「しょうがねえな」
ルフィとゾロを交互に見て、サンジがふぅと吐き出した煙が軽く舞いながら空に消えていく。
せっかくの喫煙タイムを邪魔しやがってとかなんとか散々文句を言われたし、別にどうしても知りたいものでもなかったが、
なんとなくサンジが話したそうな気がしたので(気のせいかもしれないが)、恒例の悪態は返さずに、ゾロは黙って聞いていた。
「人間が死ぬときにオレたちが魔法で願いを叶えてやるのは一度きりだ。泣こうが喚こうがあとは知ったこっちゃねえ。
それ以上の願いに魔法は使えねえ。だから自力でかなえてやらなきゃいけないんだ」
さっきの丁寧な口調はどこへやら、どこかぶっきらぼうな物言いでサンジは淡々と話す。ただその声はどこか寂しげにも聞こえた。これも気のせいなのかもしれないが。
「ヒルルクに2つ目の願いを言われたクソ天使はな、何を血迷ったか天使であることを辞めた」
「は?」
「『この桜を心あるものに愛でてもらえるように・・・』
2つ目の願いに魔法は使えねえ。だがどうしても叶えてやりたかったんだろうな。
そいつは全てを捨てた。一切の役職も魔力も王に返し、人間になることを願い出て人間界におりたんだよ。
そんで自力で金をためてこの屋敷を買い取り、毎年自分の選んだ人間だけと一緒にこの桜を愛でることにした。
それも偏屈っちゃあ偏屈な話だがな」
「それって・・・」
「ああ、そこに来たからてめぇの目で確かめてみろ。あれがこの屋敷のオーナー・ゼフだ」
サンジが顎をしゃくった先では、長い白いひげを何故だか三つ網に結った強面の老人がロビンと話している。
年はとっているが、その目に宿る光が強い意志と深い思想を蓄えているのが見て取れる。
だが・・
「あれが・・・天使か?」
驚いたようなゾロの言葉に、さすがのサンジも噴き出した。
「元だ」
くっくっくと身をかがめて笑う。
「あんなジジイでも一応若い頃があったらしいからな。
ジジイがおりたのはオレらの時間で4年前・・・こっちで言えば20年位か。さすがにジジイになったもんだ」
一度言葉を切ってゼフを見つめるサンジの目には深い光が宿っている。
「サンジを育ててくれたじいさんなんだ」
ルフィがこそっとゾロに耳打ちした。
「『もう大丈夫だろうがチビナス』。そういい残して、あのクソジジイはさっさと一人で降りていきやがった。
馬鹿だよな、ずっと昔に聞いた人間の願いを延々引きずりやがって・・・。
だけどよ、だからこそそんなジジイを引き止めることなんざできなかったんだよ」
寂しかったとしても。
まるで独り言のように吐き出されたサンジの言葉の続きは、そう聞こえたような気がした。
ゼフもどうやらこちらに気付いたらしい。ロビンと別れてこちらに向かってくる。
「おら、なにサボってやがる。さっさとお客のとこで働いてこい、チビナス!」
ごんとサンジに蹴りが入れられる。
「うるせぇクソジジイ!その呼び名は止めろってんだろ、オレはあの頃のチビじゃねえんだ!」
「一緒だ、何も代わっちゃいねえよ。厄介を承知で居候をおいてやるだけありがたいと思え!」
ぽんぽんと交わされる喧嘩に、ゾロも圧倒されて口が挟めない。
「あれ、じゃあサンジって今ゼフのとこにいるのか?」
ルフィがきょとんと目を丸くした。
「ああ、おまえがこっちの世界にいる間、目付け役としてオレもおりるようシャンクスから命じられたんだよ。このジジイの店で世話になることを条件にな」
ったく何考えてやがる、あの人は。
サンジがぶつぶつと文句を口にする。
「別にジジイんとこに来たかったわけじゃねえ。シャンクスの命令だからしばらく辛抱してやるだけだ。
おまえがこのクソまりもとの用件を終わらせたらさっさと上に帰るぞ、ルフィ」
ちっ、と舌打ちをしてゼフを一睨みし、サンジは足音も荒く去って行った。
あははとルフィが我慢しきれずに笑いだす。
「サンジはゼフが大好きなんだ。あんな口聞いてっけどさ」
なんだか今のサンジはすげェ嬉しそうだとルフィが言う。
「あれがか?」
ゾロは首を捻ったが、だが交わされた会話から滲み出るどこかなれたやりとりに、そんなようにも思う。
「ゼフが人間界におりたのは俺たちの時間で4年前。サンジが15のときだ。
いきなりだったから、あいつなんかすげェショック受けてさ、しばらくだれとも・・・オレとも口きいてくれようとしなかった。
口じゃまだ許してねえとか言ってるけど、あんなサンジ久しぶりに見たよ」
「あんまり男がぺらぺら喋るのは感心しねえな、ルフィ」
ごんと長いシェフの帽子が思い切り振り下ろされて、痛ぇとルフィが頭を押さえて呻いた。
「相変わらずひょろっこい体しやがって。赤髪は元気か」
「うん、オレも最近会ってないけどたぶんぜんぜん変わってないと思うぞ。ゼフはなんだか年取ったな」
「当たり前だ、こっちじゃもう20年経ってる」
「サンジも大きくなったろ?この4年ですげぇ背も伸びたし料理も上手くなったんだぞ」
けっとゼフが笑う。
「あんなもんで上手いとかいうな、ルフィ。チビナスがいい気になりやがる」
「でもサンジは今度ゼフに会ったら褒めてもらうからって一生懸命・・・」
「ああ、わかってるよ」
うっすらとひげの奥から漏らされた言葉にルフィはごめんと黙る。
2人の間に今更ルフィの言葉などいらないのだ。ゼフにはサンジのことなど全てわかっているのだから。
「・・・ルフィ、ちょっとこの兄ちゃんと話がしたいからおまえは向こうに行ってろ」
「あ、・・・おう」
ゼフの静かな気に圧されたか、珍しくルフィが言いよどむと、じゃあまたなと言い残しておとなしく下がった。
ぱたぱたとかけていくルフィの背をゾロが見送っていると、
「おまえがあのやんちゃ小僧を悪魔だと見破ったって人間か」
ゼフが声をかけてきた。
見破ったと言うのは少し違う気もするので、言葉を探して黙っていると、その沈黙の意味を取り違えたか
「まあそう警戒すんな。オレはもう上の世界とは何の関係もないんだ」
ゼフが苦笑した。
「あんたは天使だったんだってな」
「ああ、だがもうずっと以前のことだ。今はただの老いぼれさ」
そりゃチビナスもでかくなるわけだ。ゼフは小さく呟いてくっと笑った。
「なんで全部捨ててまで、人間界に降りたんだ?」
「さあな、もう忘れちまったよ。ただなあ、昔ヒルルクを連れて行くときに空から見たこの木がたいそう綺麗だったんだ。それだけは今でもよく覚えている」
ゼフの瞳は静かな光を湛え、どこか遠くを見ているようだった。
ずっと昔に魂を運んだヒルルクのことを桜に重ねているのだろうか。
「天上界の時間は人間界の5倍くらい長い。だから上のやつらの寿命は400年くらいだ。
人間とは比較にならないほど長く生きるが、死んだらそれきりだ。体はもちろん魂も消滅しちまう」
「別に人間だって必ず生まれ変わるってわけでもないだろ?」
「いや、死んで天上界に運ばれた魂はそこで時間をかけて浄化され、再び新しい命となって戻ってくるのさ。
何度も何度も。もちろん記憶なんて残っちゃいないが、人はそうしてずっと繋がれていく。
なあ、小僧。おれはこうしてみて初めてわかったんだが、人の思いは天使だの悪魔だのよりずっと深い・・・人間てのはいいもんだな」
しみじみと紡がれるゼフの言葉は天使として生き、そして人の世に降りて20年を過ごした歳月が存分に籠められている。
その奥にある意味はまだ年若いゾロにはよくわからない。
人の一生は短いが、強く望んだ思いは他の者へ、あるいは生まれ変わった次の世代へと託され、そうして永遠に繋がっていくと言うことなのか。
「話がそれたな」
ゼフが苦笑した。
「小僧、ルフィを頼む」
「え」
突然ふられた言葉に、ゾロが思わず聞き返す。
「あいつはよく食うから大変だろう?」
「ああ、まあな」
「ルフィは特別なんだ。生粋の悪魔・・・純血種とでもいうかね、普通の奴らとは少し違う。
悪魔の仕事は元々人の邪気をその魔力で浄化することなんだが、ルフィはその潜在能力が高すぎる故に、常にそれを無意識にやっちまってる。思い当たることはねえか?」
そんなものはいくらでもあった。
ルフィに出会ってから今まで、どれだけゾロが、ゾロの周囲が変わったことか。
「ルフィは魔力じゃなく、その身で浄化してるからな。体には相当の負担がかかってるはずだ。食う量はハンパじゃねえだろ?」
「ああ・・・」
「せめてそうやってエネルギーを補給してるんだ」
「そんなこと何も聞いてねえ・・」
素直になれない心、人をうらやんだりおとしめたりしたい心。
人間ならどうしても持ってしまう負の心はそれこそいくら数え上げてもきりがない。
それらをすべてルフィはその身に取り入れていたというのか?
天上界とは条件が違う。かなり辛いだろうに・・・。
「それでもおまえの傍にいたいってのは、あいつが望んでることなんだろ」
「わからねえ・・・」
ゼフの問いかけにゾロはただ首を振るしかない。今はどうしていいかわからない。
「こっちも事情は分かってる身だ。食い扶持くらい何とかしてやるから、遠慮なく店に連れて来い。
だがそれ以外にあいつが受けている負担はおまえが支えてやらなきゃいけねえぞ」
ルフィがそんな辛い思いをしてまで地上に留まっていることをゾロは全く知らなかった。
なぜ、何のために?
首を振り続けるゾロをじっと見つめるゼフの顔にもまた、深い思いの刻まれた皺があった。