はバイトも休み。
朝食の片づけを終え、少し休もうと一息ついたところだった。
ところが、
「うぉいゾロ、またそんなふうにコタツに入りやがって!それ寒いからやめろって言ってんじゃん」
ぎゃんぎゃんと、賑やかな声が頭上から聞こえてくる。
コタツで横になるとそのまま寝てしまうのが嫌で、たいていゾロは身を起こしたまま天板にぐったりと伏せるに留めている。
だがその体勢は板の冷たさがモロに顔に伝わってしまうのが欠点だ。
だからコタツの掛け布団と上掛けを一緒に持ち上げてその上に顔を置くようにしているが、
そうするとその分、下にぽっかりと隙間が開いてそこから冷たい空気がコタツの中に入ってきてしまう。
以前なら自分さえそれを我慢すればよかったのだが…
「これやられると足が寒いんだぞ、やめろってば」
ルフィはゾロのところまでやってくると、その顔を上げさせてぱっぱと布団を下ろした。
顔に直に当たる天板はそれはそれは冷たくて、もう伏せる気にもならなかった。
拾ったときは、捨てられてみぃみぃ鳴く子猫と同じようなもんだと思っていたが、
いざ蓋を開けてみればとんでもない。猫は口うるさく文句を言ってはこないのだから。
一人暮らしは気楽なものだった。
何もかも自分のやりたいようにやれたし、好きなときに食って寝ればよかった。面倒なら一食くらい抜いても全く差し障りない。
それなのに
「そろそろ腹減ったぞ、なあなあメシにしねえ?」
きっちり時間通りに腹の減る誰かのために三度三度食事を用意しなくてはいけなくなった。
ゾロの生活は激変した。
帰ってくると家に明かりがついているなんてベタなものから、置いといたTVのリモコンの位置が違っているなんて些細なことまで、
この家にいるもう一人の存在を実感する。
だが、元々はあまり人とつるむことを好まないゾロだったが、不思議と今の状況を不愉快には思わなかった。
確かにルフィには遠慮もなにもないけれど、同時に嫌味も全くない。
むしろその笑顔は見ていて微笑ましいとすら思えるほどだ。そんな不思議な魅力をルフィは持っている。
この1ヶ月というもの、ルフィと過ごす日々にどこかくすぐったく、もぞもぞとした感覚を味わされ、
こんなに多忙にもかかわらず、実はゾロは密かに毎日を楽しいと感じ始めているのだった。
ただ、ルフィには唯一、普通の人間とは大きく違う点がある。
それは「悪魔」だということだ。
唯一であるが最強最大の相違点だった。
『てめえは悪魔の息子かよ』
呆れてそう口にした途端に(ゾロとしては皮肉のつもりだったのだが意に反し正体を見破ってしまった)、
ぼんと音がしてルフィは本来の「悪魔」である姿に戻ってしまった。
背からのびた大きな黒い翼(もちろん自家製だ)にはさすがに現実家のゾロも、その正体を直視せざるを得ない。
なんでも天上界の長の養子らしいが、魔法が下手だの仕事(死んだ人間のお迎えだ)はやらせてもらえないだの、
聞けば聞くほど不安になる要素ばかり。
そして予想通り、こっそり地上に降りて来たものの(とんでもないガキだ)、帰り方がわからないと言い出した。
たぶん自分はいい人間の部類に入るんだろうとゾロは思う。
ルフィの仲間がお迎えが来た時はきっと無事天国に連れて行ってもらえるに違いない。
そんないいヤツでなければ、誰がこんな路頭に迷った悪魔を自分の家に居候させるものか。
行く当てもなくて、どうしようと見上げてくるルフィを突き放すことができず、
結局なし崩し的に自分の家におくことになってしまって一ヶ月。
ルフィは相変わらず帰る術なく、そんなわけでゾロは今だこの不思議な『悪魔』と同居を余儀なくされている。
最も悪魔と言っても、人と契約をして魂を奪っていくと言った悪さをするわけではない。
種族が違うだけで、普通に会話もするし飯も食う。風呂にも入ればTVを見て可笑しそうに笑っている。
別に普通の少年となんら変わるところはなかった。
むしろそこらの気力もない輩よりはよっぽど人間らしく生き生きとしている気がする。
それはさておき、とにかく今日は全てがオフなのだ。
この機会に疲労が溜まりつつあった体を休ませるべく、ゾロは(とても珍しいことだが)しばらく横になることにした。
だが。
「腹減った」
居候の一言が宿主の甘い夢を打ち砕く。
「そこにカップ麺があるだろ、それでも食っとけ」
コタツに埋もれたまま顎で戸棚を指したが、
「うーん、これも美味いんだけどそろそろ違うもんが食いたいぞ。なあなあ、『こんびに』に何か買いに行かねえ?」
案の定、簡単に引き下がる相手ではなかった。
「な、ゾロ外へ行こう」
ぽんと立ち上がった居候…ルフィが元気よくゾロの手を引いた。
「『こんびに』とかさ、あ、この間行った『立ち食いそば』てんでもいいぞ」
「断る」
「いいじゃん、買い物してついでにいろいろ見に行こうぜ」
「ダメだ」
「せっかく地上にいるんだからさ〜、いろいろ食いたいし面白いもんも見たいじゃんか」
「オレはいつも見てるからいい」
「ゾロのケチ!意地悪!鬼!」
「悪魔のてめえに言われたかねえ」
そう、すぐうっかり忘れそうになるがこの厚かましくも元気な同居人は悪魔なのだ。
まだ慣れない外に行かせて騒ぎにでも巻き込まれては…というか
十中八九ルフィの方が騒ぎを起こしそうではあるが、とにかくどちらにしろ厄介なことになりそうなので、
可哀相だがゾロは自分が帰るまで、ルフィに一人で外出することを禁じた。
ゾロが留守の間は洗濯や掃除といった家事をこなしたり、親しくなった同じアパートの住人・ウソップ(神に愛された芸術家と自称する謎の男だ)
の家に行って遊んだりしているようだが、それでも当然つまらないらしい。
ゾロが帰ってくれば嬉しそうに飛びついてきて二言目には「外に行こう」だ。
寂しい思いをさせているとわかっているだけに、ゾロもできる限りルフィを気遣って付き合うようにしていたが、
さすがにこのところ忙しくてきちんと相手をしてやっていなかった。
駄々をこねてくるのも無理ないことかもしれない。
「じゃあ、外に行かなくていいから一緒に飯食おう」
敵は戦法を変えてきた。いじらしい気もするが、とにかく今日のゾロはわずかな時間でいいから眠りたかった。
「まだ10時半だろ。少し待て」
「せっかくの休みが終わっちまうぞ、ゾロ…」
寂しげな声音が胸をちくりと刺す。
「今は眠いんだ……悪いなルフィ、オレは少し寝る。30分したら起こしてくれ」
「・・・」
ゾロを動かすことができないと観念したらしく、それ以上いい募ることなしにしぶしぶとルフィが頷く。
その頭にぽんと手を置いて、ゾロは宥めるように2・3度撫でた。
「絶対起こすんだぞ。・・・そしたらナミんちに行こう。すぐ出られるように支度しておけよ」
「ゾロ!」
途端にぱあっと輝いた笑顔を目の端にとめながら、ゾロはふっと笑って目を閉じた。