ドアの向こうで待っていた、なんとなく予想できなくもなかった光景にゾロは大きな溜息をついた。
必死に求めた思いが通じたのだろうか、張り巡らされたシャンクスの魔法壁を破り、ゾロはようやくルフィをその手に取り戻すことができた。
隣に戻ってきたルフィの纏う懐かしい空気に、あっという間に心が温かいもので満たされていく。
ただ素直に嬉しいと思った。
これからルフィの誕生日のやり直しだ。今度こそは二人で一緒に。
途中で大きなケーキやらピザやら酒やら、思いつくままに食べたいものをどっさりと買いこんだ。
重たいだの今月はもう金がねぇだの、口ではあれこれ互いに文句をつけながら、実はそれをまた楽しんでいたりもする。
ルフィはひっきりなしに喋り続け、それを嗜めるゾロの頬の筋肉も思わず緩んでしまう。
うきうきとした気分ではしゃぎながら二人はアパートに帰った。
「なんか『帰ってきた』って感じだよな〜」
嬉しそうなルフィの声にうなづいたゾロが、些か浮かれた気分でドアを開けると
「よお」
そこには見覚えのある光景が待っていた。
部屋の真ん中にどかりと腰を下ろして煙草を燻らせていた男が2人を見て軽く手を上げる。
ゾロのテンションは一気に急下降、そのままドアを閉めてやろうと本気で思ったくらいだ。
「どこ行ってやがった、おまえら。待ちくたびれちまったじゃねぇか」
細身の体をスーツに包んだ金髪男がゾロをじろりと睨みつける。
一方的な言い分にさすがにカチンときた。
「うるせぇエロ天使。毎度毎度、窓から人ンちに入ってんじゃねぇ」
「けっ、ここんちはドアが小さすぎて見えねぇんだよ」
相変わらずそりの合わないゾロとサンジである。
「あっ、サンジー!」
そんな重い空気など一切お構い無しに、ぱたぱたとサンジに駆け寄ろうとしたルフィの首根っこをゾロは無言でつかんで引きづり戻した。
「で、何の用だ?」
不機嫌なのをありありと滲ませた低音は充分凄みがきいている。
だがケーキを冷蔵庫にしまいながらでは残念ながらその効果も半減だ。
ついでに買ってきた葉物野菜はいたまないようにまず新聞紙にくるみ、ひき肉や細切れ肉も使いやすいよう小分けにして冷凍庫へ。
意外に小まめに買い物を片付けているゾロがツボにはまったらしく、サンジはさっきから隠しもせずに腹を抱えて笑いっぱなしだ。
「いい加減にしろよ、てめぇ」
ついにキれたゾロに、やれやれと肩を竦めたサンジは、咥えていた煙草を用意されていた灰皿で揉み消した。
「まぁた、このマリモに捕まっちまったのかよ、ルフィ」
「人聞きの悪ィこと言うな」
「せっかくこのままうやむやにして天上界に連れ帰っちまおうと思ってたのにな」
ゾロとルフィが交わした契約も何もかもを反故にして。
金髪碧眼、真っ白な翼をもつ美しい天使は悪びれもせずけろりとそう言ってのけた。
「いいのかよ、天使がそんな真似しやがって」
「約束を破るってか?いいんじゃねぇの、だって長自らの命令だし」
長、すなわちルフィの養父シャンクスである。
「あのな、マリモ。少なくとも今回の事態を招いたのは、誰でもないてめぇ自身だ」
伸ばされたサンジの手がゾロの胸倉をつかんでぐいと引き寄せる。
「てめぇに落ち度がある以上こっちがどんな手段に出ようと文句は言えないはずだぜ、なぁ?」
近づいた顔を睨みつけながら、しかしゾロは言葉が継げなかった。
確かに全てサンジの言うとおりなのだ。
ゾロがルフィの様子に気付いていれば、きちんとその思いを汲み取ってやっていれば、ルフィが傷つくことも、その結果シャンクスを怒らせることもなかったのだから。
「ちょっと待てよ、サンジ!」
今まで黙っていたルフィが二人の間に割り込んできた。
「ゾロはちっとも悪くないぞ、全部オレが一人で考えたんだ!そんで黙ってようって決めて・・・」
「あーはいはい」
ルフィの抗議を軽く受け流したサンジは、ゾロをつかんでいた手を離すと今度はルフィの頭をぎゅっとその胸元に抱きこんだ。
息苦しさにルフィがじたばたともがくのを楽しそうに見下ろす。
「まぁ、確かにマリモが一番悪いんだけどよ。でも日に日に落ち込んでくおまえを見てて、シャンクスもさすがに堪えたらしくてな」
「え?」
もごもごとルフィがサンジの腕をかいくぐってきょとんとした顔を出した。
「ルフィ、おまえシャンクスに『嫌い』って言ったそうだな」
「うん、いくらオレが連絡しても何にも返事くれないから、トーンダイヤルに『シャンクスなんて大嫌いだ!』ってだけ入れて届けてもらった・・・」
「そりゃショックだったろうぜ・・・」
くくくっとサンジの肩が震える。
「で、さすがのシャンクスも魔法を少しだけ弱めたんだと」
「ああ・・・そんであそこだけ壁が薄くなってたんだ・・・」
「そ。だからおまえらにもシールドが破れたってことだ」
シャンクスにしたらルフィに嫌われるのは本末転倒。
長のプライドがあるにしても、結局は二人を許す方向に持っていかざるを得なかったわけだ。
「最も生半可な覚悟じゃ破れなかったろうけどな」
とりあえず、今回はおまえらの勝ちってことだ。
サンジがルフィの背を叩いてにやりと笑った。
「で、てめぇは何しに来たんだ、ぐる眉」
いつまでもルフィを離さないサンジに焦れて、ゾロが話に割り込んできた。
「ああ、オレもルフィのやり直し誕生日に混ぜてもらおうか・・・って冗談だ、そんな目で睨むな、筋肉馬鹿」
これだよ、とサンジは胸のポケットから二つの貝を取り出した。
正確には貝のようなもの、といった方がいいだろうか。見た目はまき貝だが地上にあるものとは微妙に違うようで、
天頂部の近くにいくつかボタンのようなものがついている。
「さっき、ルフィが言ってたろ?ダイヤルってのは天上界の道具なんだが、これはトーンダイヤルって声や音を記憶できるのさ。
通信機じゃねぇから相手の声は聞こえねぇが。ほら、ルフィ」
そう言ってサンジは一つをルフィに放った。
「前に預かってたんだよ。シャンクスからおまえにだそうだ。聞いて返事を入れてやれ」
「うん、わかった」
ダイヤルを受け取ってごそごそと操作し始めたルフィを見て、サンジはゾロをこっそり奥へ促した。二人でキッチンに入ると
「これはてめぇにだ」
サンジがゾロにもう一つの貝をよこした。
「オレに?」
「天上界の長からおまえごときに直々のメッセージだとよ。ああ、こっちはビジョンの機能もついてるから映像も記憶されてるみたいだな」
ゾロは受け取った貝を流し台に置くと、サンジに説明されてそのてっぺんを押してみた。
ジジジ・・・と鈍い音がして、その上で映像が揺らめき始める。
『よぅ。ゾロ・・・だったか』
映像が形を取る前に声が聞こえてきた。
自分の名を呼ぶ明るい声。これが天上界の長、シャンクスか。
『うちのルフィがずいぶん世話かけてるみてェだな。どうだ、そろそろめんどくさくなってきたんじゃねぇか?いつでも返してくれていいんだぞ』
「そんなことするかよ」
『まあ、そんなことするわけねぇか』
「おい、エロ天使!」
「これは声を記録してるだけだ。通信機じゃねぇから今喋ってるわけじゃねぇ」
また煙草に火をつけながら、サンジがしらっと答える。
どうやらシャンクスにはゾロの反応など全てお見通しということらしい。
さすがというべきか、そんな厄介な相手に少々おののく。
『おまえさんがこれを見てるってことは、すでにオレの魔法は破られたってことだな。
ま、しょうがねぇ。ルフィに嫌われるよりマシだ。ただ覚えてろ、今度ルフィを悲しませるようなことしやがったらもう返さないからな』
「わかっている」
思わず声に出して答えた。
今回のことで身にしみたのだ。自分がどれだけルフィを必要としているのか。
もう二度と泣かすことも離すこともしたくない。心底そう思う。
『わかったならまあ今回のことは許してやる』
「おい!」
「だから通信機能はねぇっつってんだろ」
サンジはそんなやりとりをニヤニヤしながら傍で見ている。
『それにしてもルフィを連れてくなんざ、いっぱしのことする野郎になりやがって。あんなにちっこかったガキがよ』
「え?」
ゾロはふいに投げかけられたその言葉に戸惑う。
まるでシャンクスは幼いころのゾロを知っているかのような口ぶりだ。
ジジ・・・とようやく映像が安定してきた。
貝の上に一人の男の姿が映し出される。
こちらを見てべーっと舌を出している大人気ない姿の男。
背中にはルフィよりもはるかに立派で堂々とした黒い翼がある。
顔の左側には古そうな傷が三本走り、そしてその頭は燃えるような赤い髪。
これがシャンクス・・・、オレはこの男に会ったことがあるのか?
ゾロは必死で記憶を手繰った。
『まぁ忘れてんだろうな。せっかく美味いココアいれてやったのによ』
だっはっはと笑われて、はっと記憶が繋がった。
ああ、この豪快な笑い方は知っている。
・・・そうだ、幼いころ迷い込んだ、そして半年前にルフィと出会ったあの本屋で聞いたのだ。
幼馴染のくいなと迷い込んでしまった不思議な店。
ストーブが温めるほんわりとした部屋。
寒さにかじかんでいた体に染みこんでいく甘いココア。
大丈夫だと頭をなでてくれた大きな掌。
見上げた目に映る赤い髪は火のようだったけれど、その目があまりにも優しいので怖いとは感じなかった。うんと頷いたらいい子だと、だっはっはと笑われた。
ずっと忘れていた記憶が封印を解かれたように一気に蘇ってくる。
軽い眩暈を覚えながらも、必死に記憶の断片を掻き集めながらゾロは改めてダイヤルの上に映し出されたシャンクスの姿を見た。
そうだ、あの時出会ったのはこの男だ。
その後どんなに探してももう二度とそこには辿りつけず、それですっかり記憶の底に埋もれてしまったのだが、
そのくせ半年前ひょっこり一度通路を曲がっただけで再びそれはゾロの前に現れた。来る者を選ぶ不思議な空間ということなのだろうか。
ルフィやシャンクスの正体を知った今ではそれも頷けるのだが。
「あんたは・・・オレのことをずっと知ってたんだな」
通じるはずないと知りつつ、その画像を見つめながらゾロは口にした。
「あのとき・・・あんたの傍に小さな男の子がいたよな・・・」
もう一つ蘇った大切な記憶。
シャンクスの後ろから心配そうにゾロたちを見ていた同い年くらいの子供がいた。
ゾロが笑ったのを見て本当に嬉しそうな顔をした。
一緒に絵本を読んだり走り回ったり、いろいろなことを話した気がする。
黒い髪と黒い眼が印象的な可愛い子だった。
今思えばあの子供は…
「あれはルフィだったのか…?」
だがもし本当にルフィだとしたら年が合わない。
悪魔の1年は人間の5年くらいにあたるとゼフは言っていた。
ならばルフィにしたらほんの3年前、すでに見た目は15くらいだったはずだ。
『ま、なんか聞きたいことがあんなら、全部そこのサンジに聞け』
「オレか!?」
いきなりふられたサンジがつっこみ返す。
『とりあえずルフィを泣かすなってことだ。よく覚えとけよ、小僧』
約束だと言って、シャンクスは指先でぼんと大きな火の玉を爆発させてみせると、不敵な表情を残してその映像が消えた。
確かに魔王だ。
ルフィを泣かそうものなら平気で地球の一つや二つ破壊しかねないその迫力は、ただものではないが、それも上等、約束はとことん守ってやると、ゾロは思った。
「ぐる眉、聞きたいことがある」
「うおっと、早速かよ」
振り向きざまに投げつけられ、幾分引き気味にサンジが呻いた。
「ったく、シャンクスもいい加減にしろっての」
やれやれとサンジが仕方なさそうに肩を竦める。それでもタバコをもみ消して会話の体勢に入る辺り、案外にこの男も人がいいのかもしれない。
「まず先におまえがルフィと会ったあの店について教えといてやる。あの場所はシャンクス専用の避難シェルターだ」
「シェルター?」
「ま、ものの例えだが、あのオヤジは『上』での仕事が煮詰まってくるとなんもかんもほっぽって、
ふらっと地上に下りちまうクセがあってな、その逃避場所ってことだ。だからベンーーシャンクスの側近だーーあいつもいつも頭抱えてるんだけどな…」
どんだけ自由人なんだ。
最もルフィの大らかさをみていると、さすがその養父なだけのことはあるという気もする。
「とはいえ、天上界の大魔王殿がやたらに人間に姿を見せるわけにもいかねェ。
だからあの店の周りは強力な魔法壁を張り巡らして時空を歪めてある。てめぇのような野郎が簡単に行き着けるはずないんだが…」
度を越した方向音痴が幸いしたのかね、と嫌味がちに首を捻ってみせたサンジの後ろから
「それはゾロの心が綺麗だからだぞ」
ルフィがひょっこりと顔を出した。
「いくら魔法をかけても、まだ心が汚れてない子供とかには効かないことがあって、
たまに迷い込んできちまうんだってシャンクスが言ってた。だけど大人になってもゾロにはあの店がちゃんと見えたんだろ、それってすげぇことだぞ」
「こいつが…ねぇ?」
失礼にもサンジがじろじろと値踏みするような目でゾロを眺める。
その横でルフィはまるで自分がほめられているかのようににこにこと自慢げな笑みを浮かべていた。
「それよりなんだよー、二人してこそこそして。オレも混ぜろってば」
「別にたいした話はしてねぇよ。ただ…」
「なぁルフィ、オレは昔もあの店に行ったことがあるんだよな…?」
サンジの言葉をひったくるようにしてゾロがルフィに問いかけた。
「え?あ…うん」
いきなり話を振られてルフィは曖昧に頷く。
「そのとき赤髪の親父に会ったのを覚えている。それがシャンクスだよな」
「あー、うん、そうだな…」
「やっと思い出した。あのときシャンクスの隣に小さな子供がいたんだ」
そういってゾロはルフィの髪に手を触れた。
おい、とサンジが顔を顰めたが、それには構わずさらりと掬い上げる。
「黒い髪と大きな黒い目でずっとオレを心配してくれてた同い年くらいの子供……あれはおまえだったのか?」
「ゾロ!?」
大きな瞳を見開いて、はじかれたようにルフィはゾロを見あげた。
おや?とシャンクスが呟やいたので、つられてルフィも読んでいた本から顔を上げた。
勉強は嫌いだが、綺麗な絵本や地球のことが書かれた図鑑を見るのは大好きだ。
シャンクスの「地上での仕事場」(と本人は言い張っているが、周囲の人間全てが
「避難シェルター」と呼んで苦笑しているのをルフィはちゃんと知っている)にはそんな本がたくさんあって、
見るもの全てがルフィにとっては面白く、だから今回初めてシャンクスに同行させてもらえたことが嬉しくてたまらない。
本当は直に地上のあれこれに触れてみたかったが、それはまだ早いとでっかい釘を刺されているので今回はとりあえずこの場所でおとなしくシャンクスの本を読むことにした。
「どうしたのさ、シャンクス」
一瞬困ったような声を出しつつすぐにけろりと含み笑いを浮かべた養父に、また何か面白いことを企んでいるのかとすっかり慣れっこになった頭で思う。
「いや…人間の子供が二人、迷い込んできたようだ」
「子供!?」
人間との不必要な接触を避けるようこの場所はシャンクスの魔法壁で厳重な結界を張り巡らしているが、それでもこうしてたまに迷い込んでくる者はいるとシャンクスは言う。
「さてどうしたもんかね…普通はこのままそっと元の道に返してやるんだが…」
一旦言葉を切って、ちらりとルフィの方を伺ってくるのがなんとも憎らしい。
思わぬ展開に、ルフィは息をするのも忘れたように次のシャンクスの言葉をドキドキしながら待っているというのに。
「まぁあの子たちもずいぶん疲れてるようだから、少しここで休ませてやってもいいかなぁ…」
「シャンクス!」
「ルフィ、姿変えの魔法はできるか?」
「え…えーと…多分」
「小さい方の男の子は5〜6歳くらいかな、それくらいの姿になれんなら一緒に遊ぶこともできるだろうが…どうだ?」
「やる!」
ルフィは魔法が苦手だ。姿変えの呪文もとっくに習ってはいるが些か自信が無い。
だが、初めて会う人間の子供。しかも一緒に遊んでいいという許可までもらった。
ルフィが一生懸命になったのも無理無いことで、今までの中で最高の術を披露してシャンクスを苦笑させたのだった。
シャンクスがぱちんと指を鳴らすと音も無く扉が開いた。
その向こうには、人間の子供が二人、寒さに震えながら寄り添うようにして立っていた。
一人はまっすぐな黒髪を短めに切りそろえた凛とした顔立ちの女の子、もう一人はそれより少し小さくて、けれど強い意志を瞳に宿した綺麗な緑色の髪の男の子。
よぅどうしたと、かけたシャンクスの声に、張り詰めた緊張の糸が解れたようで、揃って泣き出しそうな顔をした。
道迷ったのだという二人を、シャンクスはストーブの前に座らせ、自らいれてやった温かいココアを渡す。
幼い姿になったルフィはその側で、タオルだカップだとちょこちょこ走り回るばかりだったのだが、やがて身も心も温まったのだろう、
女の子はソファに凭れて寝息を立て始め、その姿を見た男の子もようやくほっとした笑顔を見せる。
彼の中に見える飾り気の無い魂そのままの笑顔がとても綺麗だとルフィは思い、その子供からしばらく目が離せなかった。
シャンクスがあの子供たちを店の中に招いたのはほんの気まぐれだったはずだ。
退屈しのぎだったのかもしれないし、いずれは天上界の中核を担うだろうルフィに人間を見せるいい機会だと思ったのかもしれない。
人間界の者と理由なく接触することは混乱を招くため固く禁じられているが、「自分が法律」というオレ様なシャンクスにとってその禁はたいして意味がない。
それに魔法による結界の張られたこの場を離れれば、中で起こった記憶は消えてしまう。だからシャンクスも軽い気持ちでルフィと子供たち…
特に同性であるゾロに会わせてみたのだろうが、ゾロの記憶は消えることなく彼の深い中で眠り続け、またルフィがゾロを忘れることは以来一度もなかった。
ほんの小さな偶然や気まぐれが十重二十重に絡まりあって、まるでそう定められていたかのように出会ってしまった悪魔と人間の子供は、
やがて時を経て二度、三度と再会する。
それはまた後の話になるのだが。
「うん…あれはオレだよ…」
ルフィがゾロの頬に触れる。
「思い出してくれたんだな、ゾロ…」
嬉しそうにふわりと笑いながら。
ああそうだ、あの時も…とゾロは思う。
ソファに座りながら不安な気持ちでいたときも、疲れきったくいなが心配でたまらなかったときも、
ルフィは小さな手のひらをゾロの両頬に当て、大丈夫だよ、そう言ってにっこりと笑ってくれた。
その温もりを感じるたびに、ゾロの胸は全ての心配が取り除かれたようにすっと軽くなる。
曇りのない笑顔と小さな温もりと伴った優しさがとても気持ちよくて、ゾロは幼い心いっぱいでルフィを好きになった。ずっとルフィと一緒にいたいと思った。
くいなが起きたのでシャンクスに帰りを促された。
ここには長くいられないから、意味はよくわからなかったけど、今この場所にいることは特別なのだろうとは感じていた。
ルフィといたのも特別に許された時間だったのかもしれない。
無意識にそう感じていたのだろう。
だからゾロはドアを開けて足を踏み出す前に、「また会おうな」と、ルフィに再会の言葉で手を振ったのだ。
けれどルフィは泣き笑いのような顔を浮かべただけで返事をくれなかった。
「さようなら、ゾロ」といっぺんにいくつも年をとったような落ち着いた声でゾロに別れを告げた。
寂しく思ったけれど、今ならその訳がわかる。
互いの思いに関わらず、ゾロがここでの記憶を失ってしまうことをルフィは知っていたのだ。
実際、元の世界に帰った途端あっという間に記憶は薄れ、以来つい今しがたまでゾロはルフィを思い出すこともできなかった。
「でも…また会えた…」
胸に過ぎる思いのままに、ゾロが頬に触れた手を取りそっと唇を当てると、ルフィがびっくりしたようにさらに目を見開き、それからうんと小声で応えて俯いた。
「あー、お取り込み中申し訳ねェんだが…」
そんなほわりとした空気をサンジの不機嫌そうな声が遠慮なくぶち破る。
「オレも一応忙しい身なんでね。そろそろ失礼してェんだが…ルフィ、シャンクスに渡すトーンダイヤルは準備できたか?」
あ、いけねとルフィがぱたぱたとリビングにかけていく。
「…ったく」
ぶつぶつとサンジが眉間にしわを寄せて呟く。
「何、初恋の相手に会えましたぁってな幸せそうな顔してんだよ、クソマリモ」
「あ、誰がだ!?」
初恋の相手…あながちその指摘は間違ってなくもないのだが。
「気持ちはわかるがな…」
するりと傍らによると今度はサンジがゾロの頬に手を寄せて、幾分強引に顔を引き寄せる。
ルフィのときと雰囲気に格段の差があるのは仕方ないところだ。
「あいつは悪魔だ…、恋の相手にすんのはその存在自体に無理がある」
「…わかってる」
ぶっきらぼうに返しながらも、ゾロは苦い思いがあがってくるのを否めない。
サンジに念押しされるまでもなく、よくわかっている。
悪魔であるルフィと人間の自分が普通の恋をするなど望むべくもない。
成り行き上、ゾロの望みを一つ叶えるまで一緒に居る、そんな契約の下にある関係だ。
「わかってるならいい」
手を離しながらサンジは顔を背けて呟いた。
いつものからかうような軽妙さが影を潜め、どこか沈んで見えるのは気のせいだろうか。
「頼むから…取り返しつかなくなる前に引き返してくれ。オレはおまえらの悲しい顔なんて見たくねェんだよ…」
「おまえら…?」
「ルフィ」ではなく「おまえら」と確かにゾロも込みでサンジは言った。
珍しい物言いを聞きとがめたゾロを遮って、
「ほらこれだぞ、サンジー」
トーンダイヤルを手に、再びばたばたと音もけたたましくルフィが戻ってきた。
「シャンクスへの返事は入れといたぞ。ちゃんと渡してくれよな」
「ああ、了解」
ルフィから例の貝を受け取るとサンジはばさりと羽を広げて窓辺に向かった。
このまま上に帰るらしい。
「シャンクスにいろいろ報告しないといけないこともあるしな」
「オレはちゃんとやってるって言っとけ」
「あー、はいはい。一応な」
くすりと小さく笑って、サンジはルフィの頭を引き寄せその髪に顔を埋める。
「すっかりマリモの匂いがうつりやがって…」
「なんだよ、それ」
あははと笑うルフィは屈託がない。
名残惜しそうにサンジの背に手を伸ばしてぎゅっと抱きつく。
それがゾロにもサンジにもどんな苦い思いを呼び起こすか気がつきもせず。
「またすぐに戻ってくるよ」
「うん」
白い羽はふわりと風に乗り、すぐに天に舞って見えなくなった。
サンジが見えなくなってもしばらくの間空を見上げていたルフィだが、やがてその腹がけたたましい音を立てたので、驚いたようにへたり込む。
「ゾロぉ、オレ腹減った…」
「ああ、メシにしよう」
たくさん買い込んだ、誕生日パーティーのやり直しの食い物はケーキにピザにチキンに酒に、その他いろいろ覚えきれないほどの種類と量。
「祝い直しだ」
誰にも邪魔されずに、今は二人きりでルフィの誕生日を祝う。
これに勝る幸せはないとゾロは思った。
たとえ、
『取り返しつかなくなる前に引き返せ』
そんなサンジの声が、いつまでも耳の奥に聞こえていたとしても。