楽しかった会もやがて終焉を迎える。
日も傾き始め、そろそろ花見はお開きとなった。
「皆さんは私がお送りしますので」
ロビンが一同を車に促すと
「ルフィとそこの緑はこっちに来い」
サンジが自らの車を指した。
「おまえらは俺が送ってやる、ロビンちゃんのお手を煩わせるなんてとんでもない」
そんなわけで、皆と別れて二人はサンジの車に乗り込んだ。
別れ際にゾロはコウシロウやベルメールに改めて礼を告げ、ルフィはチョッパーの喉をもう一度なでてやった。
「さてと」
ロビンの車が去っていくのを見送り、サンジがタバコに火をつけた。
「じゃあさっさと片付けるぜ、野郎ども」
「は?俺たちがか?」
突然の申し出に目を丸くするゾロに、ただほど高いものはねえよと笑ってサンジはエプロンを差し出した。
ゼフは店があるからと早々に引き上げていった。
ゾロはまだゼフに聞きたいことがあったが、仕方がないと諦める。
そのままサンジの言うなりに、ヒルルク邸大清掃大会に突入だ。
食器だのテーブルだの酒瓶だのを運んだり洗わされたり、しかも手はサンジとイガラムと、ゾロとルフィ、この広い屋敷にたった4人だ。
「おーおー、さすがその筋肉は伊達についてるわけじゃなさそうだな」
時折サンジが感心したように手を叩くのが腹立たしいが、怒る時間も惜しい。
日が落ちる前に庭のものを屋敷内に運び入れなくてはいけないから、ゾロは両腕にいっぱい荷物を抱え、何度も屋敷と庭を往復したのだった。
「あー、つっかれたぁっ!」
「・・・終わりか・・・?」
ルフィとゾロは同時にソファに倒れこむ。
そこにキッチンの整理を終えたサンジが捲くった袖を下ろしながらやってきた。
「おう、ご苦労さん。おかげで思ってたより早く片付いたぜ」
「そりゃ何よりだ」
ゾロは皮肉いっぱいに口の端を曲げて笑ってみせる。
「片付いたとこで悪いが、そろそろオレたちを家まで送ってくれねえか?」
「てめえ、明日用事は?」
「あ?バイトはねえし、大学も午後からだ」
「じゃあちょうどいい、ここに泊まってけ。明日朝送ってってやるよ」
「え、この広い家に泊まれるのか!?」
ゾロが断ろうとするより早く、早速ルフィが反応した。
「マジマジ!?風呂とかベッドもでっけえんだろ?オレちょっと探検してくる!」
「おい、ルフィ!」
呼び止めるより早く、風のように飛び出して行ったルフィだった。
「てことだ」
くっとサンジが喉で笑い、
「クソ眉毛」
ゾロは忌々しげに睨み返したが、実際今から帰ってあれこれするのも確かに面倒くさい。
サンジの顔を見ながら・・・というのも癪に障るが、ここはおとなしく明日の早朝送ってもらうことにした。
探検に行っていたルフィの報告どおり、確かに風呂もトイレも大きく立派なもので、作りは古いがきちんと手入れもされているので、古めかしいと言う感じはなかった。
与えられた部屋に戻り、ゾロはベッドにひっくり返る。
朝からいろいろなことがあった。
だが今何よりゾロの心を占めているのはゼフから聞いたあのことだ。
ルフィはそこにいるだけで無意識のうちに人の負の心をその身に取り入れ浄化する。
だがそれはルフィ自身の体にかなりの負担を負わせている。
それでもゾロの傍にいようとするルフィ、その真意はなんなのだろう。
何度もルフィに確かめようと思った。話しかけるチャンスがなかったわけではない。それなのに、ゾロは聞けなかった。
聞いてどうするのか。
さっさと天上界に帰らせるのか。ルフィのためを思うならそれが一番いいのかもしれない。
だが、ゾロはそれに踏ん切りをつけられない。
ルフィは何かを思ってここにいようとしているのに・・・いや違うな。
ゾロは思った。
ルフィがいなくなる。
それに耐えられないのは自分だ。
あの笑顔が、ついと擦り寄ってくる腕が、失われることに今のゾロは耐えられない。
「俺はずるい・・・」
思わず声に出してしまった。それほどに我が身の身勝手さを思う。
窓から大きな桜が風に舞って散り始めるのが見えた。
長い歳月を見つめ続けてきたあの木なら何かわかるだろうか。そんな気がして、ゾロは上着を羽織ると部屋を出た。
古びた幹に手をあてる。
もちろん気のせいだろうが、樹液が流れる感覚が伝わる。
とくんと、まるで心臓の鼓動のような木の命の音。
「なあ・・・俺はどうしたらいいんだろう・・」
誰にともなくつぶやいたとき、話し声が近づいてきてゾロは思わず近くの茂みに身を潜めた。
「なあ、サンジ話ってなんだよ。ゾロんとこに行こうと思ってたんだから早くしろよ」
手を引っ張られるようにして、ルフィがサンジに連れられてやってきた。
「なあ、サン・・・」
口を開きかけたルフィは、サンジの表情に思わず口をつぐんだ。
それほどに月明かりの下に見えるサンジの顔はいつになく真剣で、真っ直ぐにルフィに向けられていたからだ。
「ルフィ、おまえいつまでこうしているつもりだ」
「いつって・・・」
「いつまであの人間にかかわっているつもりかって聞いてるんだ。もう早く帰れとは言わねえよ、おまえにもおまえの考えがあるんだろうからな。
だがせめて、あいつの部屋は出て来い。俺もこうしてこっちに降りてきた。しかもゼフのとこにいる。
メシも思う存分食わせてやるし、いつだって一緒にいる。おまえにはずっと暮らしやすいはずだ。
あいつのとこじゃメシもたいしたことねえだろうし、バイトだ学校だで一緒になんていちゃくれねえんだろ?」
この野郎と思うが、全部本当のことなのでゾロはサンジに反論する術をもたない。
「なあ、ルフィ、オレはおまえが心配なんだ。あいつに会うなとは言わねえ。いくらでも会いに行けばいい。
ただオレの傍にいろよ。絶対おまえに辛い思いも寂しい思いもさせねえ。だから・・・」
サンジの手が伸びて、ぎゅっとルフィを抱き込む。
一回り小柄な体がその腕にすっぽり包まれてしまうのをゾロはじっと見ているしかない。
だがサンジのこんな必死な姿をゾロは初めて見た。
会うたびにいつもどこか人を小ばかにしたような態度でうっすら笑っていた男なのにこんなにも熱かったのかと思う。
それほどにルフィが大事だということか。
「サンジ・・・苦しい」
くすっとルフィが笑ってその腕をすり抜けた。
「ごめんな、サンジ。おまえの気持ちは嬉しいけど、でもそれはきけねえよ」
「なんでだ、おまえがあいつに責任を感じることなんかこれっぽっちも・・・」
責任?なんのことだ。
「そんなんじゃねえ。ただオレがいたいからだ。ゾロと一緒に寝たり起きたりメシ食ったり、喋ったり笑ったり、いろんなもん一緒に見ていたいからだよ」
「この3ヶ月ちょっと、ずっとゾロと一緒にいて分かったことがある。
ゾロはメシ食うときと食い終わった後には、ちゃんと挨拶すんだ。酸っぱい食いものは少し苦手みたいだ。
いっつも眉と眉の間にしわ寄せてるけど、子供とか犬とか猫とか相手にするときはこのしわがぱーって消えるんだ。
コーヒーはブラックが好きだけど、疲れたときはほんの少しだけミルクを足すんだ。
少し前まで全然知らなかったのに、どんどんいろんなゾロがわかる。だからこれからも傍にいたいよ」
「おまえの体に負担がかかってもか」
「そんなのたいしたことねえじゃん」
けろりと笑う。
「・・・そんなにヤツが好きかよ・・・」
「うん、大好きだ」
ルフィの答えによどみはなかった。
好き・・だと。
オレを?
ルフィが口にしたたった一言がゾロの胸を激しく揺さぶる。心臓の音が口から飛び出てあたりに響き渡りそうだ。
「オレはゾロが好きだよ・・・だって、ずっと見てきたんだもの・・・」
なんのことだろう、ゾロには意味がわからない。
ルフィと初めて会ったのはまだ冬寒い頃、迷い込んだ不思議な本屋ではなかったのか?
夢中になって思わず身を乗り出してしまったら、上着がこすれてがさりと茂みが音を立てた。
ヤバイと身をすくめ、必死に頭をめぐらせる。
えっとこういうときにはどうすればいいんだ。猫の鳴きまねか?
猫は・・・キャン・・・違う、にゃあだ、にゃあ。
軽いパニック状態で大慌てのゾロだったが
「あはは、ゾロ見つけた」
近づいて来たルフィが、覗き込んだ茂みの中にゾロの姿を見つけて、わあっと喜ぶ。曇りのないその笑顔に思わず見とれてしまった。
「何やってんだ、クソマリモ。この時間に一人でかくれんぼかよ、寂しい男だな」
「誰がするか!」
立ち上がって怒鳴り返したゾロにルフィがぴょんと飛びつく。
「行こう、ゾロ。今日はオレ疲れちゃったよ」
「ああ・・・戻ろう、ルフィ」
ルフィに促されながら、ちらりと見やればサンジは知らん顔でちょうどタバコに火をつけたところだった。
屋敷へと敷かれた石畳を2人で並んで歩く。ルフィとの間に幾分の距離を置いたのは、激しく打つ心臓の音が聞こえてしまいそうな気がしたからだ。
「なあルフィ」
「ん?」
「・・・いやなんでもねえ」
「そんな難しい顔して考え込んでると、またここに皺が寄るぞ」
眉間を押さえてくくくと笑うルフィをこのやろうと一発叩く。
「いってぇなあ、ゾロ!」
「そりゃあおまえが・・・って、痛てててて、なにしやがる、ルフィ!」
「お返しだ!」
両手でぽかぽかと背中を叩いてくるルフィを避けながら、ゾロもまた笑う。
「明日もゾロは大学とバイトか?いろいろ忙しいんだろ、早く寝ようぜ」
「ああそうだな」
聞きたいこと、いいたいことは山ほどあった。
だが、今、この時間はこれでいい。
そこにルフィの笑顔がある。
自分を好きだと言ってくれたルフィの真っ直ぐな瞳がゾロを見つめてくれている。
だから今はもう何も考えずにその顔を見ていよう。
「ルフィ」
「ん?」
「・・・オレもだ・・・」
きょとんとした瞳に見上げられて、顔が赤くなる気がした。
しばしの間の後。
「おお、ゾロも腹減ったんか。じゃあ屋敷に戻ったらさ、ちくわのおっさんに言ってなんか出してもらおうぜ」
結構覚悟を決めて口にしたのに、見当違いの方向に行ってしまったルフィに、ゾロはなんとなくがっかりして肩を落とす。
「まあ、そんな気はしたんだがな」
「ん?なんか言ったか?」
「いや何でもねえ」
風に吹くたびに、ざわざわと桜の花びらが舞い散っていく。
間もなく花はその命を終えることだろう。
けれどそれと同時に、木はまた枝を伸ばし、葉を茂らせ、そうして次の季節へと命を繋いでいくのだ。
4月の夜風はまだ涼しく肌を刺すけれど、やがてこれもふんわりと暖かく変わっていくだろう。
もう世の中は春だ。